第82話:運命だったのですわ
「しゃ、シャル様……!? どうしてここに!?」
小さな歩幅で駆け寄るアンジェに、シャルロットは穏やかな笑みを湛えたまま答える。
「なんとなく眠れなくて。……でもよかったですわ。一日の終わりに、こうしてアンジェ様にお会いすることができましたもの」
そんな一言とともに、シャルロットは優しくアンジェを抱きしめた。アンジェの大好きな温もりがじんわりと体の奥までしみ込んでくるようで、その心地よさに目を細める。
「アンジェ様は、どうしてこちらへ?」
「……私も、その、眠れなくて」
心の奥底の葛藤を隠すのは申し訳なかったが、アンジェ自身もまだ全く考えがまとまっていない以上どうしようもない。……だが、シャルロットはそんなアンジェの内心を察したのかどうか。
「そうでしたの。……ふふっ、だとしたらわたくしたちがここで巡り合うのも、もしかしたら運命だったのかもしれませんわね」
そういって、無邪気に笑って見せた。
「運命……」
「えぇ。わたくしたちがここで巡り合ったのも、あるいは婚約したのも、きっと神様の思し召し、運命だったのですわ。……アンジェ様が、これまでにたどってきた過去も、全て」
「……っ」
思わず身を固くするアンジェの頭を、シャルロットがそっと撫でる。
「過去に囚われる必要もございませんし、かといって過剰に否定する必要もございませんわ。それらがアンジェ様を形作ってきたことは紛れもない事実ですもの」
シャルロットはそういうとアンジェの顔を上げさせた。その瞳は、夜空にちりばめられた星々をそのまま写し取ったかのように、静かで温かい光を灯していた。
「どうすべきかではなく、どうしたいか。アンジェ様が何をお望みか。きっと、答えはその先にございますわ。大丈夫、わたくしがいつでも傍におりますもの」
「どう、したいか……」
帝国のあれやこれやを見聞きしたことで見えづらくなっていたものが、頭上で輝く月のように今一度輝いた、そんな気がした。
――そうだ。また私は、『どうすべきか』ばっかり考えてた。そればっかりじゃダメだって、気づいたはずだったのに。
やはり、幼少期から培われ聖女時代に完全に凝り固まってしまった思考は、そう簡単に替わってはくれないらしい。
「……私は」
アンジェは小さく、しかし決意を込めて呟いた。
「私は、私が愛したいと思った人を愛したい。私のことを愛してくれる人を、愛したい。……だから今は、シャル様を、私を大切にしてくれる皆さんを、大切にしたい、です」
「ふふ、その意気ですわ」
花が咲いたように笑うシャルロットにぎゅっと抱き着きながら、アンジェは思う。
――今は、今はこれでいいんだ。私がやりたいことは、これなんだもん。
甘やかな香りと心地よい温もりに包まれて、アンジェは久方ぶりに心からの安らぎを得たのであった。
◆
「父上、お体の具合はいかがですか?」
他方、ドゥラッドル帝国皇城内の皇帝の居室。
大柄な体をベッドに横たえた皇帝の下に訪れたのは、その娘であり第一皇女でもあるモルヴィアであった。
「うむ。……まぁ、悪くはないな」
皇帝は上体を起こして穏やかにそう返す。だがその実、息を吸いこんだ肺は常に鈍い痛みを伴い、目の奥は熱く頭は鉛のように重たい。
少しでも気を抜けば咳き込んでしまいそうな有様ではあるが、やはり親というものは子供に弱った姿を見せたくないものであり、そんな親心で持ってどうにか体面を取り繕っているのである。
「ロランスはどうだ。上手くやっているか」
「えぇ。少々厳しい情勢ですが、何とかやっております」
「……そうか」
モルヴィアの言葉を素直に受け取れるほど、皇帝は楽観的ではなかった。
よもや、自分がこのような病に侵されるとは思っても見なかった。聖女が倒れ、国内に俄かに魔物が湧きつつあるこのような状況で国のかじ取りをロランスに託すのはさすがに荷が勝ちすぎる。だが自分がこのありさまではどうしようもない。
