第52話:救国の聖女の憂鬱

「あ、あの、聖女様。本日のご公務は……」


 他方、ドゥラッドル帝国帝都中央区画に位置する大神殿。


 聖女の居室を訪れた年若い巫女が恐る恐るそう切り出すと、『救国の聖女』たるアレクシアはキッと彼女をにらみつけた。


「言ったでしょう。偽聖女の呪いを払ったことで、私は力の大部分を消耗したの。今は結界の維持だけで手一杯なんだから、そのあたりは貴女たちで何とかして頂戴」


「そ、そうですよね。失礼いたしました」


 鋭いまなざしに射すくめられた巫女はびくりと肩を震わせると、深々と頭を下げてあわただしく部屋を後にする。それを見送ったアレクシアは、大きなため息をついてソファに沈みこんだ。


 先ほど彼女が巫女に伝えた内容は当然建前だ。そもそもアレクシアは『聖女の力』を使えないのだから、消耗も何もあろうはずがない。ではそんな状況下でどうやって『聖女の力』を前提とした公務を躱すかと考えた時、彼女に協力する教会関係者から授かった理由付けがこの建前である。


 これ以上彼らに借りを作るのはアレクシアも本意ではなかったが、『疑似護国の結界』に魔力の大部分を捧げている現状、聖属性魔法を用いて『聖女の力』を模倣するのも難しい。よって、今はこの建前を使って教会の神官や巫女に仕事を押し付けている、というわけだ。


 そうして結果的に途方もない量の公務からは解放されたアレクシアだが、悩みの種はまだまだいくつも存在している。


 まず、神殿内での自分の評判だ。前述の教会関係者一派の企みにより、前の聖女であるアンジェには過剰な量の公務が降りかかっていた。その代わり神官や巫女に割り振られる仕事量はだいぶ抑えられており、アンジェは彼ら彼女らから相当に慕われていたらしい。


 それが、今の聖女は救国を為したとはいえほとんどの仕事を自分たちに割り振ってくる。不満の声が上がってもおかしくはない。


 そして、彼ら彼女らをどうにかなだめようにも、慢性的な魔力の欠乏に寄り体が言うことを聞かないのだ。


 本当なら先の巫女に対してももっと温和に接して良い印象を与えたかったところなのだが、そんな余裕がないほどに、アレクシアは常に疲労と戦っている。こんな状態で常に体面を取り繕えるほど、アレクシアは頑丈な人間ではなかった。


 ――何よ、何なのよ!? あのガキどんだけ無茶苦茶してたっていうの!? フーコ侯爵家の中でも最強クラスの魔法能力を持つ私でさえこのザマだっていうのに……!?


 夜会の日、自分の前で泣き崩れた少女の姿が脳裏をよぎり、アレクシアはギリと歯ぎしりする。


 アレクシアが神殿で暮らすようになってから直面したのは、過去のアンジェの好評だ。もちろん、神託が降りた以上偽聖女とされたアンジェのことを表立ってほめたたえるようなものはいない。だがそれでも、今の自分とアンジェを比べるような世間話が耳に入ることもあり、その度に腹立たしさが彼女の胸中を支配する。


 最初は『聖女の力』による特殊性だと思っていた。だが、自分も疑似的とはいえその一端に携わったことで理解したのだ。これは力なんて関係ない、本人の意思、精神性に由来する、まさに聖女としての志がなければ成し得なかったものだと。


 しかしながら、それを認めてしまえば自分たちの行動が間違っていたと認めることとなる。それだけは絶対に許されない。ドゥラッドル帝国の聖女は高貴なものでなければならないのだ。だから、アレクシアは引き返すわけにはいかない。


 ――まぁ良いわ。新しい聖女さえ現れれば結界の維持ともおさらば。結界だけでも大変なことはわかったし、百歩譲って通常業務くらいは私がやってあげても良いわ。そうして聖属性魔法の練度が上がれば、『聖女の力』ほどではなくともそれなりに誤魔化せるようになるわね。


 協力者たちの言葉を信じれば、あと二か月以内に新しい聖女を指名する神託が降りる。そこまでの辛抱だと、アレクシアが皮算用をしていたその時、部屋の扉がノックされた。


 顔を出したのは先ほど追い返した巫女だ。アレクシアが眉を顰めると、巫女はまた肩を跳ねさせておずおずと口を開いた。


「あ、あの、聖女様。ロランス殿下がお越しです」


 眉だけでなく顔全体までしかめそうになるのを、アレクシアはどうにか堪えた。


 神官や巫女たちはまだ良い。少々ぞんざいに扱ったところで、立場は聖女である自分のほうがうえなのだから。しかしロランス相手となれば話が違う。未来の夫であり国の最高権力者である彼の機嫌を損ねることは、今後の自分や家のためにも何としても避けなければならないのだ。


 だが平時ならばいざ知らず、今の身体の状態でそういった所作に気を配るのはかなりの重労働。出来ればご免こうむりたいところではあるものの、当然彼に対してノーなどと言えるはずもなく。


「……お通しして」


 精一杯の作り笑いを浮かべて、アレクシアは巫女に応えるのであった。


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