第10章:前兆、揺れる心

第76話:あっという間

 聖龍・ノクシアと初日に出くわすという波乱の幕開けとなった二泊三日の旅程は、しかしその後は和やかに進んだ。当のノクシアがアンジェたちに対してかなりフランクに接したのもそうだが、何よりシルヴィやルシールが全く物怖じせずに彼女に絡んでいったのも大きかっただろう。


 しかしながら、そんな楽しい時間というものは驚くほど速く過ぎていってしまうもので。


「うー、もっと遊びたかったなー!」


 どんどん遠ざかっていく水平線を名残惜し気に眺めながら、ルシールは唇を尖らせる。


 海辺で過ごす三日間は終わり、一行は来た時と同様に馬車に揺られているところだ。この後は道中で一泊し、王都へと戻るのみである。


「全く、あれだけ遊んでおいてまだ足りませんの?」


 当然のようにアンジェを膝の上に乗せたシャルロットが苦笑する。


「遊ぶだけにとどまらず、あんな仕掛けまで用意して肝試しまで企画したのですから、もう十分でしょう?」


「それはそれ、これはこれですよ、シャル様! それに、あれが私の本気だと思ったら大間違いですからね!」


「ほう、それはそれは次回が楽しみになりますわねぇ」


「わ、私はもう参加しませんからね!? 絶対! 絶対ですからね!?」


 シャルロットが楽し気に頷くのに対し、アンジェは若干顔を青くしている。


 二日目の夜にルシールの発案で行われた肝試し大会は、魔道具技師であるルシールがその本領をいかんなく発揮したことで大盛り上がりだった。その出来は常人をはるかに超える感知適性を持つシルヴィをも驚かせられるほどのもので、アンジェなんて道中ほぼ叫びっぱなしだったほどだ。ちなみにシャルロットが乗り気なのは、アンジェが驚くたびに自分にぎゅぅっとしがみついてきたためである。


 しかし、その一方で。


「むぅ、人間はあのようなものが好みなのか? どうにも妾には楽しみ方がわからんかったぞ」


  と、ノクシアにはイマイチその魅力が伝わらなかったようであった。


 その代わりに。


「それよりもあれじゃ、海水浴というものは面白かったのぅ! よもや波があんなに手ごわいものだとは思わんかったわい!」


 胸の前で両の拳を握って興奮気味に語るノクシアの感動は、初体験の海水浴に持っていかれたようだった。


 ノクシアが合流したのち、アンジェ達の遊びに興味を持ったノクシアはその輪に交じって水遊びを楽しんだ。その際人の姿で初めての海水浴に興じたのだが。


「ノクちゃん、聖龍なのにすっごくへたっぴだった」


 とシルヴィが断じるように、その幼い体は小さな波にも大苦戦。足を取られてスッ転んだり波にさらわれかけたりと、人によっては大変プライドを傷つけられるようなデビュー戦になったのだった。


 しかし、当の本人はそんなことまるで気にしておらず、幼い外見でワハハと豪快に笑う。


「そりゃそうじゃ、妾とて万能ではないからのぅ。むしろこれだけ生きてきてまだ出来ん事がある方が面白いではないか!」


「そういうものなの?」


「そういうものじゃよ。シルヴィ、お主もあと五百年ほど生きればわかるはずじゃ」


「シル、そんな生きられないもん」


「おっとそうじゃったな。全く、人間というものはなかなか難儀よのぅ」


「ね、それよりアン姉様」


 シルヴィは人生(?)の大大大大大先輩との会話を雑に切り上げると、アンジェのほうに向きなおってキラキラした瞳を向ける。


「生き物探し楽しかった。またやろうね」


 海にはまだ見たことない生き物がいるはず、というシルヴィの謎の確信をもとに始まった生き物探し。結局新種の発見には至らなかったものの、シルヴィは探すこと自体をそれはそれは楽しんだようだ。


 アンジェもまた、潮溜まりを泳ぐ小魚や小さなカニ、ヤドカリなんかを見つけては嬉しそうに報告してくるシルヴィの姿を思い出して頬が緩む。


「そうですね。また探しにいきましょう」


「んふー」


 アンジェから頭を撫でられたシルヴィはとてもうれしそうだ。


「……ふふ、みんな楽しめたみたいでよかった」


 妹たちがワイワイと思い出話に花を咲かせる姿を見ながら、セリーヌはほっと息をつく。


 自身が成人してからこのような引率をするなど初めてのことであり、皆が心置きなく楽しめるようにとあれこれ根回しやら気配りやらは欠かさなかったつもりだが、その結果が彼女たちの笑顔という形で出たことに嬉しさよりも先に安堵が勝つ。


「セリーヌ殿下も十分お楽しみのようでしたが」


「メリッサ? 余計なことは言わなくて良いんですよ?」


「失礼いたしました」


 セリーヌがにっこり微笑んで見せると、メリッサはスッと視線を逸らした。


 心なしかメリッサの自分へのツッコミが遠慮なくなってきたように思えるのも、この休暇でともに過ごす時間が長かったためだろう。こうした気安い関係は彼女の母親である女王を見習いセリーヌも大事にしているところであり、むしろ喜ばしいことである。


 ――とはいえ、実際ちょっと本気を出し過ぎたのはそうなんですよねぇ……。


 浜辺で行ったバーベキューでは、久々に気兼ねなく料理ができるということと、妹たちに良いところを見せたいという見栄で少々張り切りすぎてしまった。メリッサに留められたころには大宴会でも開くのかという量の食材と料理が仕上がっており、ノクシアがいなければ余らせてしまっていたかもしれない。


 ――まぁ、結果として全部食べきりましたし良しとしましょう。次は気をつけないと、ですね。


 自身の短慮に内心苦笑しつつ、セリーヌはそう思いなおすのだった。


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