皇帝はしばし瞑目し、やがて長い息をついてから口を開いた。
「ロランスを頼むぞ、モルヴィア。あ奴はどこまで自覚があるか知らぬが、この事態は一歩間違えば国そのものが滅びかねんほどに深刻だ。余には反抗的だったあ奴も、お前なら御することができるだろう」
昔から優秀で何事も期待以上の水準でこなして見せたモルヴィアと、姉ほどではないがそれなりの才覚を見せたものの性格に難があるロランス。当人たちの前では決して口にはできないが、モルヴィアが男であったならと嘆く臣下も少なくなく、皇帝も何かと苦心した。逆に言えばモルヴィアの能力はそれだけのものであり、姉弟が上手く力を合わせれば、被害は最小限に抑えられる可能性も十分にあるはずなのだ。
「はい、心得ております」
モルヴィアは皇帝の枕もとに薬の入った包みと水を置くと、任せろとばかりに微笑みを浮かべる。……しかしながら、皇帝はそのほほえみの中に何か薄ら寒いものを感じ、小さく目を見開いた。
「私たちで何とかしてみせます。父上はどうぞ、ご養生なさってください」
その口元が微かにひきつっているのを、そしてその眼差しに冷たいものが潜んでいるのを、皇帝は見逃さなかった。
恭しく一礼して去っていくモルヴィアの後ろ姿を、皇帝は呆然と見送るしかない。
――なんだ、今のは……?
これまで一度たりとも、娘の笑顔に恐怖を抱いたことなどなかった。当然だ、大切に育ててきた娘が怖いなどあるはずがない。……だが、先ほど感じたのは確かに恐怖、あるいは畏怖の類のそれで。
混乱に張り詰めていたものが切れたのか、皇帝はモルヴィアの退出までたせられずについ大きくせき込む。その視界の端、扉にさえぎられる直前に、モルヴィアの影か不自然に揺らいで見えた。それはまるで、別の何かが彼女の傍らに立っているかのようで。
それが病による幻覚なのか、咳き込んで視界が揺れたせいなのか――はたまたそれ以外の理由によるものなのか、皇帝にはわからなかった。
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というわけで、本章は以上です。ここまでお読みいただきましてありがとうございました!
もしお楽しみいただけておりましたら、ぜひふぉーろや★で応援いただけると嬉しいです。
さて、本章ではいよいよもって帝国の窮状が明るみに出て、またアンジェが抱える葛藤が色濃くなってきましたね。
彼女の精神性がうかがえる過去も描かれ、物語がまた大きく動き出した、そんな章だったかと思います。
そうなってくるとどうにも雰囲気が重くなってくるのが難しいところですね。特にこの章ではシャル様がマトモすぎて、「お前本当にシャルロットか?」みたいになっている作者です。
今後も割と重めな展開が続くので、どこかしらで息抜きの日常回でも挟みたいものです。シャル様がこんなにマトモばかりじゃないはずなので。大事なことなので二回言いました。
次章では再び帝国側の動きを描いていく予定です。本章ラストで何やら不穏な様子が描かれておりましたが、果たしてあちらは今どうなっているのか? ご期待ください。
それでは、次章をお楽しみに!
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後書きが長くなっておりますが、現在開催中のカクヨムコンテスト10の短編部門に1作執筆して参加いたしました!
今はちょっと更新が停まってしまっている『隣の席の先輩は、不憫可愛い。』を同コンテストのレギュレーションに従って再構成・再執筆した作品になってます。
百合/お仕事/SE/先輩後輩あたりでピンときた方はきっとお楽しみいただけるかと思います。
ぜひお読みいただけると嬉しいです!
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