第81話:私って、何なの……?

セリーヌに自室まで送り届けてもらってから、アンジェはずっと考えていた。


 ――私は、どうしたらいいんだろう……いや、どうしたいんだろう……?


 帝国側が自分を探している理由もおよそ見当がついたし、セリーヌもとても頼もしい言葉で励ましてくれた。アンジェが抱えていた不安は、全てとは言えずともその多くが取り払われつつある。


 それでも心が晴れないのは、アンジェがこの先の自分をどうすべきなのか、どうしたいのかを描き切れていないからなのかもしれない。


 帝国の窮状を耳にしたとき、アンジェは自分の中に少なからず胸を痛める自分を見た。命を削って国に尽くし続けた自分にたいしてあれだけの仕打ちを行った帝国のことを、アンジェは未だに憎み切れていないのである。


 もし。もしも、帝国が本当に自分を必要としてくれるのなら。自分にしかできないことがあるのだとしたら。それを放棄するのは、果たして本当に正しいのだろうか。それで胸を張って、シャルロットの隣を歩けるのだろうか。聖女だったころの置き土産か、アンジェはそんな思いから抜け出せずにいる。


 ――でも、私はもう、帝国のあの人たちのことは愛せない。


 容赦のない罵倒を浴びせてきたロランス、高らかに嘲笑を響かせていたアレクシア、それに一様に侮蔑の眼差しを向けてきた同級生だったはずの者たち。思い出すだけでも吐き気を催すようなあの断罪劇を経験してしまっては、もう同じ人たちを信じることなどできるはずもない。自分の力を全く信じずに、痕跡の全てを消し去ろうとしていた帝国民たちも然り、である。


 『聖女の力』は『愛する者のための力』だと、ノクシアも言っていた。ならば結局のところ、その力を自分が振るったとしても帝国を救うことなどできないのかもしれない。


 そもそも、今のアンジェは『聖女の力』を使うことができないのだ。そんなアンジェは、ちょっと魔力量が多いだけの、同年代に比べて極端に小さな少女に過ぎない。そんな自分に何ができるというのか。


 しかし、そう結論付けてしまうと。


 ――でも、だったら結局、私の存在する意味って何……? 愛されても何も返せない私って、何なの……?


 どうしても、その一点に疑問が帰結してしまうのである。


「はぁっ……」


 ベッドに横になりながら、アンジェはつい大きなため息をつく。


 ずっと上の空だったために記憶に薄いが、どうやらいつの間にかアンジェは食事と湯浴みを済ませていたらしい。明かりが落ちた自室の天井はどこか寒々しく見えて、どうにも落ち着かない。


 しかし瞼を閉じてみても、一度空回りを始めた思考という名の滑車が延々と空回りを続けるばかりで。


「……眠れない」


 小さくつぶやいたアンジェは、こっそりとベッドを抜け出して自室のドアを開いた。特に目的地があるわけでもない。ただあのままぼんやりと考え事ばかりに没頭していたら、何かまた言いようのない不安が湧き出してくるような気がして、いてもたってもいられなくなったのである。


 魔力灯が照らす廊下は日中と同様明るいが、行き交う人の姿はなくまるで別の建物のように静かだ。アンジェはネグリジェの袖をキュッとつかみながら足早に、しかしあてもなく歩く。


 知らず知らずのうちに速足になっていたアンジェは、ふと肌に外気を感じて立ち止まった。そこは王城の中庭、かつてアンジェが心の赴くままにシャルロットを誘い、お散歩デートをした場所である。


 ――あの時も、シャル様、優しかったなぁ。


 手のひらから伝わる温もりを懐かしむように、アンジェはあの時つながっていた右手を撫でる。夢中になれることを探したい、という自分の我儘を聞き入れてくれたあの時の笑顔は、それなりに時が経った今でも鮮明に思い出せる。


 ――声、聴きたいなぁ……でも、シャル様もう、寝ちゃってるよね……。


 こんな夜更けに他人の部屋を訪れるなんて非常識もいいところだ。シャルロットなら許してくれそうではあるものの、最初からそれを期待するのはやはり違う。


 残念な気持ちをため息とともに吐き出して、あの時をなぞるように中庭を歩く。……すると、少し先の魔力灯の下に、一つの人影があった。


 魔力灯の橙色の明かりを受けて煌めく金色の髪に、空に輝く月のようにきれいな同色の瞳。身をかがめて足元の花を見ていたらしいその人物は、アンジェが近づくのに気づいたのか、ゆっくり立ち上がってこちらを振り向く。


「え……!?」


 アンジェは思わず驚きの声を上げる。それと同時に、その胸の奥にあたたかな春風が吹き抜けた。


 果たしてそこには。


「……あら、アンジェ様。奇遇ですわね」


 アンジェが聞きたかった、優しくて穏やかな声。その持ち主であるシャルロットが、ふわりと微笑んでいたのだった。


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