第3部:過去を乗り越えて
第9章:遠出
第60話:楽しいこと探し
アンジェが自分のうちに眠る膨大な魔力によって魔力鑑定用水晶を融解させてから二か月が経ち、クレマン王国での生活も三か月を超えた。照り付ける日差しは日ごとにその強さを増し、少し屋外にいただけで汗ばむような季節が到来しつつある。
最初の一か月で、アンジェはドゥラッドル帝国にいたころの自分が空虚な操り人形だったことを知った。聖女として民に尽くすことを第一とし、必要とされることを懸命にこなし続けた結果、いつの間にかその考え方は献身を逸脱し依存とさえ呼べるものへと歪んで行ってしまったのだ。そして、そんな生活に疑問を抱けないほどに公務に忙殺されていた日々は、今にして思えば都合よく動く人形以外の何物でもない。
その姿勢がいかに歪であったかを、アンジェを愛する者たちが気づかせてくれた。他者に必要とされるために生きるのではなく、自分のために生きてほしいと願ってくれた。
アンジェはそんな愛を受け、今度こそ本当の意味で『ただのアンジェ』として生きていくために、これまでの暮らしで失われていた『楽しい』を探すことを決めたのだった。
ある時は書庫に通って王国の歴史を勉強したり、またある時は侍女であるメリッサを講師にお菓子作りを教わったり、またある時はルシールに請われて魔道具の試作品の試運転に協力したり。作ったお菓子をプレゼントされたシャルロットが食べた瞬間にこの上なく幸せそうな表情を浮かべて失神する、何故か許容量以上の魔力を流すことを懇願しその結果不明すぎる挙動でぶっ壊れる魔道具をルシールがうっとりと眺めるといったハプニングのようなものもありつつ、アンジェは穏やかで充実した日々を送っている。
そしてこの日もまた、アンジェは楽しいことを求めて動いていた。
「シャル様、シャル様っ。見てください、こっちのお花はもう咲きましたよ!」
王城の中庭の一角、若干余っていたスペースに植えた花が綺麗な白の花弁を開いているのを見て、アンジェが声を弾ませた。
今回、アンジェは土や水に込める魔力が草花の生育にどれくらい影響を及ぼすのかを試していた。込める魔力の量を変えた土や水を何種類か用意し、どのような変化があるかを観察しているのだ。
そういった研究自体は過去にも行われているのだが、実際に経験することでしか得られない知識や発見というものもある。なによりとあるささやかな目的のために、アンジェは今回この題材を選んだのだ。
遅れてやってきたシャルロットは、アンジェの肩越しにその花を見て驚きに目を丸くした。
「……こちらは昨日植えたものですわよね? まさかこんなに早く咲くなんて」
「すごいですよね、豊穣の加護よりずっと早いです……! これを農家の皆さんとかにお教えできたら、皆さんすっごく助かりそう!」
「そ……そうですわね」
強い日差しにも負けない満面の笑顔を見せるアンジェに反し、シャルロットはどこかぎこちない笑みを浮かべて応える。
何故こんなに歯切れが悪いのかと言えば、この花が植えられた土に込められた頭のおかしい魔力量を知っているからだ。
アンジェ曰く「ちょっと多めに」込めたと言うその魔力量は、平均的な魔法使い十人以上が魔力切れでぶっ倒れるようなものである。シャルロットですら十回も繰り返せば魔力切れを起こしかねないレベルだ。
――それはまぁ、あれだけ込めればこんな滅茶苦茶な成長速度にもなるでしょうけれど……アンジェ様以外に再現できないことをお教えしても、仕方がありませんわよねぇ……。
内心ではそう思っていても、アンジェの眩いばかりの笑顔を前にしてはそうはっきり言うこともできず、シャルロットは事実を曖昧に飲み込むしかないのだった。
と、そこへ急に、どこからかとてつもない勢いの足音が近づいてくる。その音の主をいち早く察知したシャルロットが咄嗟に一歩分ほど横にずれれば。
「アンジェちゃああああああああああああああんっ!!!」
「ふにゅっ」
次の瞬間、そんな大絶叫とともに襲来したセリーヌがシャルロットの横を猛スピードで駆け抜け、アンジェを思いっきり抱きしめていた。
「アンジェちゃんただいまあああああああっ! やぁっと帰ってこられましたよおおおおおっ! あぁ、久しぶりの遠征で疲れ切った心と体にアンジェちゃんの清らかさが沁みるぅ……♪」
「え、あ、あの、ちょっ」
うっとりしながらほおずりまでしてくるセリーヌに対し、アンジェは未だに状況が飲み込めずに目を白黒させるばかりだ。
そして、そんなアンジェの背後にもう一つの影が迫る。
「アン姉様ただいまぁ。ねぇねぇアン姉様、シルいっぱい頑張ってきたよ。褒めて褒めてー」
眠たげな声と同時に力いっぱい抱き着いたのは、言わずもがなシルヴィだ。ほとんど体格差のない体をぴったりとアンジェに密着させて、全身でアンジェを味わっているように見える。
そんな二人の様子に苦笑しつつ、シャルロットはそっと姉妹たちの肩をたたいた。
「おかえりなさいませ、お姉様、シルヴィ。お気持ちはわかりますが、アンジェ様がお困りですわ」
「はっ!? ご、ごめんなさいアンジェちゃん、私ったらついアンジェちゃん分欠乏症で禁断症状が出てたみたい……!」
「シルもー……足りなくて動けないー……」
「わ、私はお薬か何かなんですか……?」
「えぇ、定期的に摂取しなければ大変なことになりますの。なのでわたくしも」
「ちょっ、シャル様まで何してるんですか!? 味方じゃなかったんですかぁっ!?」
いつの間にやら二人と一緒になってアンジェを包み込んでいる自分に、シャルロットは内心首をかしげる。
――あら、わたくしったら何してるのかしら? ……まぁアンジェ様もハグはお好きですし問題ございませんわね!
「はぁ……アンジェちゃんハグするの本当に気持ちいいなぁ……♪」
「アン姉様さいこぉ……このまま寝ちゃいたい……♪」
「み、皆さん見てますから! せめてお部屋で……三人とも聞いてくださいよおおおおおっ!?!?!?」
まったく理由になっていない理由で自身を納得させたシャルロットはもとより、長旅の疲労がうかがえるセリーヌとシルヴィにもアンジェの叫びが届くことはない。
アンジェはしばしの間、王女三姉妹に抱きしめられながら王城の職員たちから生暖かい視線を送られ続けるという針の筵に晒され続けるのだった。
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