第92話:少しだけ変われたよ
「……そっか、アンジェちゃんって、聖女様だったんだね。おまけにシャル様と婚約されてるなんて」
シャルロットとともにルシールの工房を訪れたアンジェは、自分の正体を彼女に打ち明けた。既に帝国に居所を知られた以上、下手に隠し立てする必要もないという女王の判断に従った措置だ。
この事実は既に王城内に向けては公表されており、王国民にむけてもそう遠くないうちに、シャルロットとの婚約と併せて正式に発表される予定である。
「黙っていてごめんなさい。誰にも言えなくて……」
アンジェが申し訳なさそうに頭を下げると、ルシールはぶんぶんと首を大きく左右に振った。
「うぅん、全然! そりゃそんなこと簡単に言えないだろうし! ……あ、でももしかして私、アンジェ様とかアンジェ殿下って呼ばなきゃダメかも? じゃなくてダメでございますでしょうか!?」
「ちょっ、そんなのいいですから! 今まで通りでお願いしますっ!」
「ふふふっ、冗談冗談♪」
「も、もうっ……!」
ニコニコと笑っておどけて見せるルシールにつられて、アンジェもつい頬が緩む。ここしばらく張りつめっぱなしだった心に、彼女の明るさが沁みるようだ。
「……それにしても、驚かないのですわね? この話を聞いたものは皆、大なり小なり衝撃を受けるものなんですけれど」
二人の様子を見守っていたシャルロットが首をかしげながら問いかけるが、それに対するルシールの回答は実に彼女らしいものだった。
「だって、アンジェちゃんが過去に何をしてたって、アンジェちゃんはアンジェちゃんでしょう? 私にとっては何も変わりませんから!」
「……ふふ、それでこそルシールですわね」
「ちょっとー、それ褒めてますー?」
「当然ですわ。素直に喜びなさいな」
「ホントですかー? なーんか違う気がするんだけどなー?」
「……ふふ、あははっ」
不満げに唇を尖らせるルシールが面白くて、アンジェはつい吹き出してしまった。
「ちょっとちょっとアンジェちゃんまでひどくない!? そんな子にはお仕置きだー! こちょこちょこちょー!」
「ちょっ、ルシールちゃんやめ、ひゃ、あはははっ、く、くすぐったいです~!」
「良いですわルシール! そのままアンジェ様をヒィヒィ言わせて差し上げるのです!」
「シャル様はどっちの味方で――ひゃははははっ! やめ、やめてください~っ!」
くすぐりの刑は大変疲れたが、アンジェの心は充足感に満たされたのだった。
その帰り道。王城へと向かう馬車の中、アンジェはぼんやりと空を眺めていた。
思い起こされるのは幼き日の記憶。自室でおとなしく留守番しているしかできなかった、無力な自分。だが、前にそれを思い出した休暇帰りの時と今では、まるで心持が違う。
――私、少しだけ変われたよ。ちゃんと自分の意志で、ここにいたいって決められたよ。
正直、この決断が正しかったのかはアンジェにはわからない。
ロランスから「帝国を見捨てるのか」と問われた瞬間、大切に育ててくれた村人たちや、メリッサのように優しく接してくれた教会の巫女たちの顔が脳裏をよぎった。悪いことばかりじゃない。嫌なことばかりじゃない。だからこそアンジェは、帝国の全てを見離せないでいる。
だが、きっとこれが『選ぶ』ということなのだ。そうしなければならないからとか、そうするのが当たり前だからとかそういう者じゃない、自分の意志で選ぶということなのだ。この痛みも受け入れて進んでいくことが、自分には必要なんだ。
――だから大丈夫だよ、あの頃の私。
記憶をなぞるように目を閉じると、頭の上にやさしい手のひらが降りてきた。
「あまり気負いすぎないでくださいませ。わたくしが傍におります。アンジェ様の辛いも、苦しいも、わたくしが半分受け持ちますわ」
自分を後ろから抱きかかえるシャルロットは、いつものようにアンジェが最も心地よく感じるリズムで頭をなでてくれる。こうされるとすぐに瞼が重くなってくるから不思議だ。
「……シャル様……」
アンジェは小さな声でシャルロットの名前を呼び、そっと目を閉じた。シャルロットの指が髪をなぞるたびに、胸の奥に絡まった不安が一つずつほどけていくような気がした。
――好き……。
心の中でつぶやいた直後、アンジェの脳裏に何故か金色の髪の小さな女の子の姿が浮かび上がる。その姿はぼんやりとした光に包まれて判然としないが、どこかすごく懐かしいような、あたたかいような、そんな雰囲気をまとっている。
――だれ、だっけ……? あぁ、でも、もう、眠いや……。
考えをまとめる間もなく、アンジェは夢の世界へと旅立っていったのだった。
◆
時を同じくして。
ドゥラッドル帝国皇城の客間で、ルイ・シュヴァリエはその報を待っていた。
