第41話:真聖女の裏事情

「おかえりなさいませ、聖女様」


 アレクシアが皇城内の自室に戻ると、そこでは一人の男が彼女の帰りを待っていた。


 すらりとした長身に白いローブを身にまとう男は一見すると高貴な聖職者然としているが、その瞳に宿る冷たい光はどこか狂気をはらんで見える。


 彼が貼り付けた作り笑いを一瞥しつつ、アレクシアはソファに腰かけて足を組む。


「何の用かしら。のせいで、私は今とぉっても忙しいのだけれど」


 例の夜会依頼、アレクシアはこれまでの人生の中で最も多忙な日々を過ごしていた。だがそれは皇帝が認識しているような、通常の聖女の職務と偽聖女の呪いの浄化が重なったことによるものではない。


 ……何故ならアレクシアは最初から、呪いの浄化など行っていないのだから。


 彼女は、あの場で断罪された偽聖女が持つ力が本物の『聖女の力』であることを知っている。紛い物でないことをわかっている。最初から呪われてなどいないのだから、浄化する必要もあるはずがない。


 そしてそのことは、を身に着けている目の前の男もまた、重々承知していることだった。


「そう邪見になさらず。我々としても最大限、使貴女に協力しているではありませんか」


 厭味ったらしい物言いにも身動ぎ一つせずに返答する男を、アレクシアはキッとにらみつけた。


「当たり前でしょ。あんたたちがあんなヘマしなければこんなことにはなってなかったんじゃない」


 思い起こされるのは夜会の日、自信満々に偽聖女あの女を捉えて見せると言い切った目の前の男の顔だ。しかし現実は、その自慢の尖兵とやらは返り討ち、その後の足取りもつかめずでまんまと隣国への逃亡を許している。


 こんなはずではなかった。


 『聖女』という肩書は、あんな薄汚れた平民上がりのガキなんかではなく、由緒正しい貴族の家の血を引くものにこそふさわしい。――そう、伝統あるフーコ公爵家の長女たる、自分のようなものにこそ。


 だから同じ考えを持つ者たちと協力し、五年も前から仕込みを続け、ついにあの場で『聖女』の肩書を奪い取った。……いや、あるべき場所へと取り戻したのだ。


 あとは、皇子を言いくるめて減刑を勝ち取り、それを恩に着せてあのガキを隷属させ自分の陰で働かせるだけだった。そうすれば今まで通りに聖女の力を国中に振りまきつつ、自分はそれによって更なる栄誉と名声を得られるし、皇族と親戚関係になる実家も更なる権威を得て安泰。


 皇族に汚らわしい平民の血を入れることもなく、『聖女』という肩書の品位も守られる。考え得る限り最高の方策だった。


 ……だというのに。


 ――あの女さえいなければ、こんなことには……!


『どこの国民でもないアンジェ様は、このシャルロット・ブノワ・クレマンがいただいてまいりますわ!』


 夜会の場に紛れ込んだ例外中の例外。腹の立つ髪形をしたたかだか二流国家の第二王女が、自分たちの完璧な計画をぶち壊していった。


 結果、アレクシアは男たちの協力のもと『聖女の力』を他の魔法で模倣してどうにかやり過ごすという選択を取るほかになく、毎日毎日激務に追われているという有様なのだった。


「あれはいろいろと不運な事故でした。貴女があの場で出し抜かれたことも含めて、ですが」


「……ふん、今更蒸し返しに来ただけならさっさと帰りなさい」


 痛いところを突かれて、アレクシアは自分の行いも忘れて不機嫌そうに鼻を鳴らす。


 そんな彼女に留飲を下げたらしい男は、無駄話を切り上げて本題へと入った。


「『疑似護国の結界』は今のところ問題なく動作しております。聖女由来のものではないため効果は薄いと言わざるを得ませんが、まぁ時間稼ぎくらいにはなるでしょう」


「何よ、それは魔力の大半を疑似護国の結界それに捧げてる私への当てつけ?」


「滅相もございません。我々だけでは机上の空論に過ぎなかったそれを、僅か二週間で発動までこぎつけられたのは紛れもなくアレクシア様のお力のたまもの。感謝してもしきれませんよ」


 慇懃無礼、という言葉がぴったりとはまる男の態度に、アレクシアは内心舌打ちする。


 脈々と受け継がれてきた血のなせる業か、フーコ公爵家の人間は代々魔力量が多い。中でもアレクシアは歴代最高クラスの魔法の才能と魔力量を持っており、その能力によって男たちがこれまで理論上でしか語れなかった『護国の結界の再現』を非常に限定的ながら実現することができたのだ。


 ただし、男が言うようにその効果は本来の『護国の結界』とは比べるまでもなく低く、にもかかわらず本家同様術者の魔力の大半を結界維持のために予約されるという欠点もある。今はまだ良くとも、いずれこの結界が本物でないと気づくものが現れるかもしれなければ、外敵からの侵攻によって結界を突破される可能性も大いにある。


 そんなハリボテであっても、あるのとないのとでは国内外に与える印象は大違いだ。それがわかっているからこそ、アレクシアも『偽聖女の呪いの浄化』を隠れ蓑に『疑似護国の結界』の発動に協力し、皇帝に対しても嘘を貫き通したのだ。


「それで? 稼いだ時間で偽聖女あの女を捕らえる算段はできているんでしょうね?」


「偽聖女がクレマン王国へ逃れたのはほぼ間違いないと思われますが、依然として行方は知れません。われわれも隣国とあってはさすがに大っぴらには動けませんから」


「それじゃあ今までと何も変わらないじゃないの! どうするのよ、陛下に虚言を吐いたとなったら処刑ものよ!?」


「落ち着いてください。何も八方ふさがりというわけではございません、むしろその逆です」


 ソファから立ち上がり俄かに声を荒げるアレクシアを、男は身振りも交えて窘めながら続ける。


「時間ができたことに意味があるのです。過去の事例から、この地に聖女が不在となればいくばくかの後に新たな神託が降りて次代の聖女が現れることは確実。それまで耐え抜けば、偽聖女を捕らえずとも新たな身代わりを確保できます」


「……それはいつの話よ」


「長くとも三か月程度で現れるのではないかと」


 男の返答に、アレクシアはこれでもかと顔をしかめた。今の多忙さがあと二か月以上も続くのかと思うと先が思いやられる。


「今は我慢の時です。我々も引き続きご協力差し上げますし、アレクシア様の生家とも協力して偽聖女の捜索にあたります。どうかご理解を」


「……どうせ呑むしかないんでしょうわかってるわよ」


 言い含めるような男の口調に辟易としつつ、アレクシアはそう吐き捨てて、疲労で思い体を今一度ソファに沈みこませるのだった。


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