【短編】的外れ

竹輪剛志

本編:的外れ

 盛夏の日。校舎から少し外れた立地の弓道場には、僕と部長だけがいた。 

 この学校での弓道部の人気は皆無に等しく、存在すら知らない人もいる。入学したての時に行われた部活動紹介では唯一体育館で紹介されなかった部活である。部員は三年生の部長と、一年生の僕の二人だけ。二年生に至っては一人もいない。殆ど顔を出さない顧問は学校一番の年寄りの古典教師。だけど活動自体はちゃんとしていて、そこらの文化部よりよっぽど活動している。初めて弓道場に入った時は部室の綺麗さに驚いたほどだ。

 部長は寡黙な人で、殆ど喋らない。だけどそれは弓道の荘厳な雰囲気と合っていて、弓を引く仕草なんかはとても画になる。

 一方の僕は一学期が経過した今でも友達一人できない根暗である。そんな僕が何故弓道部に入部したかと言えば、それはこの学校が部活動強制だからに他ならない。もっと言えば、僕は人と話すことが苦手なのでこの二人という部員数は都合が良かったのだ。運動は苦手だったが、弓道くらいなら大丈夫だろうと高をくくっていた。しかし、その判断は間違いだった。部長は寡黙であると同時に真面目で厳しい人で、入部したての僕を基礎練習地獄に叩き落したのであった。僕は激しく後悔した。しかし、辞めるという勇気も湧かずそのまま夏休みに突入した。

 弓を構え、弦を引く。視線は白黒の的。中央の中白に狙いを定める。その次の瞬間、手を弦から放す。矢は目にもとまらぬ速度で飛んでいく。しかしそれは狙った中白はおろか、的すら射抜けない粗末な一射であった。


「はぁ」


 僕は夏休みに入ってやっと、弓を握ることが出来た。しかし何度射れども矢は的に中らない。

 その様子を部長は無言で眺めている。弓道場はとても暑く設備も古いので空調も無い。部長の一つに纏めた黒髪も汗に濡れている。

 今の状況を一言で形容するなら、空気が最悪である。何度射ても的に中る気配が無い僕と、眉一つ動かさない部長。今すぐにでも逃げ出したくなるような重苦しさがそこにはあった。


「何で、中らないんですかねぇ」


 その重い雰囲気に耐えきれず、僕は口を開いた。


「道具が悪いんですかねぇ? それともやっぱ基礎練からやり直した方がいいんですかねぇ?」


 僕の言葉に対し、部長はしばらくしてから答えた。


「的外れね」


 部長のその静かな一言に僕はまるで顔面を殴られたかのような衝撃を受けた。的外れ。それは僕が一番嫌いな言葉だった。


「あ、ぇ…」


 僕が初対面の人と話すとき、話した人は決まってこう言うのだ。的外れだと。僕は会話が苦手だ。人と話す時に生じる間の気まずさが苦手で、焦って何かを話さないとと思って、適当なことを話してしまうのだ。その度に相手は僕に的外れと言う。そうして僕はどうしようもないほどの会話嫌いになってしまった。

 僕は俯いて何も話せなくなってしまった。しかし部長はそんな僕を見ながらも口を開いた。


「初めから的を射られる人なんてそうそういない。大抵は回数をこなして徐々に感覚を掴んでいく」


 部長は立ち上がり、弓を構えた。


「徐々に、徐々に掴んでいく。そうすれば慣れていく…」


 弦はゆっくりと引かれていき、部長の視線は的に向く。それは入部してから何度も見た構え。思わず見惚れそうになった。その刹那、矢は放たれて的を射た。


「そうして、的を射る」


 その言葉を聞いて、僕は思わずハッとした。


「徐々に、徐々に…」


 気付いたら僕は弓矢を握っていた。ゆっくりと歩き、的の前に立つ。深呼吸をして、弓を構える。


「どうして的を外していたか、分かる?」


 部長の問いに真っすぐと答える。


「焦っていたからです」


 弦を引く。じりりとした感覚が全身を伝う。だけど、焦ってはいけない.。徐々に慣れていく。失敗しても良い。だから、ゆっくりと。

 視線は的の中央。中白を射抜く矢を想像する。焦りはない。ただ落ち着いて、弦から弓を放した。矢の飛ぶ音が一瞬、今までの緊張を打ち破る。的の方を見た次の瞬間、僕は歓喜が身体の内の内から湧き出てくるのを強く実感した。

 それを見た部長は微かにほほえみながらながら一言呟いた。


「ほら、的を射た」



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