第57話:カモフラージュ
「……以前我が国として貴国にご連絡差し上げた以上のことはございませんが、何か新たな懸念などが出ているのですか?」
アンジェがシャルロットとともにクレマン王国王城に到着したその日のうちに、ドゥラッドル帝国には女王の名で経緯を説明した書状を送付している。もっともアンジェが王城に居住していることは明かしておらず、表向きには国境を越えたところで釈放したということになっているのだが。
その事実を盾に様子見を選んだセリーヌに対し、神殿長はどこか不敵に笑って答える。
「あぁいえ、今まさに何か問題があるというわけではないのですが。我が国の神託をも捻じ曲げる力を持つ偽聖女ですので、そのようなものが貴国に潜伏しているとなると我が国としても穏やかではないかなと」
「……その言い方ですと、何か動くおつもりがあるかのようにも受け取れてしまいますが」
降ってわいた不穏な気配に、セリーヌは表情を硬くする。
「いくら国交を持つとはいえ、我が国内で勝手な行動をされるのは看過できません。我が国の主権を侵すおつもりですか」
「いえいえ、滅相もございません。……そうならないためにもただ一つ、貴国にご協力をいただきたいだけなのです」
視線に力を込めるセリーヌを余裕の笑みで受け止めて、神殿長が続ける。
「皇子による裁定にて国外追放となっておりますが、前述のとおり神託をゆがめるような力を持つものが国の周りをウロチョロしているのは危険。ですので可能な限り、偽聖女の居所を特定し我々にも共有いただきたい。もちろん、相応の謝礼は致します」
「……であれば、そもそもの措置が誤っていたようにも思えますね」
セリーヌはつい、呆れから来るため息を零した。
「その方が我が国に入国してからもう二か月以上が経過しております。未だに国内に留まっているとは限りませんし、仮に留まっていたとして我が国でなにか問題を起こしたというわけでもありません。無実の者の行動を縛ったり、監視をつけたりなどできるはずもないでしょう」
「おや、我が国が追放した不穏分子と知ってなおそのようにお考えですかな? まるで偽聖女が無害であるという確信でもお持ちのようなお言葉だ」
「言いがかりはおやめください、ただの一般論です。追放を受け入れることで貴国での贖罪は済んでいるはず、であれば我が国としては一人の人間として扱うべきでしょう」
言葉の応酬が留まり、セリーヌと神殿長が無言のままにらみ合うこと数秒。
「……それが貴国の判断ということであれば、我々からこれ以上干渉することはできませんな」
やれやれといった様子で神殿長が肩をすくめる。
「我々としては、貴国としても危機を未然に察知でき我が国へも利点のある良い提案だと考えておりましたが、飛んだおせっかいでしたかな」
「我が国に危機が及ぶなら我々で対処いたしますのでご安心を。……それに、貴国には『護国の結界』があるのですから、偽聖女の再入国は不可能ではないのですか」
「神託を捻じ曲げるほどの能力ですので、念には念を入れてのことでございます」
神殿長が一瞬言葉に詰まったのを、セリーヌは見逃さなかった。
――やはりこの方、結界が不完全なことを把握している。あるいはアンジェちゃんが偽聖女じゃないことか……どちらにせよ、教会が関与しているというシャルちゃんの仮説は間違いなさそうですね。
『護国の結界』は帝国に害意を持つものを通さない。そのことを教会関係者、ましてや神殿長ともあろう人が失念するなどありえないことだが、今の間はそうとしか考えられないものだった。
つまり、神殿長は『護国の結界』があっても
――あとは、彼らが今になってアンジェちゃんを探している本当の理由が分かれば良いのですけど……。
と、セリーヌが次の一手を思案し始めたところで、部屋の扉がノックされた。顔を出したのはセリーヌたちの従者に引き連れられた神官であり、式典直前の最終確認に神殿長を呼びに来たとのこと。
「おや、もうそんな時間か。……それではセリーヌ殿下、シルヴィ殿下、私はこれで。どうか式典を楽しまれてください」
神殿長はぬるくなった紅茶を一息に飲み干すと、速足で部屋を後にした。扉が閉まったのを確認し、セリーヌはようやく詰めていた息を吐いた。
「……セリ姉様」
直後、セリーヌの隣で小さくなっていたシルヴィがセリーヌの膝の上に飛び乗ってくる。
「あの人、なんかやな感じした。アン姉様、大丈夫かな」
「大丈夫ですよ。彼らにはロクな情報は与えていませんから」
セリーヌが教会と断罪の件のつながりを確信するに十分な情報を得た一方、細心の注意を払っていたセリーヌの発言は今までに向こうに出している情報の域を出ていない。新たな行動を起こすにも今しばらく時間がかかるだろう。
……そして、彼らのもう一つの目的も、すでに封殺している。
「シルヴィちゃんのおかげで『アレ』も事前に破壊できた今、彼らが私たちから情報を抜くのは不可能ですしね」
そういってセリーヌが視線を向けたのは、壁際の棚の上に置かれた手のひらサイズの小箱。一見するとただのインテリアか何かにしか見えないそれは、入念に魔力感知の阻害術式を組み込まれた、盗聴用の魔道具だった。
神殿長が直接セリーヌたちの前に姿を現したのはおそらくカモフラージュ。本命はこの盗聴器を用いた、気を抜いた瞬間の会話から得られる情報だったのだろう。そう考えると、神殿長が自分の関与や主権の侵害行為を疑われかねない発言を織り交ぜていたのも、それによって警戒感をあおり後の気のゆるみを大きくするための策だったのかもしれない。
これがセリーヌとシャルロットの組み合わせであれば、まんまとアンジェの情報を盗まれていたことだろう。だがシルヴィの前ではどれだけ感知阻害をかけたところで無意味だ。盗聴器は既にシルヴィの手によって魔力回路を滅茶苦茶に書き換えられており、どうあがいても起動させることはできない。
「シル、偉い?」
小さな体で大仕事をやってのけた末妹がキラキラと目を輝かせている。そんなあどけない姿に頬を緩めたセリーヌは、愛しさを込めてそっとその頭を撫でた。
「もちろん。偉い偉い」
「んふー」
目を細めて満足げに自身の胸に甘えてくるシルヴィを受け止めつつ、セリーヌもまた一仕事終えたという達成感に身をゆだねるのであった。
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