番外編:元聖女様は酒乱?②

「ちゅーって、しゅきな人同士でするんれすよね? じゃあちゅーしたら私のらいしゅき、もっと伝わりますよね?」


 いうなり、アンジェはシャルロットの顔を自分のほうに向けさせると更に顔を近づけてきた。愛しい少女の顔が視界いっぱいに広がる中、シャルロットの脳は一時停止の後猛回転を始める。


 ――アンジェ様が、あのアンジェ様がお酒の力もあってとはいえここまで迫ってきてくださっているのに、わたくしは無下にできまして? そうですわ、わたくしは既にアンジェ様に身も心も捧げると決めた身。ならばこの場でのアンジェ様のお望みを叶えることが最優先ではなくて!?


 と、一度は心に決めるのだが、いざ目前に迫ったアンジェの、理性を失ったような瞳を見てしまうと。


 ――や、やっぱり駄目ですわ! こういうものはきちんと手順を踏みませんと! それに、アンジェ様こそが一番そこにこだわりを持っておられましたのに、わたくしがそれを破るお手伝いをするなど……!


 固まったはずの決意はあえなく霧散。答えが出ない至高のループを延々と回り続けるだけだった。


 マズい。本当にマズい。キス自体は婚約しているわけだからセーフだとシャルロットは思うのだが、普段のアンジェはそのあたり奥手というか、結婚まではちょっとという方針をここまで貫いていた。それが酒の勢いで破られそうになっているのは看過できない。あとシャルロットとしても、ファーストキスが酔った勢いでというのはちょっと考えどころだ。


 ただ、何がマズいかと言えば――アンジェから迫られて、まるで彼女に降伏したかのようにまったく身動きが取れない自分が一番まずい。


 アンジェの瞳が瞼の裏に隠される。アルコール交じりの吐息すら甘く感じるのは、シャルロットの本能が彼女を求めてしまっているからだろうか。


 ――あぁ、アンジェ様……貴女のこだわりをお守りできないわたくしをお許しくださいませ……!


 胸中に懺悔の言葉を残したシャルロットも瞼を閉じ、軽く顔を上向ける。心臓が痛いほどに激しく脈打っているのに、アンジェの微かな呼吸音がハッキリト耳に届く。二人の間に僅かに残された空気越しに、相手の体温が伝わってくるのを感じる。


 そして、その気配が――シャルロットの顔の横を通り抜け、ポスンと胸に何かの重みが掛かった。


「……?」


 本当に、本当にすぐそこまで来ていた気配が消え去ったことをいぶかしんだシャルロットが目を開ければ。


「すー……すー……」


 シャルロットの胸に顔を埋めて、アンジェは幸せそうな寝息を立てていたのだった。


「……セーフ? これ、セーフで良いんですの……?」


 アンジェのこだわりを守れたことへの安堵と、ここまで来てお預けを食らったような悲しみやら切なさがごちゃ混ぜになり、シャルロットは何とも言えない表情で呟くのだった。


 その翌日。


「だから申し上げたでしょう。シャルロット殿下には刺激が強すぎると」


「だとしたらもっと強く止めてくださいまし!」


 自身の執務室に呼び出したメリッサがいつも通りの無表情でのたまうものだから、シャルロットはつい声を荒げていた。


 あの後健やかに眠るアンジェをベッドに運び自身も床に就いたのだが、アンジェが迫ってきたときの表情が忘れられずに一人悶々とした夜を過ごした。翌朝対面したアンジェはその時のことを全く覚えていない様子で、いつも通りに微笑みかけてくれるものだから罪悪感がすごかった。


「もう、アンジェ様を拝見するだけで昨晩のお姿が蘇ってきて……仕事が全く手に尽きませんわ! どうしてくれますの!?」


 姿だけではない。何ならこうしている間にも、何度も浴びせかけられた糖分たっぷりの『シャル様しゅきー♡』が勝手に脳内で無限リピートされていて全く思考がまとまらないのである。ここまでアンジェのことしか考えられなくなったのは久方ぶりかもしれない。


「ご自身の判断の結果かと」


「うぐっ」


 そういわれると弱い。そもそも酔った表情が見たいと押し通したのはあくまでも自分であり、メリッサも一応止めてくれてはいたのだから。


 はぁっと大きなため息をつきつつ、シャルロットはメリッサに問いかける。


「……アンジェ様、お酒を呑まれるといつもああなられるんですの?」


「公的な夜会の場では普段通りですので、ごく近しいものの前でのみと思われます。その代わり、仲の良い教会の巫女を何人もほめ殺して落としたり、私に対しても普段の数百倍以上の勢いで甘えてこられますので、念のために禁止しておりました」


「……あれは禁止しておかないと、不幸な想いを抱く方が量産されてしまいそうですものね……」


 やはり、長年彼女に仕えている侍女の忠告はきちんと聞くべきだったということか。


「私としてはアンジェ様にたじたじなシャルロット殿下を拝見できて大変愉しませていただきましたが」


「なかなかいい趣味してますわね、貴女」


「立場逆転って良いですよね。普段はシャルアンなのが特定の場合にのみアンシャルになるというシチュエーションからしか摂取できない栄養がございます。私としてはもっと積極的にアンシャルの可能性を開拓していただきたいところですね」


「……そのためにあえて強く止めなかったと?」


「さぁ、どうでしょう」


 シャルロットのメリッサ評が、『アンジェ好きの同士』から『カプ厨のやべーやつ』にランクアップした瞬間であった。


===


 というわけで、番外編も以上です。本編とは一切関係ないのであしからず。


 アンジェの酒乱疑惑が出たのは「第44話:お揃いの髪飾り」でしたね。この時思いのほかリアクションをいただけましたので、どこかに差し込みたいなと思って温め続けてきたネタをここに放り込みました。お楽しみいただけましたでしょうか?


 普段変態ムーブでぶっちぎってるシャル様を翻弄するアンジェ、いいと思うんですよ。メリッサじゃないですがアンシャルの関係性もどんどん開拓していってほしいですね。


 さて、実はこのタイミングで番外編を設けたのには理由がありまして、次の話から第4部、第12章に突入するのですが、しばらくの間重めなエピソードが続く見込みになってます。

 今作の中でも最も重い展開になるので、ここでセーブポイントを作りたかったというわけですね。


 というわけで、以降の展開で糖分が不足してきたらぜひこの番外編に補充しに来てくださいませ。

 一応明言しておくと、悪いようにはなりませんのでご安心を。


 それでは、次章をお楽しみに!


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