第85話:毒を食らわば

 ――くそっ……神殿長め、俺ならばだましきれるとでも高をくくっているつもりか……!?


 神殿長の執務室を後にしたロランスは心の中で吐き捨てる。


 元々一筋縄でいくとは思っていない。相手は神託という、教会の信頼の根幹にかかわる事象を偽ろうとした相手だ。その目的は判然としないが、素直に問い詰めたところで口を割るような手合いでないことなど火を見るより明らかである。


 だからこそ、あえて仔細を伝えずに追及することで動揺を誘い、突き崩す糸口を探ろうとしたのだが……それでも神殿長がボロを出すことはなかった。


 壁でも殴りつけて八つ当たりしたい衝動をどうにか抑えつつ、ロランスは神殿の廊下を歩く。自然と大きくなる歩幅は彼のいら立ちの表れだろうか。


 ロランスが胸の内にそれだけの怒りを燃やしているのは、言葉通り神殿長が自分を侮っているように思えたからだけが理由ではない。自分が置かれている立場への焦り、そして屈辱が渦巻いているからだ。


 万が一アンジェを偽聖女と認めた神託が偽装されたものだとすれば、ロランスはその偽装に気づかずに本物の聖女を追放したことになる。それが国民にしれれば、今偽聖女に向かっている怒りの矛先が一斉に教会に、そして他ならぬロランス自身に向くことになるのだ。そうなれば当然ロランスの評価は地に落ち、皇位に坐するどころか国民に罵声を浴びせられながら首を落とされてもおかしくない。


 薄ら寒い想像に思わず身震いする。だがそれは決して根拠のない妄想などではなく、このままでは近い将来必ず訪れるであろう絶望的な未来そのものだ。


 もちろん、神託の偽装などロランスにとっても想定外すぎる事態だが、知らぬ存ぜぬで責任を逃れられるなどとはさしものロランスも考えてはいなかった。


 だからこそ、彼が取れる道はただ一つ。神殿長ら神託の偽装にかかわった者どもを徹底的に処断し、そのうえでアンジェをこの手で捕らえ、国の未来に差し出す。それがどれほど屈辱的なことであったとしても、もうほかに道はないのだ。


 そのために、何としても彼らに罪を認めさせ、国としてアンジェの捜索に乗り出せるようにしなければならないのだが――。


 ――待てよ……?


 その時、ふとロランスの脚が止まった。


 神殿という場所を歩いていたからか、はたまた彼の心に色濃く染みついていたからか。ロランスの脳裏に一人の人物が思い浮かぶ。


 ――そうだ、神殿長らは難しくとも、あいつならば俺に嘘をつきとおせるような肝は持っておるまい。病に臥せっている今ならなおさらだ。


 そう確信したロランスは、目前に迫っていた神殿の出口を前に踵を返し、足音荒くその人物――アレクシアの居室へと向かった。


「ろ、ロランス殿下!?  申し訳ございません、聖女様は今お休み中で――」


「急用だ、通せ。……アレクシア、俺だ、入るぞ」


 部屋の前に控えていた、気の弱そうな巫女が慌てて止めようとするのを振り切り、ロランスは扉をあけ放つ。すると部屋の奥のベッドで、慌てて体を起こしたらしいアレクシアが目を見開いていた。


「ろ、ロランス殿下……!? 申し訳ございません、今日はお越しになるとは聞いておらず……!」


 病床に伏しているためか、いつも手入れの行き届いていた深紅の長髪はごわついており、顔も青白く血色が悪い。そんな状態でもベッドから降りて跪こうとするものだから、さすがにそれは制してベッドに推しとどめる。


 そうして改めてアレクシアを見て、ロランスは思う。


 ――こんな女だったか……?


