▼05・ノルンとダックス
▼05・ノルンとダックス
自室に戻ったアダムスは、沸き立つ群衆の声を思い出し、確信した。
自分は全く間違っていない。
自分は秩序の守り手として、正義の現実化を行っている。そうでなければ、民の熱い声援を受けるはずがない。
彼の頭には「衆愚政治」に類する概念がなかった。
これ自体は無理もない。まだこの世界では、民衆の声が国を危うくすることがある、という知見はまだ発見されていなかったからだ。
むしろ、良き為政者は民の支持を集めるという、あまりにも単純な解釈が大手を振って歩いている時代だった。
ともあれ、彼はノルンらの危機感とは対称的に、自分の偏執的な信念をより深める方向に進みつつあった。
民衆がもう少し冷静であれば、あるいはその後の運命も変わったかもしれない。
議院。ひりつくような空気。
「本日の議案第一号。アルトリ村のいけにえの習俗を禁止する命令の発出について。提案者リーベン殿、ご説明をお願いする」
「……御意」
アルトリ村では、河川氾濫の季節になるたびに、水神にいけにえを捧げる。具体的には、水神のほこらに若い女性を食料等無しで閉じ込め、死に至らしめる。
村側はこの捧げものによって、水神の怒りを収めさせ、氾濫を最小限に抑えてきたと主張している。
「しかし、これが迷信による、ゆえなき殺人であることは、我々からみれば明らかでありましょう。河川の氾濫の原因は、治水の不備、大雨、山林の土壌ほか多数あれど、あくまで王国の地学研究の中で説明できるものに留まります。アルトリ村の場合も、すでに地学研究室がいくつかの合理的な説を提示しておりますゆえ」
「なるほど、確かに以前から報告が上がっているな」
国王がうなずく。
聞いていたノルンは、国王がまともな側にいる、いつづけることに少しだけ安心した。
「然り。ゆえにこのいけにえの慣習は、いたずらに人を殺し、迷信のもとに不条理な死者を出す、悪しき習俗であり、王命による禁止に値するものであります」
そこで、禁止令にともない、地学研究室などから人を借り、村へ氾濫の仕組みなどについて説明に向かわせ、もって禁止令の実効性を確保する。
一見して明白な正しさ。異論を出す余地が見当たらない正論。ノルンにはそう思えた。
しかし勇者にとってはそうではなかった。
「異議があります」
一気に場の空気が張り詰める。
「地学上の不合理というのは、都市の人間の決めつけにすぎない。その村にとっては、いけにえにより川の氾濫を止めるというのが、正しい『秩序』なのではないか。さらにいえば」
勇者は続ける。
「都市の人間が、『無知な地方人』に合理性とやらを上から教えてやる、などと、傲慢極まる態度だ!」
大声が議院に響き渡る。
「虫唾が走る! 都市に染まった人間は、当たり前のように己の小賢しい見識を振り回す。地方の村が、歴史によって積み重ねてきた正当性を、幾年にもわたって確立した『秩序』を、いとも簡単に踏みにじりたがる!」
「勇者様」
評議員の一人が制しようとする。
「地学研究室は実験と観測と、それこそ古くから積み重ねてきた学説や知見の上で、アルトリ村の河川氾濫を分析しています。その見解は、上からでも小賢しい見識でもなく、今までの偉大な先人たちと学者たちが必死に手探りし、積み上げてきた科学によるものですぞ。怪力乱神による説明を離れ、世界を論理で説き明かす営みです」
「だからなんだ!」
勇者は再び激昂する。
「科学も結局は都市人の論理にすぎない、アルトリ村の論理ではいけにえの儀式が正しい、どちらも対等な道理というものだろう、科学が勝るとするその態度こそが、まさに上からの押し付け、地方人を無知蒙昧と位置付ける暴挙ではないか!」
全く話を聞く様子がない。
しかも今回は。
「全くもって勇者様のおっしゃる通り。科学だけが道理ではないぞ!」
「村の意思も最大限尊重すべきだ!」
勇者を担ぎ上げたい勢力によって、さらに場はかき乱された。
ノルンは頭を抱えたが、父ダックスもうなだれているのを見た。
「村に理屈を押し付けて満足するのは、そのちっぽけな自尊心だけではないかね!」
「だからといって、いけにえを今後も続けさせろというのか、ふざけた内政だな!」
お互いに熱を帯び、議論にならない状態。
結局、一同の熱を冷まさせるために、国王が強引に途中散会を指示し、仕切り直しをした。
しかし、仕切り直したにもかかわらず、議論は変わらず白熱し、ついには当分の間の評議延期とまでなってしまった。
その日の夜、またダックスとノルンは、今後の立ち回りを相談するために重臣たちの密談を開いた。
「あの勇者様、もう駄目ですな」
あまりにも真っ直ぐすぎる意見は、ダックスのもの。
「ダックス殿、あまり軽率なことは」
「軽率なのは勇者様でござろう。毎度、見かけだけ美しい理屈で正解への道をかき乱し、政治を滅茶苦茶にして頭の足りない取り巻きを増やす。これを嘆かずに、いったい何を憂いればよいのです?」
彼はため息をつく。
「理屈は通っており信念もおありのよう。しかし野盗放置といいアルトリ村の『秩序』尊重といい、出す結論があまりにも常識から飛んでおられる」
他の貴族が疲れたような声を上げると。
「然り。無能な働き者といわざるをえませぬ」
ダックスが強気の弁。
「ダックス殿、またそのようなとがったお言葉を」
「ほかに形容する言葉が見当たりませぬ。勇者様はまさに脅威、国を内から滅ぼす、取り出して捨てることの難しい病巣でございましょう」
「捨てるなどと……」
ダックスは机に強くこぶしを叩きつけた。
「言葉の美しさうんぬんはもういいのです。それでは勇者と同じだ」
「むう……」
「勇者はこの国にいてはならない脅威です。もはや我々貴族が結束して勇者の地位を剥奪、王太子からの廃嫡を国王陛下に突き付けるしかございますまい。代わりは、幼少ながら第三王子もいらっしゃることですからな」
ノルンはそのそばで、父の決意に「ついに……」と息をのんだ。
「しかし、それほどまでに……いや、このリーベン、強く賛同いたす。協力を誓いましょうぞ」
「リーベン殿……いや、それがしも力を合わせよう」
「事ここに至ってはやむなし。今の勇者をそのままにすれば、間違いなく国は滅ぶ。特にあの方が国王の地位を継いだ後は、考えるのも恐ろしい。私も手を貸しましょうぞ、ダックス殿」
「諸君、恩に着る」
ダックスは深く頭を下げた。
「とはいえ、この面々のほかにもう一人、有力な後押しが欲しいですな。……黎明公シリウス殿あたりが味方に入れば百人力ですな」
「王室に因縁がおありの方ですな。本来はあの方が王位を継ぐべきだったとかなんとか」
「それはそれで別の問題がありますが、まあ、最有力の貴族には変わりありませぬ。シリウス殿に大いなる、あるいは穏やかならざる野心があるかは分かりませぬが、いずれにしても、勇者が暴れ回るこの現状は、どうにかしなければなりませぬな」
「然り。我らは我らで、各々力を注ぐべきでありますが。シリウス殿への交渉は私、ダックスが担当しましょうぞ」
「引き受けてくださるか」
「もちろん。言い出した人間の義務というものでしょうぞ」
ダックスは力強くうなずく。
「お心強いお言葉。わしらも可能な限り他の引き込みをいたしますゆえ、ダックス殿はぜひその任を頼みますぞ」
「承知した」
夜は更けていく。
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