第45話:小さな嫉妬

 広場に面する他の店と比べても大きいそこには、ひっきりなしとまではいかないものの多くの人々が出入りしている。


「シャル様、あそこは何のお店ですか?」


 アンジェがその店を指差しながら問いかければ、シャルロットは明るい調子で答えた。


「あれは『シュヴァリエ商会』の直営店ですわね」


「シュヴァリエ商会……?」


 首をかしげるアンジェに、シャルロットが続ける。


「魔道具製造・販売における国内最大手の商会ですわ。アンジェ様も、魔道具はご存じですわよね?」


「あ、はい。一応」


 魔道具。それは魔力をもとにして動作する器具の総称だ。


 この世界に存在する万物全ては、多かれ少なかれその身に『魔力』と呼ばれるエネルギーを有している。一方で、それを『魔法』という形に発現するには素質と相応の収れんが必要であり、魔法を使えないもののほうが圧倒的多数を占めている。魔道具はこの『魔力を有しながら魔法が使えない者たち』が疑似的に魔法を使えるようにするために生まれた技術である。


 魔道具を使えば、魔法にしか引き起こせなかった超常現象の一部を再現することが可能で、最低限の自衛や日常生活に役立てることができる。例えば、アンジェとシャルロットがお散歩デートをした王城の中庭に設置されている魔力灯も魔道具の一種だ。


 アンジェももちろん、知識としてその存在は知ってはいたのだが。


「でも、あんな風に売っていいものなんですか? 帝国向こうだと一般販売は禁止されてたと思うんですけど……」


 ドゥラットル帝国においては、初代皇帝の力の象徴たる魔法はそれ自体が信仰の対象と言って良いものだ。そんな魔法を誰彼かまわず広められる可能性のある魔道具の流通は、国によって厳しく制限されていた。


 だが、今まさに商品を買って出てきたらしい男性はどこからどう見てもいわゆる平民であり、帝国なら魔道具を手にできる立場にないように見えた。


「あぁ、それは魔法に対する考え方の違いですわね」


 シャルロットは若干呆れたように言う。


「我がクレマン王国においては、魔法も一つの能力に過ぎませんの。力が強いとか、記憶力がいいとか、そういったものと同じですわね。だから帝国あちらと違って、魔道具を広めることへの抵抗が少ないのですわ。……個人的には、わざわざ規制しているあちらの姿勢は理解に苦しむところですわね」


「なるほど……同じ魔法なのに、そんな違いがあるんですね」


 思わぬところで見られた両国の文化の違いに、アンジェは感心して深く頷く。


 シャルロットはそんなアンジェに微笑みながら問いかける。


「見てみますかしら? 何か面白いものがあるかもしれませんわよ?」


「はいっ」


 今は好奇心の塊と言ってもいいアンジェは元気に頷き、シャルロットはクスリと笑ってアンジェに右手を差し出す。アンジェがその手を取ると、慣れた手つきでシャルロットの指がアンジェの指と交差するようにするりと滑り込んでくる。


 くすぐったさと気恥ずかしさに鼓動が少しだけ早くなるのを感じつつ、二人はシュヴァリエ商会の直営店へと足を踏み入れた。


「いらっしゃいませー!」


 元気な女性の声に迎えられた店内は、屋内向けの魔力灯のあたたかな光に照らされて明るい。広い空間を区切るようにいくつも配置された木製の陳列棚には大小さまざまな魔道具が並べられており、そこかしこに品物を見ている客の姿がある。


 わぁ、とその光景にアンジェが驚いていると。


「あ、シャル様いらっしゃい!」


 先ほど二人を迎え入れた声の主が、さらに声を弾ませながら駆けてきた。アンジェよりも二つほど年下だろうか、夕焼けを思わせるような橙色の髪を肩のあたりで切りそろえた、快活そうな少女である。


 そんな彼女に、シャルロットは片手を上げながら挨拶を返す。


「ごきげんようルシール。今日もお店のお手伝いかしら?」


「はい! お父さんもお兄ちゃんも忙しそうだし、ちょっとでも力になりたくて!」


「良い心掛けですわ。お父様もお兄様も幸せ者ですわね」


「えへへっ♪」


 ――シャル様、何だか楽しそう……。


 ルシールと呼ばれた少女とシャルロットが親しげに話すのを見て、アンジェはぼんやりとそんなことを想う。


 アンジェに対して、不可解なまでに大きな想いを抱いてくれているシャルロット。そんな彼女がこのように他の人ともきちんと接していることは、むしろ安心材料のはずだ。


 にも拘わらず、何故かアンジェの心の中には薄雲が広がっており、知らず知らずのうちにつないだ指先にグッと力が入っていた。


 すると、シャルロットはそれに気づいたのか不意にアンジェのほうへと視線を移した。そしてそれを追うように、ルシールの橙色の瞳がアンジェへと向けられる。


「しゃるさま、そちらの子は?」


 問いかける声は優しく、くりくりとした大きな瞳はいかにも純粋そうな光を宿している。


 ――うっ……ダメダメ、何考えてるの私っ。


 そんな瞳に射すくめられて、アンジェが自身の仄暗い感情を反省しつつ自己紹介をしようとした、その時。


「こちらはアンジェ様。隣国から来られた、わたくしの大切な人ですわ」


「ひゃっ……!?」


 つないだ手を引かれて、アンジェは気づけばシャルロットの腕の中にいた。そのまままるで壊れものを扱うかのように優しく抱きしめられる。


 衣服越しでも感じる、心ごとあたためてくれるような温もり。自然と鼓動が高鳴ってしまう、甘やかな匂い。それらを全身に受けたアンジェの心は、簡単に元の晴れ空に戻っていた。


 ――ふぁ……シャル様、好き……。


 あふれる思いのまま、シャルロットの背中に腕を――回そうと、したのだが。


「わぁ……」


 一瞬で意識の外に外してしまっていた少女の声で、ハット我に返る。


 ぎぎぎっ、とさびた鉄扉を開けるかのようにぎこちない動きで、アンジェがそちらを見れば。


「お二人はラブラブなんですね……! これが『愛』……!」


 恋に恋する思春期の少女らしいうっとりとした瞳で二人を見つめる、ルシールの姿があった。


 瞬間、アンジェの顔がポンっと真っ赤になった。


「ち、ちがっ……あ、いえ、違わないんですけどそうじゃなくてっ……しゃ、シャル様離してくださいっ!」


「ダメですわ! 可愛らしく嫉妬していたアンジェ様なんて絶対に離して差し上げませんの!」


「し、嫉妬なんてしてないですー!」


「ふふっ、わたくしには全てお見通しでしてよ!」


 まだまだ人前でいちゃつくのに慣れておらずじたばたともがくアンジェと、そんな彼女の抵抗を楽しみつつ巧みな力加減で決して逃がさないシャルロット。


 二人の少女の騒ぎ声が、昼下がりにそこそこ人の入っている店内に響いていた。


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