間章:聖女就任式典
第50話:結界への疑義
「失礼いたします、セリーヌ殿下。こちらがご所望の、先月の国境警備隊の出撃に関する報告書でございます」
クレマン王国王城内に設けられている、第一王女・セリーヌの執務室。
そこにしつらえられた執務机で決済の認可が必要な書類に目を通していたセリーヌは、従者の言葉を受けて顔を上げた。
「ありがとう、確認します」
手にしていた書類を傍らに避けると、従者が入れ替わりに報告書をセリーヌの前に滑らせる。セリーヌは早速とばかりにパラパラとページをめくり、お目当ての項目に関する記載を探し始めた。
ほどなくしてその手が留まり、視線がある一点を捕らえて動かなくなる。
「……あまり減っていないですね」
彼女は書類を従者にも見えやすいように置き直すと、ある一か所を指し示す。そこにはクレマン王国北東軍国境警備隊の、ここ一か月の出撃記録が記載されていた。
それを見た従者は、手元のメモに視線を落としつつ答える。
「はい。担当者によれば、全体的に出現する魔物の脅威度は下がったものの発生頻度はそれほど変化がないとのこと。ゆえに出撃頻度もそれほど落ちなかったのではないか、と申しておりました」
セリーヌが顎に手を当てて考え込んでいる間に、従者は報告書を手に取ると最終ページを開いて再び彼女の前に差し出す。
「そして、こちらが一部のものが感じているという『護国の結界』に対する違和感の聴取結果です。こちらを見ると、聖属性魔法に適性のあるものほど、何かを感じ取っているという傾向がうかがえます。……ですがその『何か』の正体までは、今回の聞き取りではわからなかったようです」
従者の話を聞きつつ、セリーヌは聴取結果の書類に目を走らせる。
まとめられているのは、国境警備隊のなかで違和感を訴えたも者割合やその者たちの魔法適性の傾向、また具体的に何を感じているのかについてのコメントだ。いずれも半月ほど前の会議で報告を受けた際に、セリーヌの指示で聞き取らせたものである。
それによれば、一定以上の練度を持つ回復魔法使い――すなわち聖属性魔法の適性者に限って、『護国の結界』が以前アンジェが展開していたものと異なるという感想を抱いているようであった。ただし具体的に何が異なるのかを答えられたものはおらず、またみだりに国境近辺で活動すれば如何にいまが戦時下ではないとはいえ隣国を刺激しすぎる可能性もあるため、積極的な調査は進んでいないようだ。
とはいえ国境警備は重要な役割であり、それに就く彼ら彼女らの力量は推して知るべし。ましてや魔物の出現数はほぼ横ばいという数字もある。となれば、その事実だけでも見えてくるものはあるわけで。
それらに一通り目を通したセリーヌは、ふぅっと深い息をついた。
「これ、帝国の方々は何も気づいていらっしゃらないのでしょうか」
「そこまでは何とも。しかし彼の国の聖女信仰を想えば、そもそも疑うような思考回路が存在しないというのも十分に考えられます」
「……なるほど、と思ってしまうのはきっと良くないのでしょうけれどもね」
何とも言えない表情で応じる従者に対し、セリーヌもまた何色もの絵の具が混ざったパレットのような表情で返すほかない。
セリーヌは一度瞼を閉じると、指先でトントンと机をたたきながらしばらくの間思考する。やがてため息とともに目を開けると。
「……暫定対処では済まなさそうですね。本格的に北東方面軍国境警備隊の増員を検討しましょう」
言うが早いか、セリーヌは手近な用紙にさらさらと部隊の増員・再編案を書き記していく。
「あちらの部隊は、『護国の結界』の効果で魔物の発生が少なかったために聖属性魔法使いが少ない構成でしたね。ここを増員して他の地域同様に定期的に浄化を行えるようにしましょう。あとは魔物の発生傾向や頻度を観測するための人員も必要ですね。それから――」
セリーヌが独り言のように呟きながら筆を滑らせれば、まっさらだった用紙の上にみるみるうちに新たな組織構成案がまとまっていく。彼女につき従ってそれなりの時が経つ従者をもってしても、この集中力と思考力には毎度舌を巻くばかりだ。
「――よし、こんなところかな」
やがて組織案を記した紙が二枚半に及んだころ、セリーヌはそんな一言とともに書き終えた用紙を持って立ち上がった。
軍の部隊再編となれば、提案先は当然国家元首となる。従者は彼女が女王の下へ向かうのだろうと察し、説明に必要となるであろうもろもろの書類を回収し、
「というわけで、はいこれっ」
「……はい?」
まとめた書類の一番上に今しがた完成した再編案の要旨を置かれて、困惑の言葉を零した。
「それじゃあ私はアンジェちゃん分補給にいってくるので、あとはお母様によろしくお願いしますね! アンジェちゃん、どっこかなー?♪」
そして、従者が何か言う間もなく、セリーヌは執務室を飛び出していってしまった。どこかな、などと言いつつ全く迷いの見えない一直線ぶりで。
後に残された従者はというと。
「……まぁ、アレのおかげでセリーヌ様の業務効率が爆上がりしてるわけですし、これくらいどうってことないですけどね」
そう苦笑しつつ、一路女王の執務室を目指すのだった。
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