第66話:上級者

 そうやってアンジェが素直にルシールをほめたたえていると。


「ほらルシール、早くシルヴィを連れていってあげてくださいまし」


「わぷっ」


 その体が、不意に隣から伸びてきたシャルロットの腕に引き寄せられた。彼女の胸に飛び込む形となったアンジェが見上げると、シャルロットはほんの少しだけ唇を尖らせている。


「ほらほら、シルヴィも早く遊びたいですわよね?」


「うん。ルシ姉様、魔道具見せてー」


「へ? あ、そ、そうですね、わかりました! シルヴィ様にとっておきの見せちゃいますよ!」


「様付けはやだ。アン姉様とみたいにして」


「そ、それはまだ私にはハードルが高いかなー、なんて」


 持ち前の明るさと魔道具でここに至るまでの退屈な道中を楽しませてくれたルシールに、シルヴィはだいぶ心を開いているようだ。そんな彼女にくいくいと手を引かれたルシールは、一応第三王女でもあるシルヴィからのおねだりにどう応えるべきか頭を悩ませつつ、傍らの大きなカバンを肩にかけて砂浜へと駆けていった。


 そうして二人の姿を見送ってから、三十秒ほど。アンジェは何故か、未だにシャルロットに抱きしめられていた。


 甘やかな香りと温もりに包まれるひと時は大変心地が良いのだが、とはいえここは容赦なく日差しが照り付ける屋外。少々汗ばんできているような気がするのも落ち着かないし、シルヴィたちも待たせているのだから早々に着替えたいところなのだが、どうにもシャルロットはアンジェを解放する素振りを見せないのだ。


「……あの、シャル様? そろそろお着換えしたいんですが……」


 意を決したアンジェがそう問いかければ、シャルロットは弾かれたようにバッと体を離した。


「そ、そうですわね! せっかくの海、少しでも長く楽しみませんと! 参りましょうアンジェ様、何ならわたくしがお着換えをお手伝いいたしますわ!」


「ひ、一人で着替えられますから!」


 いつも以上にテンション高く言い放ったシャルロットに手を引かれ、アンジェは海辺にたたずむ小屋の方へと歩いていく。


「ふふっ、シャルちゃんももっと素直になったらいいのに、変なところで意地っ張りなんですから」


「全く無自覚なアンジェ様というのがまた高得点ですね」


 受け入れの対応をしていたセリーヌとメリッサ、大人組二人がそんな生暖かいまなざしを送っているとは気づかないまま。







『き、着替え終わるまでこっち見ちゃダメですからね! 絶対ですからね!』


 更衣室に入って早々にくぎを刺されたシャルロットは、涙を呑んでその言葉を受け入れるほかなかった。アンジェが本当に嫌がることはしない、シャルロットの全ての行動の根幹たる鉄則である。


 しかし、世の中何も直接見るだけが能ではない。


 ――この音はローブの留め具を外した音ですわね。そしてこの衣擦れの音はローブがアンジェ様の柔肌を滑る音……! なんと心地よい響きなのでしょう! 少々大きいようにも聞こえる衣擦れの音は急いでいることの証左、つまりわたくしの存在を意識してのことですわね! 何と可愛らしいこどでしょう!? そして足音が二回ということはおそらく下着を足から抜き取ったということ、即ち今アンジェ様はわたくしの後ろで生まれたままのお姿に……! はっ、いけませんんわ! 想像したらまた鼻血が出てしまいますしほどほどにしませんと……!


 とまぁ、シャルロットはなんだかんだこの状況を楽しんでいるのだった。


 そうして、表向き静かに着替えることしばし。


「……シャル様、お着換え終わりましたか?」


 衣擦れの音がしなくなってなおしばらくの間動かなかったアンジェが、おずおずと問いかける。


「えぇ。アンジェ様はいかがでして?」


「はい、大丈夫です」


 その答えを得るや否や、シャルロットは風魔法まで用いて全力で振り向き――たい衝動をどうにか抑えてごく自然にアンジェのほうへと体を反転させた。


 そして視線を向けたその先に、天使を見た。


 まず目を引いたのは、彼女の輝かんばかりの白い肌だ。普段はローブを中心にあまり肌を見せない服装を好むアンジェの美しい肌が惜しげもなくさらされている。それも、布面積の大きいワンピースタイプではなくビキニタイプの水着によって引き立てられて、だ。


 上下ともに明るいピンク色を基調としたそれは、今もアンジェの髪を彩っている髪飾りと同系色でまとめられている。控えめな胸元をしっかりと覆う形状はアンジェの恥じらいの表れだろうか、それでも胸元に小さくあしらわれたリボンが可愛らしさをこれでもかとばかりに強調している。


 可愛らしさという点でいえば、アンジェの腰回りを彩るフリルもそうだ。スカート風にデザインされていることで露出過多にならず、ふわふわと広がるフリルの甘さとドキリとさせる太腿のラインが絶妙なバランスで同居している。


 総じて、普段のアンジェを想えば随分と攻めたデザイン。自惚れるつもりはないものの、自分がプレゼントした髪飾りと合わせた色味を選んでいることからも、アピール先が誰かなんてことはわかり切っていて。


 それより何より。


「えっと、その……どう、でしょうか。変じゃないですか……?」


 胸元で手を組み、仄かに頬を染めながらもじもじとこちらの様子をうかがっているアンジェに、この水着はあまりにも似合いすぎていた。


「……いけませんわ」


「え? や、やっぱり変でしたか……?」


 シャルロットの小さなつぶやきに、アンジェが不安げに顔を曇らせた直後。


「――こんなお美しいアンジェ様を見たら世の中の全ての女性が虜になってしまいますわ! この水着はわたくしの前でしか着てはなりませんの!」


「えぇっ!?」


 唐突な横暴すぎる発言にアンジェが目を白黒させるが、何か変なスイッチが入ってしまったらしいシャルロットは止まらない。


「あぁでも、アンジェ様の魅力を全世界に広めるためにはむしろこのお姿のほうが良いのかしら? そうですわね、わたくしが一人で独占してしまうのは人類史にとってあまりにも重大な損失! むしろ王城でも城下町でも今のお姿でいてくださいまし!」


「ちょっ、おっしゃってることが急に正反対なんですけど!? というか海辺以外で水着なのはどう考えても変な人ですよね!?」


「そのうえでもしアンジェ様をお慕いする者が現れましたら全員側室にお迎えすればよい話ですわね! そうすれば叶わぬ思いに涙する方もおりませんし、正妻であるわたくしの立場も守られる……えぇ、完璧な策ですわ! そうと決まれば早速お母様に伝令を飛ばさなくては――」


「おおお落ち着いてくださいシャル様!? 側室とか正妻とか何の話ですか!?」


 どこかへ駆けだそうとするシャルロットを、アンジェがその小さな体で必死に引き留めるのだった。


===


 Q.どうして今回のシャル様は鼻血を出さずに済んだの?

 A.直前の妄想で多少準備運動ができていたから(なお異常言動までは抑えきれなかった模様)


 わかっていたことですが、水着を描写するとどうしてもこれまでの文体を維持できなくなりますね……まぁ今回は伝わりやすさ重視、少しでも想像の助けになれば。


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