▼24・めんどくさいということ


▼24・めんどくさいということ


 フィリアの次なる行き先は、朝拝国。

 しかしこの国、これまでの明乃国、馬前国とは違った事情を抱えている。

 一言でいえば、内部の政争である。

 一つはもちろん国王派。朝拝国の国王を中心とした勢力で、現在の主流派である。もしこの勢力が主流派でなくなるときが来るとしたら、それは国王が打ち倒され、または病でこの世を去り、もしくは国を追放されたときであろう。

 もう一つは「歌姫派」。「歌姫」とはこの国の元王女、シャーロットのことである。フィリアの身内と、奇しくも同じ名前である。

 元王女、同時に歌姫でもある。とにかく容姿端麗、歌唱が得意で、国民の前で何度も歌い、尊敬されていた。

 もっとも、シャーロットは国王の実子ではない。幼い頃に貴族の父が死に、幼いながらも爵位争いに巻き込まれた彼女は、結局、その時の政治情勢と今後の彼女の行く末を考えた国王に、養子に迎えられた。

 しかし物事はそう簡単にはいかなかった。

 彼女、成長してからの振る舞いはきわめて奔放で、一部の庶民からも眉をひそめられるほど放蕩の限りを尽くした。

 一方、彼女は歌という特技を身につけ、たびたび国民の前で歌を披露した。その腕前はどんな歌劇の名手でも、なかなか超えることのできないものだという。

 国王はそのような、放埓でありつつも求心力に結び付く特技を有する、小さなころから目をかけて育ててきた彼女の扱いに悩んだが、最終的に王室を追放し、王家の者としての籍を返上させるに至った。

 しかし彼女は、その透き通るような歌声とは異なり、内心は野望にまみれていた。

 歌と、持ち前のカリスマ性、艶、そして内に秘めた野心とともに、彼女は政治力等で民衆や各所に浸透し、政権を奪取しようとしているようだ。

 国王は、一時期大いに嘆き悲しんだようだが、いまはすでに対立の覚悟を決めており、迷いはないそうだと、もっぱらの噂である。

 ……もっとも、歌姫派は表立っての反逆をまだ起こしていないため、謀反人扱いはできないでいるようだ。

 シャーロットらは、政治的に、国王派に対して脅威を感じさせ続けているだけだという。

 ――しかしフィリアの見立ては少し違う。

 おそらく、現在は謀反、もとい武力によって禅譲を迫るため、かなり準備が整いつつある段階だろう。

 彼女が聞いた限り、シャーロットは自分の熱烈な支持者に対して、「身の危険が迫っている」などと吹聴し、彼らをして武装させ、部隊を編制、訓練を施すにまで至っている。

 これが文字通り「身の危険」に対する防衛策だとは、どう考えても思えない。

 もはや謀反の意を固め、準備を整えている。そうとしか考えられない。

 証拠はない。本当にシャーロットは国王派による襲撃、検挙等に備えて防御を固めているだけかもしれない。

 しかしフィリアの直感が、これは謀反の準備だと叫んでいる。どうしようもなく、朝拝国国王の希望的観測に反し、彼に刃が迫りつつあると、その聡明な頭脳が告げている。

 介入する。国王派に付き、歌姫派を滅し、その上で反勇者の同盟を結ぶ。

 彼女はグスタフと違い、積極的な介入を是とする人間だった。


 そして、国王にも悩んでいる素振りはなかった。

「歌姫派さえ排除できれば、貴国と同盟を取り交わすのになんの異議もない」

 きっぱりと。

「おお、そういえばグスタフの早風国やデルフィの荒海国なども、同盟の一員だったな。彼らとも相互に盟を結ぶのにも、何一つ異論はない。ただ、歌姫シャーロットを政治の舞台から排除できたらな」

「ありがたきお言葉。ですが、陛下、陛下は確か、歌姫様のことを幼少のころからお目をかけておいでだったはずでは……」

「それは言うてくれるな」

 彼は大きくため息をつく。

「確かに、あの子は目に入れても痛くないほどの、可愛い娘だったよ……しかし時は人を変える。変わってしまったのだ」

「放蕩、ですか」

「左様。男をとっかえひっかえ、およそ王族が行くようなところではない場所で、およそ王女たるものがすることではないことを、あやつは放埓にもやってのけた」

 フィリアには、歌姫シャーロットがそのようなことをするさまが想像できなかった。

 城に入る前、群衆に紛れて彼女は歌姫を見た。はかなげでありながらも澄み切った雰囲気、それでいて芯のある風貌で、これで歌まで上手いのだから、人がついてこないはずがない、彼女に求心力があるのはまずもって当たり前の帰結である、とさえいえる。