 病に侵されているのだから、外見を取り繕うことができないのはわかる。だがロランスがそれ以上に気になったのは、完全に自信を失ってしまったかのようなその瞳だ。


 かつてのアレクシアは、常に自信に満ちた目をしていた。威風堂々と胸を張り、常に貴族の令嬢足らんと振る舞っていた。だが目の前の女はまるで何かに怯えるように背中を丸め、目を伏せている。そこに帝国屈指の公爵家の令嬢という威厳は全く感じられない。


 ――何があったかは知らんが、これはチャンスかも知れぬ。


 ロランスは一筋の光明を見出した気分で、しかしそれを表に出さないように留意して口を開く。


「……アレクシア。今の帝国の現状は知っているな」


「……はい」


 アレクシアの返答は小さくかすれていて聞き取りづらい。それはさながら、幼子が自分の悪戯を咎められ、最早誤魔化しも聞かないと悟っているかのようで。


「……単刀直入に問おう。アレクシア、お前、この事態の原因に何か心当たりがあるのではないか?」


 返事はすぐには返ってこなかった。アレクシアは自分の手元に視線を落としたまま身動ぎ一つしない。


 そのまま十秒が経ち、三十秒が経ち……どれほど待っただろうか。


「……申し訳、ございません」


 微かに開いた唇から、謝罪の言葉が零れた。


「……何に対してだ」


 ロランスがそう問えば、アレクシアはがたがたと震えながら語り始める。


「こんな……こんなはずじゃなかったんです……! あんな、あんなのが聖女だなんて、絶対におかしくて……! だから、取り返したのに……!」


 アレクシアは嗚咽交じりに、断罪劇の裏側で動いていた陰謀について白状した。アンジェを偽聖女とするために教会と結託したこと。ロランスにとって理想の女性を演じ、間違ってもアンジェに対して嬢が沸かないように気を引いていたこと。そして自分が聖女となった暁には裏でアンジェを働かせて、聖女を演じるつもりであったこと。


 しかしシャルロットによって計画が阻止され、少しずつ雲行きが怪しくなっていったこと。ロランスや皇帝を欺かなければならなかったこと。『疑似護国の結界』の維持のために苦しい日々を送っており、倒れてしまったこと。それらを彼女は洗いざらい語りつくした。


「……よくぞ話してくれた、アレクシア」


 ロランスはすべてを話し終えてなお静かに泣き続けるアレクシアの背を撫でる。


「お前がやったことは非常に重大だ。俺はお前を処罰せねばならぬ。……だが、公の場で今の話を明らかにするというのならば、可能な限りの温情は尽くそう。……できるか?」


「……はい。それが今の私にできる、せめてもの罪滅ぼしですから」


 殊勝に頷いて見せたアレクシアの姿を、弱々しく許しを請うその姿を見て、――ロランスは内心ほくそ笑んだ。


 ――これで、これで良い。国民の怒りのはけ口は確保できた。あとはアンジェを取り戻すのみ……!


 ロランスにとって、アレクシアは既にただのスケープゴート以外の何物でもなかった。自身に向きそうな怒りや恨みを躱せるのならば何でも良い。そのために最大限温厚な様子を取り繕い、そしてそれは無事成功した。


 これで大々的にアンジェの捜索に乗り出せる。一度は追放した者――それも昔から妬み、憎んできた者の力をあてにするなど屈辱的にもほどがあるが、自分の命には代えられない。


 ――待っていろ、アンジェ。貴様をこの国に連れ戻し、俺の治世の贄としてやる……! この絶望的な事態の解決をもってな!


 毒を食らわば皿まで。こうなったらどこまでも利用するまでだ。


 そんな黒い炎を胸の奥で燃え滾らせながら、ロランスはアレクシアの証言をまとめるため、従者を呼び戻すのだった。


 ……だが、彼は気づいていない。


 アレクシアが、本当の意味ですべてを白状したわけではないということに。


 断罪劇の主導はあくまでもアレクシアであったという事実に。


 そして――式典の日に倒れた理由が負担の限界によるものではなく、という真実に。


 この期に及んで保身を図ったアレクシアによって、帝国はさらなる混迷の沼へと踏み込んでいく。


===


 というわけで、今回の間章はここまでです。


 ついにロランスがあの断罪劇の真実の一端に到達した一方、何やら不穏な影がいくつも見え隠れしていますね。果たして彼らはどうなっていくのか……?


 そして以前にも告知してましたが、本日から来年1/6まで毎日一話ずつ更新していきます!

 この期間内で物語が一つ大きく進み、またそれとは別にアンジェの意外な一面が明らかになるかも……?


 お休みの方もそうでない方も、年末年始のおともににこなでをよろしくどうぞ!


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