▼29・縦横姫は戦場に立つ


▼29・縦横姫は戦場に立つ


 両軍は国境付近に着陣。周囲は山に囲まれているが、戦闘の中心となるところには、広大な平野が広がっている。くぼ地であり、遮蔽物や兵を伏せられそうなところはない。

 最低限の設営の設置を終えると、隊列を組んでお互いに進軍する。

 相手を撃砕し、打ち据え、その勢いを完全に無にするため。

 真っ向勝負のサイは投げられた。


 交戦状態に入る直前。

 本営から様子を見ていたフィリアは「これはまずい」と感じた。

 敵の士気が高い。こちらよりも更に、二回りぐらい高い。歩き方、面構え、武器の構えぶり、全てに気合が入っていることがうかがえる。

 数的には、一国単独の山麓国より、同盟軍側が少し有利なはずだが、この士気の上がりようでは、兵数の差を覆されるおそれがある。

「……これは予想以上だな」

 国王もぽつりと漏らす。

 密偵からの報せによれば、勇者アダムスが出陣前に演説を行ったという。その中で、武勲を挙げたものは積極的に昇進させ、俸禄を上げることや、上級の貴族や武官を討ち取った者には大量の褒賞金を奮発して報いること、論功行賞は誓って公明正大に行うことなどに言及したらしい。

 ただ夢と展望を述べるだけでも、アダムスの「勇者」としての権威で士気を上げることはできただろう。しかし、さらにそこへ、具体的な賞罰の話まで持ってきては、末端の兵卒としては、戦意を上げないでいるほうが難しいだろう。

 なお、アダムスによる粛清、官職の再編成等の影響を受けて、現在の山麓国は文武の役職に比して人員が少ない。だからこそ「積極的に昇進させ」ることができるのだろう。その引き立てを得た人間は忠誠心も期待できるだろうから、まさにいいことづくめ。

 勇者の反対者に私財を貯め込むものがそこそこいて、その粛清等の際に没収したようだから、褒賞金の奮発も充分に可能。あちらの兵卒は夢を見ているに違いない。

 フィリアにとっては悪夢でしかないが。

「これは、その」

「陛下?」

 聞くと、国王はきわめて冷静な言葉を口にする。

「わしがいま言ってはいけないような気がするが、これは、少しばかり、負けそうだな」

「お気をしっかりなさいませ、陛下」

 フィリアは焦る。総大将がこれでは勝つものも負ける。

「グスタフ殿たちが戻れば、さすがに兵力差と軍略で勝てます」

「戻るまでに……辛うじて耐えられはするだろう。しかし合戦を維持できない気がするな」

 壊滅ではなくとも敗勢に追い込まれる。そして戦力の分断をされた早風国らは、来たところで敗勢の余波、または勝勢の山麓国の余勢に圧倒され、効率的な戦いはできないのではないか、という予想。

 おそらく国王はそう思っているだろうし、フィリアも内心ではそう予測していた。

「そう……かもしれません」

「だろう」

「とりあえず退却に必要なことのうち、現在において、しても問題のないことをしましょう」

「退路を密かに確保、遅滞戦術の中心地点の選定、予備兵の配置といったところか」

「しかし陛下、あくまで全力で戦うことが第一の前提です。相手優勢としても、こたびの戦である程度、相手にも損害を与えなければ、正真正銘ただの徒労です」

「分かっておる。指揮は真面目にするつもりだ。だがな……」

 国王のつぶやきは風でかき消えた。


 両軍は敵を目前にし、互いに弓、弩、銃を放つ。

 矢が雨となり、破道の直線を描き、発砲音が重なって大轟音と化する。

 一通り撃ち終わると、戦列の歩兵が雄たけびを上げながら槍を構え、穂先を争いつつ正面から激突する。

 喚声が渦となって戦場を吹き飛ばさんとする。剣戟の音が激しい。

 生と死の狭間は、正義と正義の相互矛盾は、誰の目にもわかるほど鮮烈で、むごたらしく、それでいてここが現実であることをかえって実感させる。

 怠惰に眠るどころか、少しのゆるみさえも許さない。命の危険が、だけではない、むしろ命と国の命運の分岐点を見届けなければならないという、究極の原理が、戦場から意識を逸らすことすら禁忌とする。

 その両の眼で、本営で戦況をしかと見守り続ける数人は。

「やはり劣勢ですね。戦が深まれば深まるほど、その様子が見えてきます」

 フィリア。

「数的に有利な状況で、正面衝突で劣勢か……」

「それほど悲観されることではありません」

 フィリアはかぶりを振る。

「いやしかし、劣勢は劣勢だろうぞ」

「こたびの相手方の強さを支えているのは、あくまで士気の高さによるもの。練度や個人の技量、兵卒の根にある気質といったものは、密偵の情報によっても、またここからの観察によっても、大差ありません」

「それはそう、かもしれんが」

「褒賞や昇格は、そう何度も大盤振る舞いできないものでしょう。そうでなければ資金も役職も尽き果てますゆえ」

「とはいえ、この一戦……この一戦に希望はそう大きくないのではないか」

 上級貴族の言葉に、国王が継ぐ。

「早風国らのグスタフ殿、デルフィ殿などは、信頼できる軍略家や部将ではあろうが、凶賊の討伐にどの程度かかるかは未だ誰にも分からん。長引いて救援が遅れることも充分にありうること」

 これに縦横姫フィリアは、簡単と言わんばかりに返す。

「ならば次の機会をうかがえばよろしいだけのことです。早風国らの連合軍が、たとえ賊の掃討で遅参になるとしても、一報を告げれば我々の殿軍救援ぐらいは出してくれるものでしょう。貸しを作ることにはなりましょうが、まあ致し方ないことです」

「むむ、そうかもしれん」

「もし交渉が必要になれば私が使いに向かいます。必ず、縦横姫の名にかけて安全な退却戦を調整しますゆえ、慌ててはなりません」

「そうだな……そう言われたら信じるしかあらぬ」

「光栄です」

 彼女は当然のように信頼を受け取った。

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