 あの彼女が男と遊び回っている、のみならず政治的野心をむき出しにしているとは、なんとも現実とは奇妙なものである。

「心中、お察しします」

 フィリアは社交辞令でなく、心の底から言葉を発した。

 彼女自身は男と遊ぶ趣味がないため、歌姫を理解できない。いや、それだけではない。彼女の外交術は実用のためだけに身につけた技能であり、歌唱とは一線を画する。また、フィリア自身の人望やら求心力は人並み程度であり、彼女に国が求めるのは個性というより外交の能力であるから、素行の悪さにもかかわらず強く人を惹きつけるシャーロットとは、まるで正反対。

 要するに、全く理解できない。

 理解できないが、理解しなければならない。なぜならフィリアは、歌姫シャーロットをこれから踏みつぶし、荒らし回り、政治から排除しなければならないからだ。

 フィリアが歌姫を叩き潰すためには、その力がどういった様相を呈しているのか、何にどれほど浸透しているのか、民衆の実際はいかに意見が分かれているのか、いないのか、そういった現実の様子を理解しなければならない。

 単に人を理解しようと努めるのとも違う。攻撃と排斥のための理解。ある意味でそれは、ただの理解よりも高次元であり、難しくもあり、そして指向性のある限定的な理解でもあった。

「フィリア殿よ、協力してくれるか」

 思うことは多々あれど、反対する理由はない。

「かしこまりました。ともに策を考えましょう」

 彼女はほぼ即答でうなずいた。


 しばらくして、朝拝国の王都、酒場に潜入していたグスタフは、ある噂を耳にした。

「歌姫シャーロットは勇者アダムスに心を奪われている……?」

「おうよ。なんでもべた惚れらしいぞ。歓心を買うためにこの国を売ろうとしているってな」

「買うために売る……売買の成立じゃないか」

「ハハ、言うなあ小僧!」

 荒くれ者たちがガハハと笑う。

 ……これは、フィリアの計略か?

 グスタフは自分の中で浮かんだ疑問に「いや、間違いなくそうだろう」と自らうなずいた。

 アダムスの思想は、要するに頑なな現状維持。色恋で寄ってきて国を売り渡そうとする女と、果たして手を組むものか。

 しかし、だとしたらなぜ、一気に掃討するのではなく、こんな面倒な流言を試みているのだろう。

 可能性は二つ。

 一つは、これから行うであろうシャーロット粛清に向けて、その正当性、言ってしまえば大義名分、建前の正義を確保するため。

 もう一つは、少しでも歌姫の味方を削り落とすため。

 きっと両方だろう。

「だけど、シャーロットが男遊びをするのは、今に始まったことじゃあないだろう?」

 解答を予想しつつ、荒くれの言葉を用いてグスタフが疑問を挟むと。

「きっとただの男遊びじゃねえ。俺にはよく分からねえが、政治的に後ろ盾になってもらうために、あえて情婦をするんじゃねえか?」

 思い描いたとおりの答えが返ってきた。

 しかしあの二人が組むはずがない。アダムス側だけの問題でもない。

 グスタフも、歌姫シャーロットについてはそこそこ調べた。彼女がそばに置いているのは、自分に忠実でどうにでもできる番犬、もとい奴隷に近い存在。かつて彼女が誘惑した男たちも、誰一人として彼女に尽くされる側ではなかった。

 そんなシャーロットが、秩序馬鹿でかつ誰の下にもつきそうにない勇者と、組むはずがない。

 勇者も勇者で、現状維持がうんぬんを措いても、放蕩三昧の一方で熱狂的支持者に支えられている歌姫を、忌み嫌わないとは思えない。彼の秩序は彼女の男遊びを嫌悪するだろうし、彼の対外政策においては、シャーロットの野心に基づいて動かされている支持層と、決して手を結ぶべきとは判断しないだろう。

 色香で誘惑?

 あのアダムスに効くとは思えない。彼が「正義」に忠実で色におぼれないのは、彼の内面において希少な、誰もが美点と認める美点であろう。

 とはいえ、この流言は上手い。政治的には断じてありえなくとも、多情で奔放な歌姫が新進気鋭の勇者に心奪われ、国を売るという構図は、一見してそれらしい脚本である。

 実際の政治的情勢とは裏腹に、この流言は成功する。

 下戸の彼は、ミルクを飲みつつ、個人的にはあまり好みではないシャーロットの姿を思い浮かべた。

 すぐに頭の中で、あの騒々しい従者クリスティンが立ち現れ、彼を蹴飛ばした。

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