大衆食堂1

 目が覚めると、アニエスの目には昔から見慣れた天井が映った。そうだ、自分は昨日から実家に泊まっていたんだと思い出す。


 一階に降りると、良い匂いがする。フォスティーヌが朝食を作ってくれたようだ。

「おはよう」

「おはよう、アニエス」

「おはよう、ご飯出来てるわよ」

 ジョズエとフォスティーヌが優しい笑顔を向けてくれた。


 朝食を食べ終えると、アニエスは調理場で食器を洗う。

「今日は、店の方を手伝うっす」

「いいの?体を休めるという理由で帰って来たんでしょう?」

「身体を動かす方がリフレッシュ出来るっす」


 しばらくすると、アニエスは緑色のワンピースに白いエプロンを着けた姿で、食堂の接客を始めた。

「お、久しぶりだな、アニエス」

「一段と別嬪さんになったな。……ところで、お代はツケでいいかな?」

 常連さん達が次々と声を掛けてくれる。アニエスは、この店の雰囲気が好きだった。


 アニエスが料理を取りに厨房に行くと、フォスティーヌが困った顔をした。

「あら、野菜が足りなくなりそうだわ」

「私が買って来るっす。その間、お母さんに接客をお願いするっす」

 アニエスは、エプロンを外しながら言った。


「気を付けろよ。この辺りは比較的治安が良いけど、人身売買が行われている話も聞くからな」

 ジョシュアが、眉根を寄せながらアニエスに金を渡す。

「分かった」

 アニエスは頷くと、店を後にした。


 アニエスは市場のある通りを歩きながら、辺りを見渡していた。ここに来るのも久しぶりだ。

 野菜を沢山買って帰る途中、親子らしい二人連れがアニエスの目に留まった。四十代くらいの男と、黒髪を縛った十歳くらいの少年。男は、少し怯えたような表情をしている少年の手を握って歩いている。アニエスは足を止めて、しばらくその二人をじっと見つめた。そして、二人に近付くと、声を掛けた。


「あれ、もしかしてエリクじゃないっすか?」

 エリクと呼ばれた少年は、振り返るときょとんとした顔をした。

「こんな所で何してるっすか?そちらの方は?お父さんじゃないっすよね」


 少年を連れた男は、面倒臭そうに言った。

「何だ、嬢ちゃん、こいつの知り合いか?こいつは、今から商家に働きに出るんだよ。こいつの親が借金しててな。こいつが働かないといけないんだ」

 男は商人のような身なりをしているが、金貸しか何かだろうか。


「十二歳未満の子供の労働は、法律で禁止されてるはずですが」

「王族の許可があれば問題ない。ちゃんと許可証もある」

 そう言って男は、一枚の紙切れをアニエスに見せた。一見本物のように見えるが……。


「これ、偽物っすね。フレデリク殿下が許可した事になってますが、フレデリク殿下の筆跡と違うっす」


 男は、動揺しながらもアニエスに反論しようとした。

「な、何でお前にそんな事が分かるんだ!嬢ちゃん、貴族でも何でもないだろう?」


「貴族になる予定ではあるけどね」

 不意に第三者の声が聞こえ振り向くと、そこには平民の服を着たエルネストがいた。

「殿下」

 アニエスが目を見開いて呟く傍ら、金貸しらしい男はサッと顔色を変えた。エルネストの顔を知っていたらしい。


「殿下、どうしてこんな所に……」

 エルネストは、アニエスの問いに笑顔で応える。

「君に会いたくてね。ご両親に聞いたら、買い物に行ったっていうから、視察を兼ねて市場に来てみたんだよ。まさか人身売買をしている金貸しと出くわすとは思わなかったけど」

 エルネストは、打って変わって怖い笑顔で男を見つめる。


「くっ……」

 偽物の許可証を持っていたし、言い逃れは出来ない。男は、キッとアニエスを睨むと、懐からナイフを取り出した。


「お前が声を掛けてこなければ……!」

 男がアニエスに向かってくる。アニエスは、野菜を入れた大きな籠から木刀を取り出すと、男の手からナイフを叩き落とした。


「逆恨みは勘弁して欲しいっす」

 アニエスがそう言った所で、衛兵達が駆け付けて来た。男は、成す術もなく連行されていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る