第59話:看破
「は……?」
祈りの途中だというのに、アレクシアは思わず瞼を開いていた。
目の前にあるのは数秒前と変わらず、自分の背丈と同じくらいの巨大な宝玉、それだけだ。舞台の中央に立つアレクシアの周囲には誰もいない。この場にいる誰もが同じようにして祈りを捧げているのだから当然だ。
そして、いくら横目に見渡してみても、自分と同じような驚愕や動揺を表しているものもいなかった。
――なら、あの声はいったい……?
空耳にしてはやたらはっきりと聞き取れた幼子のような声と、それに反した老人のような口調。そして式典の盛り上がりの中にあって今まさに目覚めたといったような場違いともいえる言葉は、これでもかとばかりにアレクシアの脳裏に焼き付いている。それが何かの間違いや勘違いだと、笑い飛ばせないほどに。
そして、戸惑いを隠せないアレクシアの頭の中に。
『む? 何じゃその装い、お主は聖女か? じゃが前に妾が見た聖女はまだ幼子であったぞ? もう代替わりしたというのか?』
再び女性の声が響き、アレクシアは硬直した。
何故なら今度は声だけでなく、視線も感じたからだ。――他でもない、目の前の宝玉から。
白銀の輝きを放つ宝玉に、もちろん目などついていない。にもかかわらず、アレクシアはその宝玉からまるで強力な魔法生物と相対したかのような圧力を感じていた。……それこそ、まるで竜種にでも睨まれているかのような。
――あ、ありえないわそんなこと! あんなのただのおとぎ話だし、大体事実だとして何年たってると思って……!?
自分の理解をはるかに超えた事象に、アレクシアの脳が思考を止めてただありえないと連呼する。
だがそれを打ち砕くかのように、あるいは単に思い浮かんだ言葉を並べるかのように、声の主が続けた。
『……お主、本当に聖女か? お主からは"あ奴"の気配を感じぬのだが』
その一言の衝撃は、アレクシアの思考を完全停止させるには十分すぎた。
ことここに至るまで、アレクシアが聖女であることに疑いを持つものなど誰一人として存在しなかった。神託が降りていることはもとより、『聖女の力』は通常の魔力や魔法と異なり何者にも感知できないのだから当然だ。
加えて、聖女が総じて持つとされる高い聖属性魔法への特性も教会の一派と協力して作り上げた魔道具で偽装してある。疑いの目が向く余地などない、はずだった。
だというのに、この謎の声の主はまるでそれらが効いていないかのようにアレクシアのことを疑って見せた。それは、アレクシアの今後を揺るがしかねない重大な事態だ。
『いや、それどころかここら一体から全く"あやつ"の気配がせんではないか。妾がちと転寝している間に何があったというのじゃ? これ、お主、何か知っておろう?』
アレクシアの心臓が、一泊遅れてものすごい勢いで拍動を始める。心音の煩さに少しだけ戻ってきた理性がガンガンと警鐘を鳴らすが、呆然と開いた口からは何の言葉も出てこない。
声の主はそんなアレクシアの答えを数秒待って、しかし何の返答もないとみるやため息をついた。
『……なるほど、"あ奴"が気に入った前の聖女ならばあるいはと思っておったが、既にどうしようもないほどこの国は腐りきっておったということじゃな。ゆえに"あ奴"も見限ったと。……そういうことであればあとはおぬし等の好きにするが良い。妾もそうさせてもらおうぞ。全く、"あ奴"も行くなら妾にも声を掛けろというに、困ったやつじゃのぅ」
その言葉を最後に、アレクシアが感じていた圧力が嘘のようにふっと消失した。ようやく動けるようになったアレクシアは、直後に力なくその場に座り込んだ。
「何だ? ……アレクシア!? どうしたのだ!?」
「せ、聖女様!?」
ロランスや衛兵たちが慌てて駆け寄ってくる中、アレクシアの脳内では先ほどの声が繰り返し再生されていた。
『……なるほど、"あ奴"が気に入った前の聖女ならばあるいはと思っておったが、既にどうしようもないほどこの国は腐りきっておったということじゃな。ゆえに"あ奴"も見限ったと。……そういうことであればあとはおぬし等の好きにするが良い。妾もそうさせてもらおうぞ」
混乱しきった今のアレクシアの頭では、まだこの言葉のすべてを理解しきることはできない。それでも声の主が連呼していた『あ奴』が誰を指すのか、そしてその『あ奴』がこの国を見限ったらしいということはわかる。
……もしも、それが事実だとすれば。
――私は、私たちは、もしかして取り返しのつかないことをしてしまったというの……?
