間章:始まった崩壊、その影に
第83話:帝国の現状
ドゥラッドル帝国帝都は、ひと月前とはまるで別の街であるかのような有様だった。
国内屈指の市場へと続く大通りからは明らかに人の数が減り、活気の良さは感じられない。数少ない行き交う人々の顔には覇気がなく、一様に不安と疲労の色がうかがえる。
だが、それも無理もない話だ。歓喜の絶頂にあった聖女就任式典の場で『救国の聖女』アレクシアが倒れ、ほどなくして隆盛を誇り武功をとどろかせた皇帝までもが病床に伏したのだから。帝国の象徴たる皇帝と聖女が表舞台に姿を見せない現状は、帝国民からすれば太陽と月が同時に姿を消したのと変わらない。
さらには帝国の各地で魔物が多く姿を現しており、一般人では都市間の交遊もままならないような状況なのだ。積み荷を守るための護衛が必須となれば当然その文物資も高騰し、市民たちの生活は苦しさを増していく。
「ホントどうなっちまったんだよ……こんなんじゃ飯も腹いっぱいくえねぇっての」
「聖女様もお戻りになられないし、そのうえ皇帝陛下まで……私は何を信じたらいいの……?」
「畜生、それもこれもあの偽聖女が俺たちの国を呪っていやがったせいでっ……!」
「そうだ、あの偽聖女のせいで俺たちはこんなことになってるんだ! 今からでもとっ捕まえて処刑しろ!」
「そうよ! 追放なんて生ぬるいこと言ってられないわ! そうしないといつまでも呪いから解放されないわよ!」
市民たちの怒りの声は日々その熱量を増し、それらの一切は自分たちの暮らしを一変させた偽聖女へと向けられている。
そんな帝都の中央に位置する皇城、その執務室で。
「……くそっ、偽聖女め……! あいつは一体何がしたかったというのだ!?」
皇帝に代わり政務の一切を引き受けているロランスもまた、帝国を今の惨状へと陥れた偽聖女への恨み言を吐き捨てていた。
彼の机には、国中から集まる陳情の山が積み上げられ、そのほとんどが「偽聖女の処刑を」「聖女アレクシアの無事を祈る」といった内容で溢れている。それらを目前に、ロランスはぎりと歯ぎしりした。
彼の脳裏に浮かぶのは、偽聖女――アンジェと初めて対面した時の記憶である。
将来の皇帝である自分を差し置いて、周囲からちやほやされて戸惑っている少女。自分よりも遥かに低い平民という出自の癖に、莫大な力をその身に宿すその女を、ロランスは許せなかった。
――なんで? 僕が一番えらいんじゃないの? なんでみんなそいつをほめるの? おかしい、おかしい!
幼心に猛烈な嫉妬心を燃え上がらせたロランスは、その日から徹底的にアンジェに冷たく当たった。その出自をこき下ろし、寄り添おうとしてくる彼女を拒絶した。それでも自分にかまおうとし、また聖女としての職務にも不平ひとつ言わずに真摯に取り組む愚かしいまでの純粋さが、余計にロランスの鼻についた。
そんな折に出会ったのが、のちに真の聖女となるアレクシアだ。彼女は素晴らしい。家柄も国内屈指の名門公爵家と申し分なく、容姿端麗で魔法の能力もトップクラス。おまけに常にロランスのことを立てる奥ゆかしさも兼ね備えている。このような女は他にいない。
だというのに、ロランスは国の慣例で聖女であるアンジェとの婚約が決まっていた。訳が分からない。家柄も平民というとるに足らないもの、容姿も体型もまるで成長が止まったかのように子供のまま変わらない、そんな何もかもアレクシアに劣るアンジェを何故自分が娶らなければならないというのか。悔しい。憎らしい。何故この女が聖女なのだ。
ロランスのもとに教会からの書状が届けられたのは、そんな不満が積もりに積もったある日のことである。
書状に記された『アンジェは聖女に非ず』という一文が目に入った直後、ロランスは書状がしわが寄るほどに握りしめていた。頭に血が上る、とはこういうことを言うのだろう。目の前が真っ赤に染まるという経験をしたのは初めてだった。
――そうだ、やはりそうじゃないか! 平民上がりで身体も一向に成長しないあんな女が、この俺の国の聖女であるはずがない! あの女、良くも十年もの間俺を謀ってくれたな!?
ロランスはその怒りの導くまま、アレクシアの助言に従い独断でアンジェを国外追放処分とした。同時にアレクシアこそが真の聖女であると公表し、即座に彼女と婚約を結んだ。
悪しき者は去り、真の聖女でかつ自分の女に相応しい格と身体を持つアレクシアを将来の妃に迎え、ようやく輝かしい未来に向かって歩き出せる。
……そう思っていたというのに、現状はまるで理想とは程遠い。ロランスにとって理想の聖女であったアレクシアは今も面会謝絶。父が倒れ想像以上に早く国の実権をつかんだは良いものの、襲い来る魔物らに軍も疲弊し国民も不安に駆られている。
「こんな、こんなはずではなかったというのに……これも貴様の呪いだというのか、アンジェ!?」
あまりの不条理さに、ロランスは思わず机を拳で殴りつける。激しい音が一人きりの執務室に響き、机に積まれた陳情の山が崩れてハラハラと床に舞った。
細い息とともに怒りを吐き出すロランスの耳が、執務室の扉をノックする音を捕らえたのはその時だった。
「……入れ」
入室したその人物を見て、ロランスは少しだけ肩の力を抜く。その人物はロランスが散らかした書類を拾い集めて机の上に戻すと、そっと彼の耳元で何事かをささやいた。
「――なんだと?」
ロランスの切れ長の瞳が大きく見開かれる。そのまましばし何事かを思案していた彼は。
「……すまない、少々留守にする」
はっきりとした疑念の表情とともに、あわただしく執務室を飛び出していった。
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