第55話:第一王女は妹想い
そして、アンジェが偽聖女として国外追放されたあの夜会の日から三か月。『救国の聖女』の就任式典当日を迎えた帝都は祝福ムード一色となっていた。
家々の軒先には信仰を表す十字架に聖龍の紋章が掲げられ、城下町最大の広場や大通りにはいくつもの露店が立ち並ぶ。行き交う人々の顔にはもれなく笑顔が浮かび、パレードの終点である皇城前に設けられた舞台の前には、式典の開幕までまだ三時間以上もあるにも関わらず既に人だかりができている。
「……すごい人」
皇城に設けられた控室からその様子を眺めていたシルヴィが面倒そうにつぶやくのを見て、セリーヌは思わず苦笑する。
「それは、国を挙げてのお祝い事ですからね」
「……人多いの、やだ」
いうなり、シルヴィはサッとカーテンを閉めるとソファに座るセリーヌのもとへとタタタッと駆け寄り、その膝の上にぴょんと飛び乗った。せっかくこの日のために仕立てた可愛らしいドレスがしわにならないよう、セリーヌはさりげなくドレスの裾を整える。
「大丈夫、そのうち慣れますよ。……ほら、いっぱい頑張るって約束しましたもんね?」
「……うん」
ぽんぽんと優しく頭をなでると、シルヴィはまだ不安げながらもツインテールを揺らして頷いた。
もともと三姉妹の中で最も内向的なシルヴィだが、彼女が大勢の人間がいる場を苦手とする理由はほかにもある。それが、彼女の飛び抜けた魔法感知能力の高さだ。
シルヴィは魔力の量や流れ、属性といったものを実に鮮明に感じ取ることができる。例えば目を瞑っていても目の前の人物の動きを魔力の動きだけで把握できたり、まだ起動すらしていない魔道具の場所と効果を察知できたりするほどに。
しかし、その感知能力の制御はまだまだ発展途上。魔力を持った人や物が多くなればなるほど感知する情報量も増加するが、まだ幼い彼女はその膨大な情報をさばききれないのである。
ゆえに、今回のような大きな行事についてはシルヴィを参加させないことが多かったのだが。
――シルヴィちゃんから『頑張る』って言ってくれたの、嬉しかったなぁ。これもアンジェちゃんのおかげだね。
きっかけはあまり好ましくないものの、結果として内気で気まぐれなシルヴィが自ら新たな一歩を踏み出すことができたのだ。姉としてこれほど喜ばしいこともそうないだろう。
頑張ろうとしている末妹に姉であるセリーヌができることは、その小さな背中を押してあげることと、何があっても大丈夫だと安心させてあげることだけだ。
「無理はしなくて良いですからね。疲れたなって思ったらすぐ私に教えてください。大丈夫、私がついていますから」
「……うん。セリ姉様と一緒なら、大丈夫」
膝の上でくるりと体を反転させたシルヴィが、小さな両腕を目一杯使ってぎゅぅっと抱き着いてくる。そんな彼女の背をゆったりとしたリズムで撫でれば、幾分か落ち着いてきたようですりすりとセリーヌの胸に甘えてきた。
「ふふ。シルヴィちゃんは甘えん坊さんですね」
「セリ姉様だからだもん」
「あら、それを聞いたらシャルちゃんが泣いちゃいますよ?」
「……いじわるいうセリ姉様、きらい」
「えー? 私はシルヴィちゃんのこと大好きなのになぁ」
言葉とは裏腹に全く離れようとしないシルヴィにほっこりしつつその頭をなでていると、不意に部屋の扉がノックされた。
「失礼いたします、セリーヌ殿下。神殿長様がお目通しを求められておりますが」
顔を見せた侍従の言葉に、セリーヌは緩んでいた頬を引き締める。
今回の式典を主導しているのはロランスを筆頭とした皇室側だが、聖女を管轄している教会も当然主催に名を連ねている。聖女が拠点としている帝都の大神殿、そこの神殿長とあらば相応の役職者であることは想像に難くなく、代表として賓客をもてなす役割を担っていても違和感はない。
だが、今回の招待には何かと不穏なものが見え隠れしている。特に新聖女・アレクシアとその周辺は要注意という状況下で、教会関係者筆頭ともいえる人物が直に接触を図ってきたとあっては、セリーヌの警戒心が最大になるのも当然である。
――ですがちょうど良いですね。彼らの現状を探るにあたって、これほど適した人物もそういないでしょう。
何かしらの罠の可能性も鑑みつつ、それでも女王がセリーヌとシルヴィの派遣を決めたのにはいくつかの理由がある。その一つが相手方についての情報収集だ。
アンジェが王国に住まうようになってまだ三か月ほどだが、彼女は既に王家にとって欠かせない人物となりつつある。セリーヌにとってみてもアンジェは愛する妹の婚約者かつ将来の妹というだけでなく、極上の癒しを与えてくれる貴重な存在だ。
そんなアンジェに降りかかる火の粉を払うためには、アンジェを狙う輩の目的を明らかにする必要がある。今回のように動きがあってから検討するだけでなく、こちらからも打って出ることができるように。
「……お通ししてください」
名残惜し気なシルヴィを隣に座り直させつつ、セリーヌは従者にそう許可を出した。
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