先ほどまでの高揚感など一瞬で霧散し、代わりに途方もない危機感が胸中を埋め尽くす。
その最悪の結末を想像することを脳が拒むかのように、アレクシアの意識はそこで途絶えた。
突如として崩れ落ちた聖女の姿に、会場中が驚きと困惑のざわめきに包まれていく。
当然、賓客用の席にいたセリーヌも、直前までと明らかに異なるアレクシアの様子に目を丸くしていたのだが。
「……セリ姉様」
小さな呼びかけとともに末妹に袖を引かれ、セリーヌは彼女のほうへと目を向ける。
「どうしました、シルヴィちゃん?」
「今、何か飛んでった」
シルヴィはこの会場内にあってただ一人、明後日の方向――西の空を見上げていた。セリーヌも彼女の視線を追って空に目を向けるが、そこにはただ良く晴れた青空が広がっているだけだ。
「……私には何も見えないけれど、今も見えてますか?」
「うぅん、もう飛んでっちゃった。あれの中から」
言って、シルヴィが指差したのは介抱されている聖女の向こう側に鎮座する聖龍の宝玉だ。宝玉は数秒前までと変わらない白銀の輝きを放っており、特に変化らしい変化は見受けられない。
だが、シルヴィが言う以上は間違いなく、そこから何かが飛び立ったのだ。そして、帝国の建国物語が正しいとするならば、その『何か』の正体はおのずと透けてくる。
セリーヌは今一度、シルヴィに向き直って問いかける。
「シルヴィちゃん、その『何か』は悪い感じはしましたか?」
「全然。むしろすっごくきれいな感じ」
あっけらかんと言うシルヴィを見て、セリーヌは緊張を緩める。超高精度な感知能力を持つシルヴィが言うのであれば、疑う余地はないだろう。
――害意がないのならまぁ良いでしょう。……とはいえ無策は危険、竜種対策も考えておく必要がありますね。本当に、この国はアンジェちゃんの一件以来どうしてこうも厄介ごとを増やしてくれるのでしょうか……。
担架で運ばれて行くアレクシアと眉間にしわを寄せている神殿長を一瞥し、セリーヌは内心深いため息をついたのだった。
かくして、聖女就任式典は混乱のうちに幕を閉じた。
後にこの一件は偽聖女の呪いの浄化を行ったことによる後遺症と発表され、国民の偽聖女への怒りはさらに燃え上がることとなる。
そして、その怒りの炎の対象が反転し、皇室やアレクシア、教会に向けられる未来が訪れるのもまた、そう遠くない話である。
===
というわけで、間章および第2部は以上で完結となります。ここまでお読みいただきありがとうございました!
もしお楽しみいただけておりましたら、ぜひフォローや★で応援いただけると嬉しいです!
第2部を通しての後書きは長くなりそうなので後程近況ノートに投稿します。ここでは間章の後書きを。
今回の間章は帝国の動きもそうですが、これまで深堀されてこなかった王女三姉妹の関係性や能力をお見せしたいという意図もありました。
お互いのことをすごく想い合っている三姉妹、これからもアンジェをかすがいにもっともっと仲良くなって欲しいですね。
ただし敬愛しながら容赦なくセリーヌに仕事をぶん投げてるシャル様はちょっと正座しててください。
さて、次章は再びアンジェサイドにお話が戻ってきます。帝国さんは何やら大変そうですが、アンジェは楽しくちょっと遠出するみたいですよ。
次章もお楽しみに!
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