第78話:忍び寄る陰の気配
それからしばらくの間、アンジェは王城内を散歩しながら噂話に耳を傾ける日々を過ごした。すると、シャルロットやメリッサ、重臣らから情報を得ることは流石にできなかったものの、それでも端々から漏れ聞こえる噂話を拾い上げることはできた。
曰く、聖女が倒れてから間を置かずに皇帝も表舞台から姿を消し、ほどなくして病に侵されていることが発表された、だとか。
曰く、ロランスは若すぎるものの将来の皇位継承を見据えて姉である第一皇女を後見に政務を執り仕切っているが、思うようにいっていないらしい、だとか。
曰く、『護国の結界』が再展開されたのに国境付近の魔物の数は減っておらず、この分だと帝国内は大変なことになっているのではないか、だとか。
――私のせい、なのかな。
漏れ聞こえてくるだけでもその行く末を憂いてしまうような帝国の現状に、ついそんな思いが脳裏をよぎったアンジェは、慌てて首を左右に振る。
頭ではわかっている。帝国は自分のことを信じずに偽物だと決めつけて追放し、アンジェが遺した功績の全てを否定したのだ。それは彼ら彼女らが下した判断であり、その結果がこの現状であるのならばアンジェには何の責もない。
それでもアンジェがこのような考えに取りつかれてしまうのは、やはり長年にわたって彼女のよりどころでもあった『聖女』という立場があまりにも大きすぎたからだろう。幼少期の経験から自分を理想の聖女像へと押し込めてきた十年間の記憶は、易々と消えてはくれない。
そして、彼女をさらに動揺させるような噂話が舞い込んできたのは、それからさらに半月ほどが経過したころのことである。
「そういえば、アンジェちゃん知ってる?」
シュヴァリエ商会地下に存在する、ルシールの工房。今日も魔道具開発の手伝いに訪れていたアンジェに、ルシールがいつも通り一切作業の手を止めずに切り出す。
「最近、国境近くの村とか街で、人探ししてる変な人たちがいるらしいよ」
「人探し、ですか?」
すっかり指定席となっているいつもの椅子に腰かけたアンジェが、紅茶の注がれたティーカップから口を離して首をかしげる。
「そうそう。人相書きを見せて、これに似た女を見なかったか? って聞いて回ってるみたい。服装とかからたぶん帝国の人なんじゃないかって言われてるらしいよ」
ただでさえ日ごろから明るい接客で人気も高いルシールは、そのネットワークで仕入れたらしい巷の流行や噂話といったものをアンジェに面白おかしく聞かせてくれる。いつもならそれを興味深く、また笑いながら聞くことができるアンジェなのだが。
「……それって、どんな人を探してるんですか?」
嫌な予感に駆られつつ、ルシールに問いかける。
「へ? えーっと……」
ほんの世間話のつもりだったのだろう。思いがけず食いついてきたアンジェに驚いたのか、ルシールは作業の手を止めて、顎に指を添えながら答える。
「確か、銀髪に青い目をした十歳くらいの子供、だったかな? まぁ銀髪碧眼って珍しいと言えば珍しいけど、アンジェちゃんもいるみたいにめちゃくちゃレアかって言われたらそうでもないからなぁ。それに、仮に心当たりがあったとしてもそんな怪しい人たちに小さい子供の話なんてする義理もないし、あんまり宛にされてないみたいだよ」
――やっぱり、そうだ。
その回答に、アンジェは確信する。
――帝国の人たちが、私を探してる……!?
ルシールが言うように、確かに銀髪碧眼は全く見かけないほどに希少かといえばそうではない。アンジェも帝国各地を巡るうちに何度も似たような容姿の少女と出会ったことがあるし、この城下町でも見かけたこともある。
だが、王城で聞いた帝国の現状とルシールからもたらされた情報を照らし合わせると、探している対象を『自分ではない銀髪碧眼の少女』だとするのはどう考えても楽観的が過ぎる。ルシールはもたらされた情報が『十歳くらいの子供』だったことから恐らく実年齢で十歳程度と考えているようだが、他国で実年齢をもとに人探しを行うことは考えにくく、そう考えれば外見年齢十歳のアンジェも十分捜索対象だ。
「まぁアンジェちゃんちっちゃくて可愛いから、もしかしたらその人たちに勘違いされて声かけられたりするかも!? なーんて……アンジェちゃん?」
ルシールの冗談めかした一言も、最早アンジェには届いていなかった。
◆
「あら、アンジェちゃん。お出かけしてたんですか?」
王城に戻り自室へと向かう途中、アンジェは柔らかな声に呼び止められた。振り向いた先には、自身もどこかに出かけていたのか荷物を持った従者を従えた第一王女・セリーヌが立っている。
そのセリーヌが、アンジェの表情を見るなり顔色を変える。
「……すみません、先に行っててください。アンジェちゃん、ちょっと話せますか?」
「え、あ、その」
従者に短く指示をしたセリーヌは、アンジェの返事を待たずにその手を引いて歩きだす。心なしか急いでいるように感じられる歩調に合わせるので手一杯なアンジェは、そのままセリーヌの執務室へと連れていかれてしまった。
「あ、あの、セリーヌ様? 急に、どうし」
有無を言わさず執務室に押し込まれたアンジェが、若干息を乱しながらそう問いかけると。
「……アンジェちゃん。私に何か、聞きたいことがあるんじゃないですか?」
膝を追ってアンジェと目線を合わせたセリーヌが、真摯な瞳でアンジェを覗き込みそう尋ねた。
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