▼20・肉親の祈りと追跡日和
▼20・肉親の祈りと追跡日和
少しのち、グスタフはこのことを明乃国と春光国の公式発表から把握するに至った。
「ついに明乃国が動き始めたか。少し前に『縦横姫』フィリアが何かを始めたと聞いたが、これだったんだな」
「そうですね」
しかしクリスティンはご機嫌斜め。
「これは、我ら早風国としても、状況を見つつ、同盟に加わらなければならないな。すでに同盟している荒海国とともに」
「そうですね」
「おいクリスティン、どうした、生返事なんかして」
「いやあ、早風国の若き俊英グスタフ様が『縦横姫』の色香にあてられて、変なことを考えないか、それが心配なんですよ、従者としては」
「何言ってんだこいつ」
「だってフィリア殿の活躍に大喜びだったじゃないですか」
ひたすら困惑するグスタフ。
「大喜びというか、今後どうするか、その選択肢が目前に迫っているんだぞ。反勇者同盟が起こり始めたというのは、つまりそういうことだ」
クリスティンはそこで背筋を伸ばした。
「大喜びじゃないっていうなら、私の、お、おっぱいを見てくださいよ。これでも従者より縦横姫のほうが大事ですか」
「えっ」
思わず巨大な乳を見るグスタフ。
それを見たクリスティンは大喜びで、早口で煽りつつ蹴った。
「痛え!」
「ほらやっぱり、主様は、グスタフくんは私の虜なんじゃないですか。素直にそうすればいいものを、下手に縦横姫なんぞに惹かれようとするから痛い目に遭うんですよ。あと主様はへんたいさんですね、ほんとうにへんたいさんですね!」
「お前大丈夫か……?」
グスタフはしかし、そこで真面目に検討する。
「ともあれ、確かに現段階では、軽率に動かず、様子見を続ける時期かもしれないな。もう一国、同盟の輪に加わったら、そのときあたりが我々も同盟に参加する好機だろう」
「ふふふ、主様はへんたいさんですね」
無視してグスタフは語る。
「もっとも、今回の同盟の報せは送らなければならない。各所に散らばっている適当な部下に、書簡を持たせるとするか。俺たちは引き続き内偵を続ける」
「そうですね、へんたいご主人様」
やたらニマニマしている従者を尻目に、グスタフは手紙に詳細を書き綴る。
「そういえば、どうやってフィリア殿は明乃国と同盟したんだろう。あの国は俺も少しだけ知っているけども、結構腰の重い国なんだけどな」
「わ、私もおっぱいとお尻は重いです」
「はいはい分かった分かった。……策略でも使ったのだろうか。同盟に最終的には加わるべきだとしても、少しばかり慎重にならないと、これは難しい局面だな」
彼は腕組みをして考える。
外はもう暗い。彼はねぐらで横になると、そのまま連日の密偵の疲れで眠りに落ちた。
フィリアの身を案じる者があった。
満天の星空の下……彼女の妹、シャーロットである。
「姉上……」
縦横姫の妹は、姉が見たら「何の役にも立たないことを」などと軽蔑するであろうが、瞬く星を見ていた。
フィリアは明乃国と同盟を結んだ後、一瞬だけ春光国に戻り、必要最低限のやり取りを国王と行い、またすぐにどこかへ向かったようだ。
ようだ、というのは、シャーロットにすらそのことを告げずに動いているからである。
寂しいことである。
血を分けた妹にすら、行き先も告げず、帰ってきた報告もなしに、さっさと次の仕事の場所へと向かう。
そう、寂しいのだ。
きっと自分は姉に、なんら気に留められていない。
それはシャーロットだけではない。フィリアは両親にさえ、なんの報告もなしに行ってしまったという。おそらく彼女は、肉親というものに何も期待していない。
それはなぜか?
