第48話:努力の痕跡
「すごい、すごいよアンジェちゃんっ!」
およそ十代の乙女が人前にさらして良い顔でなくなってしまったルシールを、シャルロットが店の関係者の許可を経て控室へと運び込んでから数分。
流れで一緒に入室しそのまま付き添っていたアンジェの手を、ようやく現世に戻ってきたルシールが両手でつかみ、ぶんぶんと振りながら叫んでいた。
「こんな、こんなの初めて……! アンジェちゃん、もしかしてすっごい魔法使いだったりするの!? こんなに小さいのにすごい!」
「え、あ、えっと、その」
彼女は未だ興奮冷めやらぬどころかさらに熱量が上がっているような有様であり、いつまたトリップしてもおかしくないような勢いでアンジェにまくしたててくる。
アンジェはそんな彼女の剣幕と、何より問われた内容にどう答えるべきかに迷って口ごもる。
何しろアンジェが断罪の末に国外追放となった元聖女であることは、王城の中でもごく一部の重臣にしか知らされていないのだ。それは、その情報が独り歩きして余計な混乱を生まないために、そしてアンジェが『ただのアンジェ』としてこの国で生きていくために女王が下した措置である。
そうでなくとも、断罪の件を自分から口にできるほどアンジェの心の傷はまだ癒えていない。どうしたものかと口をパクパクさせていると、シャルロットがルシールの背後から肩を軽く叩いた。
「落ち着きなさいルシール。アンジェ様がお困りですわ」
「はっ!? ご、ごめんねアンジェちゃん、私ったらつい我を忘れちゃって」
「あ、い、いえ全然! 気にしてないですから!」
がっしりとつかんでいた手のひらをバッと離してぺこぺこと繰り返し頭を下げるルシールに、アンジェは慌てふためくばかりだ。
そんなアンジェにそっと目くばせしつつ、シャルロットが助け舟を出す。
「アンジェ様は隣国で少々特殊なお仕事をしていらしたの。随分と魔力を酷使するお仕事でしたわね」
「あぁなるほど、それでですか!」
謎が解けたとばかりにルシールが手を打つ。一方当事者であるはずのアンジェは話についていけずきょとん顔だ。
「えっと……?」
「あ、もしかしてアンジェちゃん知らない感じかな? ……じゃあ問題! 魔力量って、どうやったら増えると思う?」
「へ? え、えーっと……『本人の身体的な成長』と、『魔力の行使』ですよね?」
突然始まったクイズ大会にアンジェは驚きつつ、かつて魔法学校で受けた数少ない授業の記憶を手繰り寄せて答える。
ルシールはうんうんと頷いて。
「いいよアンジェちゃん、八十点! ……実はもう一つ、裏技があるんだ」
「裏技、ですか?」
思い通りのリアクションがあるのが嬉しいのだろう。自分の知らない情報に驚くアンジェを見て、ルシールは実に楽しげだ。
そうしてややもったいぶって、ルシールはその答えを明かした。
「実はね。魔力を完全に使い切ると、魔力の回復とともに上限も上がるっていう研究結果があるの。しかも普通に研鑽を積むよりはるかに上昇効率がいいんだって!」
「魔力を……使い切る……」
思い当たる節は、掃いて捨てるほどあった。
聖女として過ごした十年間。毎日毎日魔力が空になるまで『聖女の力』を行使し、倒れるように眠りについた日々。
自分ではない誰かのために尽くし続け、にもかかわらず断罪によって否定された過去が、思わぬ形でアンジェにその痕跡を残していたのだ。
だが、アンジェには一つ、重要な問題がある。
「で、でも私、魔法、使えなくて」
アンジェが持つ『聖女の力』は封印中で使用不可。そして『聖女の力』を発現した者は、通常の魔法は使うことができない。つまり、アンジェは大量に魔力を持っていても、それを運用することができないのだ。
……できないと、アンジェは思い込んでいた。
「ふふっ。アンジェちゃん、ここがどこだか忘れてない?」
「……あっ」
そう、ここは魔道具を取り扱うシュヴァリエ商会の直営店。魔法を使えないもののための道具はいくらでも取り揃えられている。
「そうじゃなくても、魔力の使い道ってたくさんあるんだよ。土に混ぜて草木の成長を促したり、動物に与えて手なずけたり、魔法が使える人に補給してあげたり。だからアンジェちゃんは何でもできる! すごい!」
「え、えっと、その」
ニコニコと笑いながら手放しで賞賛するルシールに、アンジェはどう反応していいかわからずオロオロしている。
「でもね」
そんなアンジェの手を、ルシールが今度は優しく両手で包み込んだ。
「何より、アンジェちゃんがそれだけ頑張れる子だっていうのがすごいことだと思うよ。……魔力を使い切るって口で言うのは簡単だけど、実際には魔力切れの症状ってそう耐えられるものじゃないもん。私も試したことがあるからわかるけど、あんなのもうぜったいにご免だし」
「っ……」
クレマン王国に移住してからは味わうことのなかったその感覚を思い出して、アンジェは思わず身震いする。今思えば、よくあのような状態で眠りにつけたものだ。
「だからね、アンジェちゃん」
ルシールが穏やかな声色でアンジェの名前を呼び、そっとその頭を撫でた。
「出会ったばっかの私が言うのもなんだけど……アンジェちゃんは頑張り屋さんで偉い! よく頑張ったね、アンジェちゃん!」
その一言は、昼下がりの穏やかな日差しのようにアンジェの心を包み込んだ。
ルシールは大量の魔力が眠っているという『結果』ではなく、そこに至るまでにアンジェが努力した『過程』を認めてくれた。そのことがどうしようもなく嬉しくて、胸がいっぱいになる。
――そっか。私が過ごした十年間は、無駄じゃなかったんだ。
銀髪を滑る手のひらの温かさに、心に空いた大きな穴が少しだけ埋まっていくのを自覚した時、アンジェの瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
「――え゛っ!? あ、アンジェちゃんどうしたの!? どこか痛い!? あ、私何か嫌なこと言っちゃった!?」
「へ? ……あ、いや、ちがっ……あれ、なんで、私……」
目の前のルシールがものすごい勢いで狼狽え始めたのを見て、アンジェはようやく自分が泣いていることを知覚する。慌てて目をこすって涙を止めようとするのだが、我慢しようとすればするほどむしろ次から次へと涙の雫が溢れてきてしまう。
「……アンジェ様」
困惑するアンジェの半身を、シャルロットが横からそっと抱きしめる。
「泣いて良いのですわ。嬉しくないわけがございませんもの」
――嬉しい……そっか、嬉しくても、泣いちゃうこと、あるんだ。
今までの自分の頑張りが無駄じゃなかったことへの大きすぎる安堵。その努力を認めてもらえたという喜び。
この涙がその感情の波から押し出されたものだと自覚すると、もう、止まらなかった。
「う……うぁ、あああっ……!」
シャルロットと、ただならぬ事情を察してくれたらしいルシールの二人に抱きかかえられながら、アンジェはしばしうれし涙を流し続けるのだった。
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