▼26・零落歌姫


▼26・零落歌姫


 仕掛けられた時点では、単なるフィリアの策略連打の一環にしか思えなかったこの一手。

 しかし、皮肉にも、最もじわじわと効き、結果として大打撃を与えたのは、この流言だった。

 歌姫の歌は、妨害の果てに登り詰めたものだった。

 色恋に奔放な彼女らしい「勇者」アダムスへの接近の噂でもなく、彼女の野心を象徴する「豊穣の政変」への関与の風評でもなく、好敵手たちを卑怯極まる手で自由競争の場から排除した、という、嘘でもないただの暴露。

 シャーロットへの失望をあらわにしつつ、熱狂的な支持者たちが、一人また一人と、正気に戻り去っていく。

 歌姫の歌の質が下がったわけではない。彼女ののどから発される歌声は、妨害工作があろうとなかろうと、従前と全く変わりのないものであるはずだ。

 しかし、その歌声に乗っている情報が、変質してしまった。

 その歌が「商売敵を悪辣な手段で排除した人間から発された」という情報が、音波でも言葉でもなく、その本質に刻まれてしまった。

 人間とはぜいたくなものである。彼女の歌声を聞いていた人間は、性に放埓で、野心を抱えているという歌手の人格までも肯定していたのに、競争相手を蹴飛ばして放たれていたという、ただそれだけで、反感すら抱くまでになってしまった。

 きっとそれは、彼女の歌声の質にまで疑念を差し挟むべき容疑だったからだろう。

 実際の、透明で清らかで、繊細であっても決して曲げられはせず、国で並ぶ者のいない歌声は、全く何も変化していないというのに。

 熱は徐々に冷めていく。これまでの栄華がまるで夢や幻であったかのように。

 人は少しずつ去っていく。グスタフですら半分信じられないほど、あの熱があっけないまでにほどけていく。


 この状況に現政権側は、事の重大性を理解し、更なる「真相究明」と歌姫シャーロットの問責のため動き始めた……という体裁をした。

 実際は最初から歌姫つぶしのために、全てを策動し、あらゆる工作を展開していた。グスタフがこれを受けて何をしたかは言うまでもないことだった。

 直接急所に当たったのは同業者の妨害の報せだが、ここにきて勇者への接近や、豊穣の政変への関与とされるものも、徐々に再浮上し始めてきた。

 支持者が日増しに減っていく歌姫一党。勇者からはどうも噂とは裏腹に警戒されているらしく、あのアダムスが自ら弾劾演説を行っていたようだ。

 いわく。政変への野心と放蕩の限りを尽くすシャーロットは、淑女とは程遠い存在であり、その行いは一際大きな指弾に値する。自分がこのような人物を花嫁や仲間に迎えることは、天地神明に誓ってありえず、この歌姫にむしばまれつつある朝拝国には「同情の意」を示すと。

 もちろん朝拝国は、勇者が最後に述べた「同情の意」に対し、内政干渉につながりかねない旨を返し、あくまでも勇者側には与しないことを宣言した。

 もっとも……勇者アダムスは歪んだ「信念」の人ではあるが、立場的には実質上「一国の指導者」でもある。賢しらな側近その他に進言されて、担がれるべき存在としてシャーロットを起用することは、この先まで全くありえないとまでは言えない。

 ともあれ。

 かくして歌姫一党は完全に孤立した。機は熟したと判断した体制側によって、その首に賞金を懸けられ、国王が自ら、こう呼びかけた。

「いまこそ国賊たる歌姫シャーロット一味を討ち果たすときだ。彼女の人並み外れた、獣のような野心と、勇者にすら接近した放蕩ぶりに対し、いま、この時にこそ正当なる裁きの鉄槌を与えるべきだ!」

 民衆は大いに盛り上がった。

 かつて、ほかならぬ自分たちが、彼女を自由と芸術と美学の頂点にあるものとして、盛んに賛辞と喝采と憧憬を捧げていたことすら忘れて。

 彼女の本質が、昔から一つも変わっていないことを振り返ることもなく。

 ……グスタフはそれでよいと考えている。民衆というのはそういうものだ。勝敗には誰よりも聡く、盛衰には何よりも敏感で、わざわざ負け犬に味方する物好きはまずいない。

 だからこそ、そしてほかならぬ自分さえ、国と女王への忠誠は忘れずとも、利害得失をいつも計算している彼は。

 このような状況に陥っても、なおも彼女を盛り立てようとする最後の支持者たちを見て、こう思うのだ。

 まぶしい。

 一心に信じることは、それが何であっても清らかで。

 純粋というものはここまで人の心を打つ。

 そのほうが、常に現実の諸事に追われるよりも、よほど幸せなのだろう、と。

「主様、ひょっとして浮気してません?」

 いつの間にか隣に来ていたクリスティン。

 いまやわずかな支持者に対してのみ、賞金稼ぎに狙われる心配すらない、街外れの一角で歌い続けるシャーロットを見ていたグスタフ。

「浮気……誰に対しての? いや違うな。そうじゃない。俺がはかなく思っているのは、『姫君』ではなく、その取り巻きだ。なんでも自分の好きなものを、ここまで一途に信じられるのは、幸せなことだったのだろう」

「ふうん」

「俺はそういうふうには生まれなかった。計略には疑念を抱き、陰謀は暴き立て、目的のためには術計を練ることもいとわない。彼らとは心の質が、きっと違ったんだろうな」

 よく分かっていないであろうクリスティンは「とりあえず浮気を罰しておきますね」と言って、彼の足を蹴った。

「痛!」

 結局、浮気していないし恋人さえいないはずのグスタフは、従者に「ばか!」と罵られた。


 シャーロットはその後、ほどなくして、ほんのわずかな支持者とともに、いずこかへと行方をくらました。

 かつて政権を狙っていたほどの歌姫とは思えない零落。

 これに応じて、朝拝国もその捜索に注力した。いまや歌姫はただの犯罪者。

 彼女の勢力が保たれていれば、まだ野心的な過激派集団ではありえたかもしれない。

 しかし現実として、もはやシャーロットの支持者は大半が去り、政治的組織としての体裁を失い、どころか後援集団としての仕組みすら怪しい。歌姫の党派は、もはや零落のシャーロットとただの帯同者たちと化した。

 彼女を保護し、大義名分を得て反体制に転じようとする地方領主もいないようだ。

 当たり前である。シャーロットが勇者とすら結ぶかもしれない女だと知れた以上、生半可な覚悟では彼女と志を一つにすることはできない。

 地方領主が歌姫、ひいてはアダムスと結ぶということは、朝拝国の体制側のみならず、同盟関係にある春光国や早風国などとも事を構えることとなる。

 そこまでするには、地方領主たちは、覚悟も国力も、そして軍事力も足りない。

 そもそも全く必要のない覚悟でもある。

 閑話休題。ともあれシャーロットは、当局に追われつつ孤立無援の状態に陥った。

 この逃亡劇は、歌劇として成功するか否か。

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