そう聞かれれば、きっと答えは「生まれ持った才気」とするしかないだろう。両親は彼女の学びを、特に邪魔することもなく、そのまましたいようにさせていたらしいが、そういった環境まで含めて「生まれ持った何か」とすることも不可能ではない。
そして、その才気をシャーロットは持たずに生まれた。
縦横姫の妹は、姉と同じ才気を持つことなく、今に至っている。
出世をしたかったわけではない。勇者の出現という国難に際して、その腕を存分に振るいたかったわけでもない。
ただ、姉が何を考えているか、その才気は妹を少しでも気にかけているか、それが知りたかっただけだ。
この哀れなる妹は、ただ姉を理解したかっただけなのだ。
もはやそれもかなわない。いまから外交のなんたるかを学んだところで、きっと彼女はフィリアと同じ視点を有することすらできない。それが、その残酷さこそが、才気というものである、その程度のことはシャーロットにも理解できた。
だから彼女は星を見る。自分が何もできないことを知っているから、せめて星に肉親の無事を祈り続ける。
それは、姉の思考回路には決して浮かび上がらないであろうことだった。
縦横姫フィリアの次なる外交先は、馬前国。
自国である春光国の国王へ、報告をして細かい手続を託しつつ、家臣たちも含めた合議で次の行き先を決めた。
もっとも、春光国の家臣、というか同僚にとって、フィリアは不可能を可能にするような位置づけなのかもしれない。
なぜなら、馬前国は大昔にではあるが、勇者の山麓国に大きな恩義を受け、未だ国民や貴族の感情に影響が残っているとされるからだ。
それでもこの命令をフィリアに下したのは、ただの嫌がらせなどではないと分かる。
この国は地理的に、現在の春光国、明乃国双方に対し、その軍事行動について横槍が容易な立地であり、しかも軍事力も割と大きめであるので、同盟に基づく作戦行動を展開するにあたり、無視することができないのだ。
とはいえ、難しい主命であることは確かだ。いくつか腹案はあるものの、またも少しばかり高い壁に直面しそうだ。
彼女はその秀麗な顔を、馬車の中でわずかに曇らせた。
それを追う。農夫の変装をして荷馬車に乗った、農作物を売りに行く体裁のグスタフとクリスティンが。
会話を聞かれないよう充分に距離を取りつつ。場所によって装いを変え、乗り物まで変えて細心の注意を払いながら。
だが、それにしても。
「しかし全然気づかないんですね、あちらさんは」
「密偵に気づく能力がないんだろう。このまま馬前国の王都まで追尾できそうだな」
行き先はもう分かっている。といっても王宮で会話を直に聞いたわけではなく、彼女がかの国に行くという噂を捕まえ、その上でこれまでの経路から確認的に推し量った結果である。
「ですけど、本当に馬前国へ行くんですかね。相手が仕掛けた偽計じゃ?」
「俺もその線は常に疑っている。山麓国に少なからず縁のある国だからな、反勇者側に本当に引き入れられるのか、あの姫にそこまでの自信があるのか」
「でしょう。……でも偽計にしては、噂を流すのはともかく、実際にこれまで来た進路を考えると、手が込みすぎているんですよね」
首をかしげるクリスティン。
「その通り。もうここまで来ると、馬前国以外に相手が考えられない。外交は遠交近攻とはいうが、かといって国を二つも三つも越えて、関所で捕まる危険を何度も冒すとは思えないんだよな。あの言葉はそういう心配がない状況で通用するものだと、個人的には思っている」
「遠交近攻とか、主様はよく分からない言葉が好きなんですね」
「否定はしない。俺もあの格言の意味はよく分からない」
グスタフは頭をボリボリとかいた。
「おっと、貴族らしからぬ仕草ですね。頭をそんな無造作にかくなんて」
「下級貴族だし、今の俺は農夫になりきっているからいいんだよ。……そういえば」
彼は首をひねった。
「デルフィ殿もフィリア殿も、位としては下級の貴族だよな。……勇者アダムスは別にして……そういう人間が世界を動かしかけているというのも、なかなか奇妙ではあるな」
「グスタフくんも下級貴族でしょ」
「俺は、自分が世界を動かしているなんて出過ぎた考えは持たない。ただ生きるために、国を滅ぼさないために奉公する、それだけだ。アダムスの現状維持の思想は、手を打たなければ、世界と俺たちの国をいつか必ず滅ぼす」
彼は空気の冷え込み具合に体を縮めた。
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