第51話:目くらまし

 クレマン王国で国軍再編の動きがにわかに起こり立つ中、ドゥラッドル帝国皇城もまた、あわただしさを増していた。……だがそれは、クレマン王国でセリーヌが抱いた危機感に類するものが理由ではない。


「おい、聖女就任式典の会場設営の進捗は!? それとパレード用の馬車の調達は――」


「各家からの参列者の一覧がまとまりました。ご確認を――」


「パレードの警備体制ですが、平民の居住区核に入るこの地点から人数を増やしまして――」


 そう、ドゥラッドル帝国は今、偽聖女の呪いからこの国を解き放った真の聖女・アレクシアの聖女就任式典の準備で大忙しなのだ。


 ドゥラッドル帝国の長い歴史にあっても類を見ない大事件だった『偽聖女の呪い』。それを打ち払い再び帝国に安寧をもたらした『救国の聖女』の就任を祝う式典とあらば、まさに国を挙げての一大行事となる。そのため帝国中枢は、緊急時に備える一部の人員を残して文字通り総力をもって準備に取り掛かっているのだ。


 そしてその指揮を執るのは、くすんだ茶髪に切れ長の瞳を持つ未来の皇帝――第一皇子・ロランスである。


「各所、状況を報告せよ」


 皇城の一角に設けられた聖女就任式典運営本部。その会議室で議長席にどっかりと腰を下ろしたロランスがそう指示すると、役割ごとに分割された各班の代表者たちが順に準備状況を報告する。


 進捗は上々。とくにこれといった問題もなく、このままいけば予定通りの日程で式典を開催できるだろう。ロランスは満足げな笑みをこぼす。


 今回ロランスが式典の責任者となったのは、彼に実務の経験と実績を積ませて将来の皇位継承に向けた動きを本格化させたいという皇帝の意向が大きい。他に男児がいない以上第一皇子であるロランスが皇位を継ぐのは当然ではあるが、臣下の忠誠心を繋ぎとめるには実力を見せるのが最も有効なのだ。つまるところ、彼が次代の皇帝となっても安定した治世ができるようにという、現皇帝の親心である。


 ロランスがそれをどこまで理解しているかはともかく、彼にとってもこの式典は自分の力量を見せつけるチャンスだ。何より将来の皇后となる聖女の晴れ舞台なのだから、気合も入るというものである。


「うむ、順調なようで何よりだ。ほかに報告はあるか」


 ロランスがそう問いかけるが、特に誰が口を開くこともない。ロランスは頷いて会を締めようとしたその時、


「……すみません、一点、よろしいでしょうか」


 おずおずと手を上げたのは、式典後に行われるパレードの警備を担う班の代表者だ。平時は国内の治安維持に従事する兵士たちからなる班である。


「うむ、なんだ」


 背もたれに寄りかかり腕組みをしながら促すロランスに、代表者は委縮しながらも立ち上がり発現する。


「その……同僚から、以前よりも魔物退治のための出動が増えていると聞いておりまして。式典に際し、何か対策等は――」


「いらん」


 ロランスは代表者の言葉を聞くなり眉をひそめ、吐き捨てるように返した。


「現在の警備体制であれば例え竜種が襲撃してきても打ち払えるであろう。少々の魔物の群れなど取るに足らん。その程度のことで狼狽えるな」


「しっ、失礼いたしました!」


 思いがけず強い調子で叱責された代表者は思わずすくみ上り、声を裏返しつつどうにか謝罪すると速やかに着席した。


「……他に報告はあるか」


 ロランスはため息をつきつつ、改めて一同に問いかける。身動ぎ一つしない代表者たちをしばし眺めるが、今度こそ誰も発言しようとはしていないようだ。


「……よし、ではこの場は以上とする。各自持ち場に戻り、引き続き力を尽くせ」


 ロランスはそのように散会を宣言すると、手早く資料をまとめて会議室を後にする。部屋を満たしていた緊張感がようやく緩み、代表者たちはやや疲れたような顔をしつつそれぞれの職務へと戻っていくのだった。


 ……確かにロランスの発言の通り、式典やパレードの警備は過剰ともいえるほどに入念なものとなっている。そのことは責任者であるロランスが一番理解しているといっても良く、決して誤った判断ということはないだろう。――式典やパレードの警備に限っていえば、だが。


 式典の成功に固執するあまり、彼は気づけなかった。


 出撃数増加の報告にあった『以前より』という言葉、この比較対象がどこであるのか。そして、『護国の結界』再展開から二週間が経っている今になって、その報告が上がってきたということの意味に。


『救国の聖女』――アレクシアと彼女を担ぎ上げる教会の一派が行った『疑似護国の結界』という目くらましに、帝国はまだ気づかない。


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