えれめんと・はいすくーる!

狛井星良

第1話 最悪な学園生活のはじまり

火野ひのくん、あのねっ……絶対に、絶対に忘れないからっ!」


 中学生姿の水原みずはらが言う。


 河川敷には黄色い花が群生していて、風に揺られている。確かこの花は外来種だったはずだと、水原に教えてもらったことがある。


 どうしてだろうか、水原は今にも泣きそうな顔をしている。両手で制服のスカートをぎゅっと握り、そして彼女は小さく震えている。


 そうか。このとき、俺は怖かったんだ。水原と俺の、名前のない関係性に、名前がついてしまうような、それは嬉しいような、かえって切ないような、そんな気持ちで。


「だから、ね? また、会ったときには――」


 水原は、そう言って、手を差し伸べて――――。




 隣の部屋からする物音で、目が覚めた。


 どうにも鮮明な夢だった。夢というよりは、過去の記憶の再生であった。

 俺自身も忘れかけていたことを、眠った俺の脳が、必死に探し出してきたのだろう。


 今日、この日のために。


「……起きる、か」


 スマートフォンの画面は、午前6時。少し早いが、身支度をしよう。


 俺は、今日あの学校へ入学する。日本で今、一番有名な――「UN学園」に。

 そして、UN学園には、水原がいるはずだ。彼女も、俺と同じなのだから。


 歯を磨き、だらだらとYouTubeを見る。特に面白いともなんとも言えない動画たちが流れていく。俺は――特にエンタメ性はなく――歯磨きの時間を延ばすためだけに、これらを見ている。


 鏡台の前に立ち、笑顔の練習をした。人間は第一印象が大事だと、名前も印象もない誰かが言っていたような気がする。


「……」


 黒髪の中に紛れた、を撫でる。相変わらず、ひっそりと、しかし確かにこれは俺の中に存在していた。


 中学二年生の終わり、別れ際の水原を思い出す。彼女の髪にも、が少しだけ混ざっていた。それを恥ずかしそうに、いつも右手で隠していた。そんな水原の表情が、どこかもどかしかったのを覚えている。


「……よし」


 最後に制服のネクタイをして、部屋の扉を開ける。まだ冷たい風と、薄汚れたカンバスのような空気に、春の季節を感じられる。東京の街並みは、この二年間で大きく変わっていた。かつてこの街の象徴であった東京タワーは、急激な劣化によって解体作業に入ってしまった。特徴的な塔の上半分は既に撤去されている。


 顔のない電波塔のふもとに、その学校はあった。中高一貫校にして、日本で唯一「異能力者育成」を目的とした学校、それがUN(Un-Natural)学園だ。


×     ×     ×

 

 ――2025年6月21日(土)、世界は確かに、その姿を変えていた。


 ロシアと戦争状態が続くウクライナは、敵国の用途不明施設を爆撃した。当初、軍事工場と想定されていたその場所は、ロシアが秘密裏に開発をしていた「異能ウイルス」の研究施設だった。


 破壊された施設からは大量のウイルスが散布され、世界各国へと渡った。日本では新千歳空港周辺で最初の感染者が発見され、次々と勢力を拡大していった。


 異能ウイルス――人知を超えた能力を授けるその呪いを、ロシアはいずれ軍事転用する想定だったらしい。核兵器でも生物兵器でもなく、ただ殺戮兵器となり得る人間を戦場へ放り込むという、恐ろしい計画。何も知らない戦争相手によって計画が破綻したのはなんとも皮肉である。


 それから二年。人類はこのウイルスについて理解を深めつつあった。第二次性徴期から思春期頃までの年齢層にのみ感染するということ。感染者は髪の一部が変色し、その範囲が広いほど異能に適応しているということ。感染者が大人になると――どうなるかは、分からない。まだ二年しか経っていないのだから。


×     ×     ×


 中学二年の冬、幼馴染の水原サトコが、異能ウイルスに感染した。


 まだUN学園ができる前、ウイルスが世間に認知され始めたばかりの頃だった。

 感染によって彼女が得たのは「水を操る能力」だった。周囲の水を集めたり、動かしたりすることができる力だ。はじめ、水原は力の制御が上手くできず、すぐびしょ濡れになっていた。俺は泣いている彼女に、体操服をよく渡していたのを覚えている。


「火野くんは優しいね」


 目を腫らして健気に笑う水原の顔、それを俺はいつも見ていた。というより、その顔が見たくて、彼女を助けていたのかもしれない。


 そんな水原は、冬の終わりにできたばかりのUN学園へと強制的に転校していった。


×     ×     ×


「緊張するなー……」


 学園の校門には、複数の警備員の姿があった。外部からの侵入者を阻止するだけでなく、異能力者が校外で問題を起こさないよう監視する、という社会へのアピールも目的としている。


 日本で異能ウイルスへの感染が確認されると、この学校へ強制的に入学となる。そのため日々生徒数は増加しているらしい。登校する周りの生徒たちは、髪に変色があり全員が異能者であることが分かる。


「ねえ、あれって――」


「ほんとだ!」


 俺の周りの生徒たちが何やらざわめき始める。誰か、有名人でもいるのだろうか。

 校庭には、みるみるうちに人だかりができ、俺は気付けば後ろに押しのけられた。その群衆の先を、誰かが歩いているようだった。


 好奇心で、俺はその存在を一目見たいと、人をかき分けて進んだ。その先には、長く青い髪を揺らす女子生徒の姿があった。


「ん……?」


 俺は、はじめ自分の目を疑った。

 青い髪に少し隠れたその顔に、どこか見覚えがあったからだ。


 あれは――――。


「あれって、二年の水原先輩だよな?」


「やっぱオーラが違うよな、適応率100%だろ?」


 水原だ。間違いない。

 入学前の水原は、まだ髪の一部しか変色していなかった。だが、今の水原はその長髪のすべてを変色させている。それだけ異能に適応している、ということだ。

 やっと再会できる。


 ――また、会ったときには。


 夢のなかの、水原の言葉を思い出す。俺がウイルスに感染したとき、正直とても嬉しかった。水原とは昔から仲が良かったし、冗談も言い合える関係だった。そんな水原の居ない二年間は、とても味気のないものだった。


 元気にしてたか? お前すごいな、そんなに適応して。俺にもコツとか教えてくれよ。ていうか、この二年間何してたんだ? 俺は――これから、いろんなことを話したい。


「み、水原――――」


 群衆の中から声を張り上げ、名前を呼ぶ。が、水原には聞こえていないようだった。


 俺の声は、別の歓声によってかき消されたのであった。


氷室ひむろ先輩よ!」


「きゃーっ、イケメン!」


 どうやら、他の人気者がやってきたらしい。異能力者は世間と馴染みづらいからだろうか、何とも噂好きな生徒たちの集まりだなと思った。


 騒ぎ立てる女子生徒たちの目線の先を追う。そして、この時に見た景色が、俺のこれからの学園生活を確かに決定づけたのだった。


 水原よりも淡く、薄い水色の髪に染まった男子生徒。恐らく俺よりも年上だろう。すらっとした長身に、いかにも人当たりの良さそうな顔。確かに彼は、人気がありそうだ。


 氷室先輩、と呼ばれた彼のところへ、水原は駆け寄っていった。そして二人は、何やら楽しげに話しながら、校舎へと入っていったのだった。


「えっ? み、水原……???」


 ――入学初日。


 俺の学園生活は、最悪なスタートを切ったのである。

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