第91話:もう、ここにいますけど
「穏便にいけばよかったのだが、こうなっては仕方あるまい」
放たれた声はより一層低く、重い。
「聖女は我が国にとっても国の宝、それを取り戻すには最早手段など選んでいられないようだ」
その言葉の裏に感じ取れるのは、深い憎悪と焦燥だ。それこそすぐにでも何か、強硬な手段に訴えそうな迫力にアンジェが思わず息を呑む。
「……それは、宣戦布告ととらえて良いのかしら」
険しい表情で鋭く問うた女王に、ロランスは嘲笑で返す。
「さぁ、どうだかな。……我が国の切り札は聖女のみに非ず。貴国が本当にアンジェを守り切れるのか、試させてもらおう」
ロランスはそんな一言を残し、使節団を率いて謁見の間を後にした。
「……もしかして私、とんでもないことを……?」
青い顔をして呟くアンジェを、シャルロットがこれでもかとばかりに強く抱きしめる。
「大丈夫ですわ。アンジェ様には指一本触れさせません」
「そうですよ、アンジェちゃん」
セリーヌもまた、アンジェに歩み寄りそっとアンジェを抱きしめる。
「アンジェちゃんに手出しはさせません。もちろん王国民全てにです。ここから先は私たちの役目、アンジェちゃんは何も心配しなくて意良いですからね」
「シルも」
さらにその輪に加わったのはシルヴィだ。
「アン姉様のためなら、シル、いっぱい頑張る。何でも言って」
「皆さん……」
三人の言葉に目頭が熱くなる。再び溢れてしまいそうな涙をどうにか堪えていると。
「そうじゃ! あの程度の手合いに後れを取るうぬらではなかろうて!」
不意に幼い声に不釣り合いの口調が降ってきた。一同が目を向ければ、いつのまにやら謁見の間の窓枠に一人の幼女が腰かけている。
「先の男が皇帝の代行と言うたか? あのような軟弱ものがトップに立つとは、帝国も見下げ果てた者よのぅ。今の帝国にあの程度のものしかおらぬのなら、下手すればシャルロット一人で決着がつくやもしれんな!」
不遜な態度で続けるその人物の正体にいち早く気づいたアンジェが、困惑気味に声を上げる。
「……ノクシア? 今日はお部屋でおとなしくしててっていったのに、どうしてここに……?」
アンジェの問いに答えるかのようにその幼女――ノクシアが窓枠からピョンと飛び降りると、紫色の長髪からあふれる光の粒子をたなびかせながらアンジェ達の下へと歩み寄ってきた。
「何、まーたシャルロットがぶち切れておる気配を感じたから駆けつけたまでのことじゃ。そうしたらお主、あの程度の男にとんでもない魔力を放出しとるではないか! 下手したらあの男を消し飛ばして負ったぞ? ちぃとは自制せい自制を!」
「……仕方がないではありませんの。あのような身勝手な言い分をアンジェ様にぶつけるなど、言語道断ですわ」
小さな指先を突き付けながら責めるノクシアに、シャルロットは気まずそうに視線を逸らしている。だがシャルロットのそんな姿勢も、ノクシアはあまり気にしていないようで。
「とはいえ、ここまで事を荒立てるとは帝国も相当追い詰められておるようじゃの。妾の出番が増えるかと思うと、少しばかり愉快ではあるがのう」
「え、縁起でもないこと言わないでください……!」
聖龍というこの上ない戦力であるノクシアの一言にアンジェが泡を食う。ノクシアの出番が増えるということはそれだけ戦闘が増えるということ、できることならご免こうむりたい。
と、その時。
「……まさか」
そんなやり取りを少し離れたところで見ていたセリーヌが、何かとんでもないことに気づいたとばかりに目を見開いている。
「……セリーヌ様? どうかされましたか?」
「アンジェちゃん、帝国の建国伝説に登場する者といえば?」
「へ? えーっと……」
唐突な問いかけに面食らいつつ、アンジェは指を追って答える。
「初代皇帝陛下、初代聖女様、それから聖龍様、ですけど……」
そこまで言った時、アンジェの脳裏にロランスの言葉が蘇った。
『我が国の切り札は聖女のみに非ず。貴国が本当にアンジェを守り切れるのか、試させてもらおう』
聖女のみに非ず、つまり、聖女に並び立つような切り札があるということ。聖女に並び立つ切り札でかつ、現代に残っているものといえば――。
「む? 何じゃ? 妾の顔になんかついておるのか?」
アンジェとセリーヌに同時に見つめられて、キョトンとしながら頬をゴシゴシと擦っている幼女。即ち、聖龍ノクシア。ロランスが言う切り札が、彼女なのだとすれば。
「……もう、ここにいますけど……」
「……もしかして、警戒する必要、ない……?」
アンジェとセリーヌは思わず顔を見合わせ、気の抜けたような声を漏らすのだった。
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