短編小説 お好み焼き

大空ひろし

 お好み焼き

 数十年振りに訪れた馴染みだったお好み焼き屋の前に佇み、佐和田は呟いた。

「そうか、遠田さんは店を閉めちゃったんだ。そうだよな。大分年月が経ったもんな」

 佐和田の脳裏に、当時の様子が想い浮かび、懐かしさが込み上げて来る。


 佐和田は、入社して間もなく派遣で広島に出張していた。会社の寮で暮らしていたので朝晩の食事は心配なかったが、日祭日は寮の食堂は休むので外出して食事を摂っていた。


 東京近郊で育った佐和田は、お好み焼きとは縁が薄かった。お好み焼きを最初に口にしたのは、広島に来てからだ。

 食わず嫌いもなんだと思い、彼はあるお好み屋に入った。焼き方や食べ方を知らない佐和田に、親切丁寧に教えてくれたのがこの店の主人、遠田だった。

 この店のお好み焼きの味は、佐和田の舌に合う味だったと見えて、とても美味しく感じた。その味が忘れられなくなり、彼は遠田の店に足を運ぶようになる。


 顔馴染みとなった佐和田と遠田は、次第に会話を交わすようになる。お互い、訪れたことの無い土地で生まれ育っているので、好奇心も手伝い話が弾む。


 或る時、佐和田は平和記念公園に行ってみたいと思い立ち、遠田に公園の雰囲気を尋ねた。

「原爆が落とされたというのは知っておろうが。わしらにとっては忘れられん場所じゃ」

 当然、原爆被災地なのは佐和田も知っていた。しかし、彼の訪れた広島は、原爆投下時の悲惨な状況をもはや感じ取れなかった。


「辺り一面焼け野原となったのでしょ。今の街並をみていると当時の状況を覗い知る事が出来ません。僅か二十数年で、ここ迄発展させたのだから広島の人って凄いですね」

 佐和田の偽ざる心境だった。


「建物にしろ、物はなんぼでも新しく造れるし発展出来る。じゃが、命を持ったものは当時と何もかわっておらんよ。原爆ドームと同じようなもんじゃ」

 佐和田には、遠田の言っている意味がにわかに飲み込めなかった。


「被爆を受けた人達のことですか?」

「被爆し発症した病気を、完全に治したという人はおらんからな」

「毎年、広島、長崎の被爆関連ニュースが流れる度に、被爆した多くの人が亡くなっていると伝えられるのを聞いています。僕は戦後生まれですが、戦争の悲惨さは父親から何度か聞いています。特に、原爆投下は悪魔の仕業だと父が罵っていました」


「戦争は二度と起こしてはいけん」

「遠田さんは被爆を免れたのですか?」

「いやー、わしも被爆手帳を持っておるけん」

「えっ! そうなんですか」

 佐和田はとても驚いた。


 佐和田は、被爆者の人達の中に働いている人が居るとは思ってもみなかった。浅はかな偏見を持っていた事に気付き、恥ずかしさを覚えた。


「ワシが被爆した人間には見えんじゃろ。じゃがのぉ、健康そうに見えても、いつ何時どのような病気が発症するか誰も分からん。そう言う意味じゃ、ちょっと不安はあるんじゃ」

 想像するに余りある。


 同じ被爆者たちの誰かに、症状が現われたと言う情報を耳にする度に、命が縮まる思いを抱くのでは無いだろうか?

 なのに、そんな不安な素振りを一切見せず、淡々とお好み焼き屋を経営している遠田。佐和田は頭が下がる思いだった。


「あんたが心配することは無いけん。幸い、未だわしには後遺症が出て来ておらん。が、病気の発症をただ待ってる訳では無い。発症した時に、病気やその治療に負けんよう体力を付ける為遣っていることがある。店を閉めてから5~10㎞ぐらい毎日のように走っているんじゃ。走る距離はその日の体調に依るんじゃけど」

「怖くないですか? 病気の発症が・・・」


「勿論、どんな病気が襲ってくるか分からんけん、怖い面はある。しかし、そんな事を気にしていたら生きていけんよ。自分の運命だと思って割り切っておるけん」

 確かに遠田の言う通りかも知れない。しかし、この人は強い。佐和田はそう思わずには居られなかった。


 あの時から三十年以上は経つ。懐かしさの余り、再びこの地に降りた。時代の移り変わりは激しい。遠田の経営するお好み焼き屋は既に跡形も無く消えている。

 そのお好み焼き屋の主人を探したいと言う気持ちも少しある。しかし、存命なのか、健在で居られるかと思いを巡らせるだけだった。

 例え再会できたとしても、話す言葉などあるのだろうかと考えてしまう。


「遠田さんのその後の人生を、何も知らない、何も分からない、でいいじゃないか。このままそっと去ろう」

 佐和田は、頭の中に残る遠田の店のお好み焼きの味が、とても懐かしく想い出された。         

      了

オリジナル曲 https://youtu.be/ufGQB3pUxFU


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