――そろそろ使節団からの第一報が着く頃かな。真の聖女・アンジェを取り戻した、とね。
ルイはにやりと口角を上げる。
実の妹までも利用して集めた情報を売り渡してからというもの、ルイは国賓級の待遇で持って皇城に迎えられていた。当然だ。国の未来を左右するような貴重な情報をもたらしたのだから、何ならこれでも不足しているくらいである。
その分、ルイはロランスから直々に魔道具販売の許可を取り付けることにも成功している。聖女奪還の暁にという条件付きではあるが、そんな条件などあってないようなものだと、ルイは確信していた。
帝国と王国の力関係は昔から帝国側に傾いている。何せ重ねてきた歴史が違うのだから。クレマン王国は確かに帝国に比肩する豊かな国だが、その一点はどうあがいてもひっくり返せない。どのような交渉が行われようと、結局聖女を取り返してくる――ルイはそう、信じて疑わなかった。
――ようやくだ。ようやくこれでスタートラインに立てる。見てろよ
ルイの瞳は対面の壁に向いているが、その実見通しているのは野心に満ちた未来だ。皇帝でも国王でもない自分が両国を裏から操り、莫大な富と名声を得るという、希望に満ちた未来。そのためなら、たとえ妹が大切そうに語る友人で会っても差し出すことはいとわない。
――本当、魔道具開発以外にあいつが使える日がくるなんてね。じきに忙しくなる、せいぜい僕のために働いてもらおうじゃないか。
妹の前では決して見せない卑しい笑みを浮かべていると、客間の扉がノックされた。
――ついに来たか……!
昂る心を押さえつつ平静を装って入室を許可すれば、皇城の衛兵が二人組で入ってきた。ルイがそれをにこやかに迎え入れた、直後。
「ルイ様。……いや、ルイ・シュヴァリエ。貴様を罪人として拘束する」
「……は?」
何かの聞き間違いかと思った。罪人? 拘束? 何の話だ? 誰かと間違っているのではないか? ルイは本気でそう思った。
だが目の前の衛兵はまっすぐルイへと向かってきて即座に両脇を固め、立ち上がらせようとしてくる。そこまでされてやっと、ルイはこれが現実だと気づき、慌てて声を上げた。
「ま、待て! 罪人? 僕が? いったい何の話だ?」
突然の事態に混乱するルイに、衛兵は冷たいまなざしを向ける。
「何を白々しい。貴様は偽の情報を売りつけて我が国の混乱を助長した。おかげでロランス殿下が直々に出向いたにもかかわらず、真の聖女様とは出会えずじまいだったそうだ。どう責任を取るつもりだ?」
「なっ……!? そ、そんなはずは。確かに王都には聖女が――」
そこまで言いかけて、ルイは一つの可能性に思い至る。
もし、もし万が一、王国との交渉が決裂したとしたら。皇子が自ら出向いたにも関わらず聖女を取り戻せなかったとしたら。そんな事態を、素直に国民に向けて公表できるだろうか。いや、できるはずもない。自らの権威が落ちるようなことを、あの皇子がするとは思えない。それはつまり――。
――嵌められた……? あの皇子、僕を身代わりにする気か?失敗の責任を、全て僕に押し付けようと!?
だが、今更気づいてももう遅い。衛兵らに引きずられていくルイの行く末は、富と名声を我が物にする輝かしい未来などではない。人々の憎しみを一身に背負って死んでいく大罪人だ。それこそが、野心に囚われ妹すら手駒としてしか扱わなかった男――ルイ・シュヴァリエの運命だった。
「――っち、違う……! 違う! 放してくれ、僕は偽の情報など売っていない! これは冤罪なんだ! 国に帰れば証明だってできる! やめろ、やめてくれえええええええっ!!!」
悲痛な叫びを皇城中に響かせるルイの姿は、客間の扉が閉まると同時に見えなくなった。
===
はい、余計なことをした彼にもきっちり報い(?)を受けていただいたところで、本章は以上となります。ここまでお読みいただきましてありがとうございました!
もし面白いと感じていただけておりましたら、★やフォローで応援いただけると嬉しいです。
本章は、アンジェが悩みながらもまた一歩「ただのアンジェ」としての道を進もうとする章でした。結果として望みを絶たれたロランスは、帝国はどうするのか。また今後のアンジェはどんな道を歩んでいくのか。引き続き次章にもご期待ください!
さて、12月28日から続いておりました連続投稿期間がまだあと2日残ってますね。
この残り2日ですが、第10章からちょっとしんどい展開が続いておりましたので、息抜きに番外編を2話分投稿して締めにしようと思ってます。
アンジェとシャル様のイチャイチャも少なくなってましたからね。ぜひこのタイミングで糖分補給しちゃってください!
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