第34話 他人の不幸は蜜の味
『楽しいね。誰かの痛いは楽しいね』
これは今から数年前のお話。
一つの国が簡単に滅んでしまったというだけの簡単なお話。
少女は踊っていた。
自分が何をしているのかも理解せず、ただただ楽しそうに踊っていた。
『私は疫病神アイネ。不幸の象徵アイネ』
少女が歌うのは家族のみんなが歌っていた歌
少女に石を投げる時に嘲笑の意を込めて歌っていた醜い歌。
『アイネね、やっと分かったんだ。なんで皆があんなに楽しそうだったのか』
少女の体には至る所に傷があった。
その傷からは赤い血ではなく黒い雫が流れ落ちている。
その雫の正体は、圧縮された高密度の闇の魔力。
雫がひとたび何かに触れば全てが闇に飲まれてしまう。
『嫌いな人間の悲鳴。絶望に満ちた表情。それを眺めるだけでこんなにも心がトキメクものなんだね』
少女の表情は純粋なる笑顔だった。
怒りや哀れみなどの気持ちが一切混ざっていない。
少女はただ純粋に、晴れやかな気持ちで踊っているだけだった。
自分の体からあふれる闇の魔力が人を、建物を、動物を、国を飲み込む惨状を見届けながら。
『楽しいな。楽しいな。この力をもっと理解すれば、もっと沢山の人の悲鳴が聞けるかな?そしたらもっと楽しくなるのかな?』
少女はルンルンとした気分でスキップをする。
すると、目の前に大きな体躯を持った悪魔が現れた。
『あなたはだぁれ?』
『お前の魔力は俺達悪魔にとって危険だ』
悪魔は有無を言わさず、少女の頭をつかんだ。
『今からお前の記憶を消す』
悪魔は悟っていたのだ。
この女を野放しにしていれば、やがて世界が闇に飲まれてしまう。
そうなった時に自分たち悪魔もただでは済まない。
『周囲の人間に虐められていたお前は復讐の為に俺を使用しようとした。だが逆に俺に体を乗っ取られ、挙句故郷を滅ぼされた。これからのお前はそういう人間として生きていけ』
だからここで記憶を書き換え、主導権を握ろうと悪魔は考えたのだ。
一人では虫も殺せない、悪魔である自分が居ないと何も出来ない……そう少女に思い込ませることで。
『あれ……私、何してたんだっけ?』
記憶を改ざんされた少女が問いかける。
『お前は悪魔である俺に復讐を頼んだ。だから俺がこの国を滅ぼしたんだ』
『そうなんだっけ?ごめんなさい。私、あなたの事を思い出せないの』
『だったら今から覚えろ。俺はクライネ、お前の体を乗っ取った悪魔だ』
もし、少女が本来の記憶を取り戻してしまったら。
そんな未来を考えるだけで悪魔クライネの心は恐怖に染まるのだった。
◇
「ねぇクライネ。何か知らない?」
クライネが最も恐れていた事態がこの最悪のタイミングで起ころうとしていた。
アイネの首が切られ、そこから闇の魔力があふれ出てしまっている。
もしこの魔力が濃度を増し、あの時と同じ様な黒い雫になってしまったら。
その雫が全てを飲み込む景色をアイネが見てしまったら。
きっと彼女はその事を思い出してしまうだろうという確信があった。
クライネがもう一度アイネと融合すれば、アイネの記憶を封印することは可能だ。
しかしー
「なんだよアレ!!おいギギラ、あの女の子の方も悪魔って事はねぇのか?」
「それは無いね。シャイちゃんもそう言ってるし」
「シャイちゃん?」
「愛称だよ、愛称」
最悪なのは、このハプニングが戦いの最中に起こってしまったことだ。
お気楽そうに槍を掲げて愛称を呼ぶギギラ・クレシアは、ああ見えて油断も隙も無い。
加えて、彼女が右手に持っている
クライネがもう一度アイネと融合するには、この二つの
クライネの顔にだらりと冷たい汗が流れる。
彼は静かに息を整えて自分に言い聞かせた。
大丈夫、まだ焦る時間じゃない。
ずっとこの監獄に居たギギラ・クレシアにアイネの過去を探るすべは無い。
だから、彼女の言葉でアイネの記憶が戻る事はほぼないだろう。
落ち着いてアイネを誘導し、もう一度融合すれば良い。
それでこのハプニングを収める事が出来るはずだ。
「でも、驚いたのは悪魔のシャイちゃんが必要以上に怯えてる事だよ」
「?!」
ギギラ・クレシアが槍の方を見つめながらそんな言葉を放った。
クライネの心臓に冷たいナイフを刺された様な衝撃が走る。
