▼21・遠き日の恩義
▼21・遠き日の恩義
フィリアが王宮の中に入ると、どこか警戒するような気配を感じた。
特定の誰かというものではない。王宮内全体が、明らかに彼女を異物として認識している。
……いや、異物は言いすぎか。強いて言い表すなら「外から来たもの」とか「内側ではないもの」、あるいは「根本的に異なるどこかから来たもの」といった具合だ。ただの「余所者」で済ませられる警戒心でもない。
やはり、この国は勇者寄りの国なのか。
彼女は努めて平静を装いつつ進んだ。
馬前国の国王と謁見した。
フィリアが同盟の話を持ち掛けると……。
「この国はかつて、勇者の国……山麓国に国難を救ってもらったことがあるのだ」
現在の勇者の生まれるはるか前ではあるが、その昔。
まれにみる大洪水で国が半壊した。人も物もあらゆるものを押し流し、その水流は破壊の限りを尽くした。
国家存亡の危機。
しかし、そこに手を差し伸べたのが当時の山麓国だった。金銭、労働力その他を援助してもらったのだ。
例えば、一部の橋や水車村を建てたり、農作物を救援物資として送ったり、牛馬を融通したり。
「古より恩義があるのだよ……わしも幼少の折から、よくその大きな厚意を先代から教えられたものだ」
国王はしみじみと言った。
しかしそこであきらめないのが縦横姫フィリア。
「過去にとらわれ、現在を見ないのですか?」
突然の反論に驚く国王。
「過ぎ去った時代ばかりを気にして、現在をその目で直視せざるは暗君の所業。そうは思いませんか?」
「この女、なんたる無礼を!」
側近がいきり立つが、国王は「よい」とだけ制した。
側近が剣から手を離すと、彼女は続ける。
「いま、世界を滅ぼしうる人間はどこにいるか、その両の眼を開かれてはどうでしょうか。現在を、害悪の存在を、その曇りを取り払った目で直視してはどうでしょうか」
言うと、緊急の使者がやってきた。
「お取り込み中失礼します。急報をお伝えします。勇者アダムスの手の者とみられる間者たちの手によって、『山麓記念』の橋と『友邦』の水車村が破壊されました。生産力を削ぐためと、脅迫のためとみられます」
「なんだと!」
国王が思わず席を立つ。
言うまでもなく、事前に仕込んでおいたフィリアの計略である。
実際に破壊したのはフィリアの命を受けた諜報の人員。勇者の配下であるという偽装を施した上で事に及んだのだ。
現場にはご丁寧にも、勇者直属の工作部隊であることを示す、紋入りの短剣、および山麓国の忠誠の証であるバッジのようなものを残していた。
――厳格な現状維持を至高の主義とするアダムスが、そのような真似、するわけはないと、冷静に考えれば分かるかもしれないが、場の流れはそうはならなかった。
「……これで彼らが、昔日の交友など何とも思っていないことがお分かりでしょう。アダムスは、友好の証を破壊することすらためらわない冷血漢です!」
「むむ、そんな……いや、少し考えさせてくれ」
言うと、馬前国の国王は、力なく玉座に座った。
いきなりでは、確かに反応もできないか。
それを見届けたフィリアは、使いの「こちらでお休みください。ご案内します」という指図に従った。
噂を聞きつけ、現場を見に行った二人。
その二人は誰か。
ほかならぬ、我らがグスタフとクリスティンである。
「ああ……、これはやっちまったな」
群衆に紛れ、グスタフががれきと化した橋と水車村を見やると、クリスティンも続く。
「まさか本当にやるなんて……あの女狐」
「声が大きい」
主が注意する。
「これは勇者の手の者の犯行だ。物証からしてそれは明らかだ。俺たちはそれを、認めなければならない」
「……そうですね。そうでした」
彼女は口をつぐむ。
「理由を説明しよう。この破壊工作はいつ行われた?」
「縦横姫フィリアが王宮に入ったときには、すでに始まっていたそうですけど」
「その通り。『女狐が国王の返事を聞く前から、すでに始まっていた』。あの外交女がやったというなら、それを実行する時期はもう少し後になるはず。俺たちは『そう思うのが当然である』」
実際はそれを見越して、あらかじめフィリアが工作部隊に命じていた、という確定に近い推測を、しかし二人は口にしなかった。
「物証もありますしね」
「物証だけではない、この破壊工作が行われた時期が、全てを物語るんだ。少なくとも俺たちは、その物語を『当然のものと思う』」
暗に、そうでなければならないという口調。自分たちに言い聞かせるかのように。
「しかし乱暴な真似だよな……こうまでするのか」
……フィリアが。
「ちょっとやり方が大胆すぎませんかね?」
……縦横姫が。
「まあ、嘆いていても始まらない。俺たちは今回の交渉の成否を、もう少し観察しなければならない」
「そうですね。注意深く、情報収集を続けることにします」
焼けた水車村の焦げた匂いが、少し不快だった。
一方、国王は側近と重臣のみを呼んで、力なくも問うた。
「どうすればよいのだろう」
一国の君主たるものが、この体たらく。
しかしこの場の誰も、国王を見限りはしなかった。
理由は知れている。山麓国との友好の証たる、橋と水車村が、余人が思うよりもはるかに、この国の国王や貴族にとって大きな存在だったからだ。
「フィリア殿が自ら破壊した……わけではないのでしょうな……」
「おそらくですが、彼女の謁見のずっと前に破壊活動は始まっておりました。彼女が仕掛けたにしては早すぎますぞ」
「ということは……我が国は勇者に、秩序による平和に値しないものとして、過去を含めて丸ごと切られたのだろうか」
「残念ながら、そうとしか……」
遠慮がちに重臣は言う。
「何が悪かったのか、とんと分からぬ」
「陛下」
気づかわしげに、一人が呼びかける。
「勇者アダムス様の考えなど、我々が詮索しても仕方がありますまい。あの方は、支持者からすら真には理解されていないに違いありません。思考が飛び過ぎているのです」
「むむ」
「とすれば、もはや勇者様についていく道など、探しようもありませぬ。あの勇者は、もはや常人の理解の及ばぬ存在です。一言でいえば、頭がどうにかしている」
「ブレン、それは」
「言い過ぎではありますまい。もはや誰も、勇者の意思を理解できませぬ。それっぽいことの熱に浮かされた追従者がいるにすぎませぬ」
一同は静かに聞く。
「一つに、勇者には最早ついていけぬこと。もう一つに、あちらのほうから友好の証を破壊したこと。この二つがあるのならば、もはや答えは決まったものでしょうぞ」
「反勇者同盟に加わる、か」
「左様。幸いにも縦横姫フィリア殿は、なかなかの敏腕との風評。いまこそその敏腕の結ぶ同盟に列するときでしょうぞ」
言うと、国王も平時の鋭い眼光を取り戻した。
「そうだな。そうでなければならぬ。明日、フィリア殿に返答をする。同盟を受けるとな」
「おお!」
「国王陛下のご意思、我ら全力で尊重いたしましょうぞ」
ここに、意は一つにまとまった。
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