第58話:聖女就任式典

 セリーヌと神殿長の会談が終わってから半刻ほどが経ち、いよいよ聖女就任式典が幕を開けた。


 式典はまず、帝都の入り口から皇城へ向かう大通りを行くパレードから始まる。鼓笛隊が奏でるファンファーレとともに門が開き、そこから豪奢な意匠の馬車が姿を見せると、集まった観衆がどっと沸いた。


「聖女様ー!」


「ご就任おめでとうございます!」


「救国の聖女様をこの目で拝めるとは……ありがたや、ありがたや……!」


 上半分がガラスで作られた特製の馬車に乗った聖女を民衆が思い思いに眺め、祈りや祝福の言葉をかけ、喜びの声を上げている。


 そんな歓喜の渦の中心にいる聖女・アレクシアは、取り繕った清廉な微笑みとともに手を振りながら優越感に浸っていた。


 ――そう、そうよ! 高貴な生まれの真の聖女が民から敬われる、これこそがあるべき姿! 私はこの国にそれを取り戻したのよ!


 思い出されるのは十年前、先代聖女――もとい偽聖女の就任式典に参列した時の記憶。


 今の自分同様に豪奢な馬車に乗せられた少女は始終緊張しきりで、歓声にもろくに応えられていなかった。滑らかな銀髪と青い瞳は目を引いたが、ただそれだけ。雰囲気からも態度からも高貴さのかけらも感じられないような、まるでそこらの平民と変わらないガキだった。


 そんな少女を見る目は祝福が多数ではあったが、少なからず落胆や嫉妬の色が入り混じっていたのをアレクシアはよく覚えている。彼女の両親も「何であのような平民上がりが」という態度を隠してもいなかったし、アレクシアも全く同じ考えであった。


 神は何故あのような者に力を与えたのか、アレクシアには全くわからない。『聖女の力』は与えられたものだから除くとして、家柄も身分も、身体も魔法の才覚も、何もかも自分が勝っていると本気で思っている。……仮に自分でなかったとしても、他に相応しい生まれのものなどいくらでもいるはずなのだ。


 にもかかわらず、選ばれたのはあのガキ。そんな理不尽があっていいのか。聖女という肩書があのガキの手の中にあることは、国にとっての損失ですらあるのではないか。


 だから、取り戻した。この国にふさわしい生まれである、自分のもとに。


 ――あははっ。この光景を見ずに済むなんて、アンタも悪運が強いわねぇ?


 十年前と違い、アレクシアが見渡す限り自分に対して負の感情を向けているものはいない。やはり自分は、この国に求められた聖女なのだ。


 いくつかの想定外により思いがけない苦労をさせられてはいるものの、それもあと少しの辛抱だろう。直に神託が降りて新たな聖女が現れれば、自分はこの苦しみから解放される。何なら今度こそ自分を聖女とする神託が降り、本来の力をもって正真正銘の聖女になれるかもしれない。


 こみあげる高揚感が、『疑似護国の結界』展開以来ずっと付きまとっていた倦怠感を吹き飛ばしてくれる。喜悦に歪みそうになる唇を堪えながら、アレクシアはゆったりと走る馬車から笑顔を振りまいた。


 そうして時間をかけて大通りを抜けた馬車は、予定時刻よりやや遅れて皇城前の特設会場へと入った。大歓声の中、停車した馬車に一人の男が歩み寄る。


「行くぞ、アレクシア」


「はい、ロランス殿下」


 ロランスが差し出した手を取って馬車を降りれば、観衆は未来の皇帝と皇后の仲睦まじい姿にまた湧き上がる。自身の一挙一動に反応する観衆の姿は、アレクシアの心を際限なく満たしていった。


 舞台に上がったアレクシアは、皇帝や神殿長、筆頭貴族や国賓らから祝いの言葉を受け取っていく。途中、クレマン王国の第三王女から向けられる視線に若干の違和感はあったものの、式はそつなく進行する。


 そして、式典もいよいよ最終盤。舞台中央から演台が運び出され、代わりに巨大な水晶玉のようなものが数人がかりで設置される。銀色の光で満たされたそれは、『聖龍の宝玉』と呼ばれるこの国の国宝の一つだ。


 初代皇帝と聖女は、現在のドゥラッドル帝国が位置する大陸南部を開拓する最中一匹の竜と遭遇し、戦闘となった。


 大きな翼に鋭い爪、堅牢な白銀の鱗を備え生物としての圧倒的な格の違いを見せつける竜に対し、初代皇帝は一切ひるむことなく挑み、聖女もこれを全力で支援した。そして激しい戦いの末、竜は初代皇帝を強者と認め、力を貸すことを約束したという。


 その約束通りに初代皇帝らとともに数々の激闘を繰り広げた竜は、ドゥラッドル帝国の建国を見届けたのちに深い眠りについた。初代聖女は竜が安らかに眠れるようにと特別な結界を作り、その中に竜を収めたそうだ。――建国物語にて語られる聖龍についての一節であり、帝国の象徴として聖龍が用いられる理由でもある。


 この『竜が眠る特別な結界』こそが『聖龍の宝玉』だ。この中では今も聖竜が眠っているとされており、今回の式典のような重要な国事の際は表に運び出され人々の祈りを受けるのである。


 ……とはいえ、この中に本当に竜が存在しているかどうかはわかっていない。外界からの干渉は一切不可能で、こうして移動させられるくらいがせいぜいなのだ。

 長い平和と熱心な信徒の減少により、竜の実在を信じない、あるいは無関心なものも少なくない。アレクシアもそんな無関心なうちの一人であるが、だからと言ってこの場で適当な対応をすることはさすがにできない。


「それでは、新たな聖女様とともにこの国の平和を祈りましょう」


 司会を務めていた女性の声を受け、アレクシアは宝玉の前に歩み出る。作法にのっとり、両手を顔の前に組んで瞼を閉じ、見た目だけは祈りの姿勢を取った。


 この儀式が終われば、最後にアレクシアが民衆に言葉を届けて式典は終わりだ。聖女のあるべき姿を取り戻した自分はすべての国民から敬われ、その影響力は盤石のものとなるだろう。後は聖女の神託が降りるのを待つだけだ。


 聖龍への祈りもそこそこにそんなことを考えていたアレクシアは、次の瞬間。


『……うぅむ? なんじゃ、まだそんなに寝ておらんのにまた何かあったのか? まったく、あまり妾を何度も起こすでないぞ』


 頭の中で、これまでに聞いたことのない女性の声を聴いた。


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