▼18・外交の淑女


▼18・外交の淑女


◆◆◆第三章


 春光国。

 縦横姫フィリアの朝は早い。

「んん……いい朝」

 日が照っているとはいえ、風は肌寒い。

 外の木々もぶるりと震えた気がした……などとフィリアと同年代のお嬢様方は考えるのだろう。

 しかし彼女にとって冷える日は冷える日でしかなく、人間でもその集団が作り上げる社会でもないものに割く興味はなかった。一日が冷えるその機序ですら、彼女が素朴な問いを抱く対象ではなかった。

 もっとも、まあまあ、これぐらいの寒さがちょうどいい。彼女に論戦を挑む者がいるとしても、その冷えた空気で少しは論敵の勢いを弱められるだろうし、こちらの頭脳はいい具合に涼しさを保って切り込んでいける。

 彼女は寝台の温かさという誘惑をいともあっさりと切り捨て、貴族の正装に着替え始める。


 縦横姫。姫という二つ名ではあるものの、彼女は王族でもその遠縁でもなかった。正真正銘、ただの下級貴族である。

 一説には、大昔の建国の功臣「アルフォンス」から系譜がつながっているのだそうだ。しかし本流に対しては、分家の分家の分家ぐらい距離があり、もはやその豆粒程度の起源は、彼女にとってあまり意味をなさなかった。

「姉上、今日も『アルフォンス』の系譜の者として立派なお姿ですわ。私、やはり姉上を誇りに思いますわ」

 もっとも、この妹シャーロットにとっては、その豆粒程度の誇りが大事なようだが。

「そう。それはいいですね」

 きわめて適当な返事をする。それでもシャーロットは反感を抱かないという信頼をしているからだ。

 ……少し嘘があった。シャーロットが反感を抱いたところで、フィリアに傷一つ付けることができないからだった。

 フィリアが武芸に長けるという意味ではない。この妹に実行力がないだけだ。

「ふふっ、姉上は本当に私の誇りです」

「ありがとう。そろそろ行くわよ」

 彼女は淡々と返しつつ出仕する。


 フィリアは、武芸者ではない。優れた指揮官でも名うての兵法家でもない。内政も格別には得意ではない。勇者アダムスの内政がデタラメなのは十二分に分かるが、かといって素晴らしき辣腕を振るえるわけではない。

 彼女が二つ名まで称されることとなったゆえんは、主には外交……「縦横術」の使者としての力量である。

 ……この書き方ですら、正確ではなかったかもしれない。

 外交の使者としての技量もあり、また組むべきものと圧力を掛けるべきもの、そして滅ぼすべきものの取捨選択、つまり外交戦略の立案に明るい。

 この辺を総称して「縦横術」の姫とまで呼ばれているのだ。

 ただし、彼女の麗しき容姿がなければ、「姫」とまでは呼ばれなかった、と考える者も多いようだ。彼女自身にはどうでもよかったが。

 一番乗りで評定の間に出仕――戦で一番槍ができない以上、せめて評定の間には一番乗りをしたいという思いがある――した彼女は、まだ誰も、国王すらいない部屋に、その透き通る声を響かせる。

「おはようございます、フィリア参上いたしました!」


 今日の議題は。

「我が春光国は、勇者派と反勇者派、いずれにつくべきか」

 お馴染みの話題であった。

 他国でも論争が行われているが、お馴染みとはそういう意味ではない。

 この国でもまた、連日にわたってこの議題が論じられ続けてきているのだ。

 現在のところ、他の、例えば内政の諸事は、それぞれの研究室の長が国王に代わって採用、不採用を決めている。勇者の台頭が喫緊の課題ということで、国王がそちらの決裁をする余裕がないのだ。

 しかしそれでも、どうしても国王や評定によって決められなければならないことが出てくる。仕方のないことだ。

 したがって、国外の刻一刻と流れる情勢によってのみでなく、国内の政治の都合のためにも、結論は早急に出されなければならない。

 アダムスの徹底した現状維持の思想にもかかわらず、皮肉なことに、情勢はあくまで刻々と流れ続ける。

 ともあれ縦横姫フィリアは、この問題に対し、いままで静観していた。

 自分の得意分野で、なぜ手をこまねいていたのか?

 そうではない。連日の同じ議題によって、他の者を消耗させ、やがて出される自分の意見が通りやすくなるように、あえて静観を貫いていたのだ。

 短くいえば、機を待つと同時に、体力を温存していたのだ。

「勇者の勢いは強い。内政がおかしいとはいえ、ここは素直に大きな波に乗るのが正道ではないか」

「あの勇者が、その身勝手な政治で世界を荒廃させないという保証はない。少なくともこの国をぼろきれのようにしないという確証はどこにもないのですぞ。先日の早風国と荒海国の同盟も、一部ではそのような歪んだ勇者に対しての共闘の約束ではないか、とも言われておることですしな」

 ここが勝負の時か。

 フィリアは突如として声を張り上げる。

「皆さま、恐縮ながら大いに申し上げます!」

 その鋭い一声に、場が鎮まる。


 勇者というものは、確かに戦には強く、術策にも長けた謀略家でありましょう。しかし彼に世界の長となる素質は、これっぽっちもありません!

 それは内政への愚かさだけではなく、父たる国王を殺め、その罪を勇士ノルンに押し付けたこと、わざわざ世界中に宣戦布告し、それまでかろうじて安定していた天下の情勢をいたずらにかき乱したこと、そして己を省みることなく独善を朗々と語ること、奴のあらゆる行いから感じられることでしょう。

 いや、仮にも一国の貴族や官吏であるならば、それを必ず感じなければなりません!

 私たちは、この理性を失った虎あるいは狼から、少なくとも自国を守る、その策を講じるべきです!

 それも早急に、いますぐにです!

 まだ世界は、どうにか勇者派に有利にはなっていません。傷が手遅れになる前に、同盟を結べる勢力とは余さず結び、もって勇者を包囲しその命を断たなければなりません!

 その使いは私が行いましょう。全てはこの縦横姫を信じてください!

 もう一度申し上げます。勇者の偏執的なまでの現状維持の主義は、一刻も早く、理性の同盟によって、再起不能なまでに打ち砕かれなければなりません!


 一同は黙って聞いていた。質問や異議を発する者もなかった。

「その通りだ、フィリア」

 国王がうめくように言う。

「結論はそうでなければならない。非の打ち所がない。決まったな」

 彼は見回して尋ねる。

「異論のある者はあるか」

 誰も手を挙げない。

 実のところ、フィリアは人脈の力も有しているため、結果的に派閥持ちのような政治力を持っている。それもまあ作用しているのだろう。

 彼女自身はあまり自己以外の力を認めたくなかったが、あるものはとりあえず利用すればいい、そうするしかない。

「よし、では今後は、勇者と戦うことも辞さぬ覚悟で事に当たるとしよう」

 国王はうなずいた。

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