第11章:直接対決

第86話:もう一人の暗躍

「それじゃあ、気を付けて帰ってね!」


「はい。また今度」


 毎度の如く、シュヴァリエ商会の直営店に遊びに来ていたアンジェをその小さな背中が見えなくなるまで見送って、ルシールは店内へと戻る。


 ――よかった。ちょっと前まで何だか怯えてる感じだったけど、だいぶましになったみたいだね。


 自分が何気なく振った噂話を聞いた瞬間、アンジェは驚くほどに顔を青くしていた。その時の様子がどうにも気がかりだったルシールだが、今日話した様子だとどうやら随分と落ち着いているようでホッとする。


 ――あの時のアンジェちゃん、何かすっごく怖いものでも見たみたいで……でも、今日はいっぱい笑ってくれたしよかったなぁ。


 そんな風に回顧しつつ、さて新しい魔道具の仕上げをしようか、と工房に戻ろうとしたその時。


「ルシール、ちょっといいかい?」


 背後から呼び止められて、階段を降りかけていた足を止めて振り返る。


 そこに立っていたのは、ルシールとよく似た橙色の髪を持つ柔らかな目つきの男性。ルシールより一回りほど年の離れている彼は、ルシールも良く知る人物だ。


「なーに、お兄ちゃん? こっちに来るのは珍しいね?」


 ルイ・シュヴァリエ。ルシールの兄、すなわちシュヴァリエ商会の御曹司である。


 この直営店はあくまでも個人向けの販売に特化した機能しか持たず、ルイを含む商会の幹部勢が直接訪れることはあまりない。そのためルシールが不思議そうに首をかしげていると、ルイは何でもないとばかりに手を振った。


「ちょっと寄ってみただけだよ。……ところでさっきの子、最近よく見かけるね?」


「さっきの……あぁ、アンジェちゃんのこと?」


 アンジェのことが話題に上ると、ルシールはパッと顔を輝かせる。


「うん! 前に一緒に旅行に行きたいって相談したでしょ? それがあのアンジェちゃん! えへへ、もうそれくらい仲良しなんだー♪ こないだの旅行ではね――」


 嬉々としてアンジェとの思い出話を語るルシールの声に、ルイは穏やかに微笑みながら耳を傾けている。


 そうして一通り話しきったところで、何やら視線を外して考え込んでいた様子のルイが再び口を開いた。


「……ってことは、あの子はシャルロット殿下とも仲が良いんだね」


「良いどころじゃないよー、あれはもう愛! 愛だね! はぁっ、私もいつかあんな風に愛し合える人が欲しいなぁっ……!」


「あはは、ルシールにはまだちょっと早いんじゃない?」


「ちょっとー、それってどういう意味ー!?」


 むっとするルシールの視線をひらりと躱して、ルイは踵を返す。


「可愛い妹に良いお友達ができて良かったよ。それじゃあ、僕は次があるから」


「あ、うん! お仕事頑張ってね!」


 その背中を手を振って見送り、やがて彼の姿が扉の向こうに消えた時、ルシールはふと思った。


「……あれ? 何か用事あったんじゃないのかな? お兄ちゃん、話忘れちゃうようなうっかりさんじゃないはずなんだけど……」


 しばし首を捻っていたルシールだが、まぁいっか、とそれ以上深く考えることなく工房へと下りていった。


 その店の外。


「……なるほど、やはりそうか」


 妹の前で見せていた柔和な表情を消し、冷徹な光を瞳の奥に潜ませたルイが、小さな声で呟く。


「銀の長髪に碧眼、十歳ほどの体格。それにシャルロット殿下と懇意。……間違いない、彼女こそがから伺った、帝国が探しているという偽聖女。やるじゃないかルシール、魔道具開発以外で君が役に立つ日が来るなんてね」


 口の端を野心に歪めながら、ルイは待たせていた馬車に飛び乗る。


「このまま帝国まで向かう。急いでくれ」


 御者にそう命じた彼の顔には、最早温厚な兄の面影は全くなかった。


 クレマン王国において魔道具製造・販売で最大のシェアを誇るシュヴァリエ商会は、しかし隣国ドゥラッドル帝国においては販路をほとんど広げられていない。


 それは、帝国においてはそもそも魔道具の流通が厳しく制限されていることと、その制限されている中で帝国国内製の魔道具が優先して製造・販売されているために、市場が寡占状態にあることが主な要因だ。いくらシュバリエ商会が、ルシールをはじめとした優秀な魔道具技師の力で高性能な魔道具を製造していても、そもそも買い手がつかないのである。


 もっとも商会長をはじめとしたほとんどの幹部陣もそんな現状を重々理解しており、その動向を注視しつつも無理に帝国へ進出せずに王国国内の地盤固めと他国への販路拡大を推し進めてきた。


 ……だがこの男、ルイ・シュヴァリエは違った。


 ドゥラッドル帝国はクレマン王国以上に魔法への信仰心が厚い。そんな帝国で上手く魔道具を広めることができたなら、商会自体がその信仰の対象になり得る。そうすればシュヴァリエ商会は両国で絶大な権威を獲得でき、将来その会長に就くであろう自分は国王や皇帝に比肩するような権力を持てるだろう。


 もちろん、そのための工作は楽な話ではない。少しずつ帝国の貴族に取り入って彼らの弱みを握り、魔道具を売りつける。そうやって何年もの間地道な草の根運動を続けてきてなお、帝国の貴族層に食い込むことはほとんどできていない有様であり、ルイ自身もこの先をどうするべきか考えあぐねていた。


 そうこうしている間に、帝国国内はみるみるうちに活気を失くし、あちらこちらに魔物が跋扈し始めた。これでは商談どころの話ではなく、さすがに手を引くべきだろうかと思案していた折、彼は想わぬ情報を得たのだ。


『帝国は今、追放した偽聖女を探しています。商会の幹部として国外に強いパイプを持つ貴方ならば、何か情報をお持ちではありませんか?』


 とある地方貴族との会談後、その令嬢がルイに声を掛けてきた。外見はいかにも純朴そうな田舎の令嬢といった出で立ちながら、その女性は


 失礼を承知で、何故貴女がそのような情報を、と問い返せば、極秘のルートで彼女は皇子とつながっているのだという。証拠として王家の紋章を見せられれば、さすがにルイも信じざるを得なかった。


『もし情報を得られましたら、私が皇子へとお繋ぎいたします。……その際には、どうぞ我が家をご贔屓に』


 なるほど、とルイは感づいた。いかに貴族とはいえ地方の田舎貴族ではその力はたかが知れている。この混乱を利用し、またルイ自身すらも利用して栄転を目指すと、そういうことなのだろう。


 ――面白い。ならば私も遠慮なく、貴女を利用させてもらおう。


 そうしてルイは、彼女から偽聖女の情報を得て――その特徴に類似した少女が近頃商会直営店を出入りしていたことに思い至り、ルシールの下を訪れたのである。


 ――これでようやく、スタートラインに立てる。私が両国を股にかけて絶大な力をふるう、そのスタートラインに……!


「すまない、もっと急げないか?」


 御者を何度も急かしながら、ルイは来るべき未来に思いを馳せて一路帝国を目指す。


 ルイの瞳に浮かぶ野心の光は、どこまでも貪欲で冷徹だった。


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