「あの子の闇に触れてしまったら、逆にこっちが飲み込まれてしまいそうってさ」
「飲み……こむ?」
「おいアイネ!!相手の言葉なんか聞く必要はない!!」
クライネは焦りから、何も考えずにギギラへ突っ込んだ。
彼女はそれを軽くかわし、小さな声でクライネに語り掛ける。
「クライネ君まで焦るってことはさ。あの女は悪魔にとっての厄ネタなのかな?」
「ッ……そんな事は関係ないだろ」
「もし、君があの子の事で悩んでるならギギラが助けてあげるよ」
「は?」
「だって、ギギラ達がアイネって子を殺せば解決でしょ。君はもうあの子に怯えなくて済むじゃん」
「そんな事は本当のアイネを知らないから言えるんだ。お前のレベルで勝てるなら、こんな手は選んでいない」
クライネが拳を振るう。
半狂乱の状態で繰り出される攻撃がギギラに当たるはずもなく、彼女はただ涼し気な顔でクライネをいなしていた。
「少しでも俺を助けたいと言うなら、3秒待ってもらおうか」
「うん!いいよ~」
ギギラがそう言うと、クライネは急いでアイネの元へ向かった。
「バカ!!何ホントに止まってるんだよ」
「だってぇ~。ギギラはカッコいい男の味方がしたいんだもん」
「お前……」
「それに負けるつもりなんて毛頭ないから安心してよ」
「まぁ、そこだけは信頼してるけどよぉ」
二人が馬鹿な会話をしている間に、クライネはアイネと接触する。
彼は急かす様な口調で、アイネに融合を迫った。
「アイネ!!もう一度融合だ、早くしろ」
「……」
「何ぼーっとしてるんだ。早くしろよ」
必死の形相で訴えるクライネに対し、アイネはじぃっと興味深そうにクライネの事を見つめていた。
「ねぇクライネ……前にもこんな事、あったよね」
「は……お前、何言って」
「正確には思い出せないんだけどね。クライネの焦った顔に見覚えがあるの」
アイネがその言葉を発したその瞬間、彼女から漏れる瘴気が一層濃くなった。
首の傷から漏れ出る闇の魔力はぐっと凝縮され、黒い雫に。
彼女の魔力はオーラの様な物から粘性を持った黒い液体のような物へ変化していった。
その余りに異常すぎる魔力は、あのギギラの心にさえも少しばかしの恐怖心を植え付けた。
「記憶はないけど、感情は残ってる。きっと私は誰かが焦る顔が好き」
「馬鹿言ってるんじゃないぞ……お前はずっと虐められてただけのか弱い人間だ」
「とりかえしが付かない状況になって、その責任の押し付け合いをする醜い人間を見るのが好き」
「違う!!いいから俺の言う事を聞け!!」
「ねぇクライネ。私の記憶が思い出せないの、あなたのせいだよね」
ベトリ。
ベトリ。
クライネの体に黒い液体が張り付いていく。
液体はまるでクライネを捕食するかのような動きで、彼の体をなめまわし、侵食していった。
「クライネが何の為にそんな事をしてたのかは分からない。でも、私に何かしてたのはずっと知ってたんだ」
「アイネ……やめろ……このままだと俺が」
「それでも私はクライネと一緒に居たの。何故だか無性に惹かれる所があったから」
クライネの体から嫌な音が鳴った。
悪魔である彼の体が、アイネの闇に吸われている。
「おい悪魔!!なんかやべぇぞ、早く逃げろ!!」
「クライネ君、そのままだと完全に飲み込まれる。死ぬよ!」
ギギラとバランの呼びかけもむなしく、時はすでに遅い。
もうここまで黒い液体の侵食が進んでしまっている以上、クライネを助ける方法は無い。
「今ね、私がクライネの何処に惹かれたのかハッキリ分かるんだ」
「やめろ……俺はまだ。俺だけじゃない、この世界に居る同胞たちが」
「私はその目が好きだった。ずっと私に怯えているあなたのその目が」
グシャリ。
クライネの体が引き裂かれる。
彼の体は細長い糸の様に引き延ばされ、黒い液体と混ざってアイネの体へ巻き付いていく。
「クライネにはお世話になったから、私の服として生かしてあげるね。ちょうど融合したいって言ってたし」
その液体は、やがて真っ黒なドレスへと姿を変える。
そのドレスには恐怖で歪む人々の顔が至る所に刻印されていた。
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