第38話:お誘い(おかわり)

「あ、あの、シャル様。もう一つ、いいですか……?」


 アンジェの歩幅に合わせてゆったりと中庭を回り、他愛もない雑談に花を咲かせた帰り道。


 遠慮がちな声色とともにずっと繋ぎっぱなしだった手をくいっと引かれ、シャルロットは脚を止める。もう間もなくアンジェの居室、楽しい時間の終わりが目の前に迫ってきたときのことだ。


 立ち止まってアンジェへと視線を向ければ、彼女はシャルロットをデートに誘った時よりもさらに顔を赤くし、何かを言いたげに唇を開いては閉じるのを繰り返している。


 まだ我儘を言いなれていない彼女のことだから、きっとこれまで培ってきた常識やら良識やらが邪魔をして素直に表に出せないのだろう。


 シャルロットはそう考え、急かすことなく小首をかしげて微笑みながら彼女の心の準備が整うのを待つ。


「あの、その……えっと……」


 なおも言いよどむアンジェだったが、やがて何かを決意したように二度ほど深呼吸をして、しかし何故か目線だけは足元に落として口を開く。


「……今晩……一緒に、寝たい……です……」


 すぐそばにいても聞こえるかどうかきわどいようなか細い声が、シャルロットの思考を止めた。


 そして一瞬の後、猛回転を始める。


 ……一緒に寝る? それってつまり、アンジェ様をこの腕に抱きながら眠るということかしら? それならいくらでも……いえ、アンジェ様のこの恥ずかしがり用、単に添い寝するというだけの意味とは思えませんわ。となると、つまりそれは夜伽のお誘い!? あの時浴場で風呂桶が飛んでくるまでの一瞬に目に焼き付けたあのお美しい体に触れることをついに許されたということでして!? いやでもお待ちになって、わたくしたちはまだ婚約中の身。さすがにまだその一線を越えるわけには……いえでもせっかくアンジェ様がこうして勇気を振り絞ってお誘いしてくださったのにそれを無下にするなど王族の恥、大丈夫どうせ従者も下がらせておりますし夜明け前までに痕跡を処理すれば誰にもバレはしませんわね幸いわたくしにはそれができる程度の魔法能力がございますしあぁでもアンジェ様にわたくしの体を晒すのは少々抵抗がございますわねアンジェ様の芸術品と言って差し支えない肢体の前では何物も贋作に等しいとはいえアンジェ様のお眼鏡に適うようにもっとわたくし自身を磨いてからでなければいえですが不完全なわたくしを隅から隅まで見ていただくというのもそれはそれで興奮し――


「あ、あの、シャル様? 変な意味じゃないですからね? シルヴィちゃんにご褒美せがまれてて、でも初めて一緒に寝るのはシャル様がいいなって、それだけですからね?」


「えぇ心得ておりますわ! 同衾するならわたくしの居室のベッドのほうがよろしいですわね! さぁ参りましょうすぐ参りましょう!」


「ほ、本当にわかってますかシャル様!? ダメですからね!? そういうコトはちゃんと結婚してからですからね!?」


 わたわたと慌てるアンジェの手を引いて踵を返しつつ、貞操観念がしっかりしているアンジェ様は流石ですわ、でもどうにかしてこれを突き崩すというのも楽しそうですわねぇ……と少々黒い妄想を捗らせながら、シャルロットはアンジェを自身の居室へと招き入れるのだった。


 なお、アンジェの名誉のため、『決して過ちは起こらなかった』ことをここに申し添えておく。




 ◆




 シャルロットの居室に続く廊下の角で、二人が扉の向こうに消えていったことを確認したメリッサは一人、安どの息を吐いた。


 自分の進言をきっかけにより深く悩み始めたアンジェと、そんな彼女に何もできず歯がゆさをにじませていたシャルロット。


 彼女たちが過ごした苦しい時間は、二人が『本当の意味で』新しい一歩を踏み出すには必要なことだった。とはいえ苦しむ様子を間近に見ていれば、罪悪感の一つや二つも湧いてくるわけで、実のところメリッサは相当に二人のことを心配していたのだ。


 ――ですが、ひとまずは乗り越えたとみて良いでしょう。


 従者である自分にさえ気を使い、かつては主人らしく命令するのにも時間を要したアンジェが今、ためらいながらも自分の我儘をシャルロットにぶつけられている。シャルロットも、自分がアンジェに与える影響をしっかりと考え抜き、下手に動かず我慢しきった。


 その結果をこの目でしかと見届けることができたのだから、アンジェが自分にバレないようにこっそりと部屋を抜け出していくのを追跡してきた甲斐があった、というものだ。何なら先回りして中庭の人払いを済ませておいたのも功を奏したといえるかもしれない。


 ――大丈夫、お二人の周りには、たくさんの味方がついてくれておりますから。


 忠誠を誓う主人と、その主人が愛する婚約者が踏み出した第一歩を心の中だけで祝いつつ、メリッサはその場を後にするのだった。


 ===


 というわけで、第7章完結です。


 この章ではアンジェの内面の成長をテーマにしていたので、ちょっとシリアス寄りな展開が多かったですね。

 とはいえ周りがみんな味方なので、第1部のようなストレス展開ではなかったかなと思います。いかがだったでしょうか?


 とりあえず今回の最大の被害者は、ろくにセリフもないのにしれっとこれからの激務が決定してしまった某第一王女で間違いないですね。シルヴィとどこで差がついてしまったのか……。

 まぁかつてのアンジェほどの激務ではないでしょうし優秀な臣下もたくさんいるので大丈夫でしょう。気が向いたらアンジェを思う存分ぎゅぅってするショートショート書いてあげるから許してください。


 さて、次の章では章間として帝国の皆さんの状況をちょこっと書いていく予定です。

 作者としては『幸せになるのが最大の復讐』という考え方ではあるのですが、追放ものとざまぁ展開はやはり切っても切れないもの。彼らの転落を期待している方も多いと思うのでしっかり描いていこうと思います。


 ところで、次にアンジェ達サイドに戻ってくるときには本格的にアンジェがやりたいことを通じて新たな力を得ていくことになります。

 一応作者の中で固めている展開はあるのですが、せっかくなのでもし「こういう能力を得てほしい!」とか「こういう能力得たら面白いんじゃね!?」とか「こういうことにハマると面白そう!」とかあれば、コメントいただけると参考にさせていただくかもしれません。

 例えば作者は、最近小動物が出てくる小説を読んでもふもふに囲まれるアンジェとか妄想してたりします。いろいろとあまりにも唐突なので本編に組み込むかは微妙ですが。


 ではでは、次章もお楽しみに!


 ===


 後書きが長くなって申し訳ないのですが、面白そうな自主企画があったので息抜きがてら以下の作品で参加しました。

 元聖女様と王女様に14の質問! ~『偽聖女と断罪されて婚約破棄の上国外追放された私は、何故か隣国の王女様に溺愛されています。』より~

 https://kakuyomu.jp/works/16818093082296520960


 作中に登場する二人組のキャラクターに自分たちのことをあれこれ語ってもらうというのが趣旨になってまして、アンジェとシャルロットに質問に答えてもらってます。

 会話文のみなのでだいぶ読み味が違うと思いますが、テンポよくくすっとできるような仕上がりになったかなと。

 ぜひ併せてお読みください!


 また、もし何か作中キャラに質問したいことがあれば上記の作品にコメントいただけたら追記していきますので、そちらもよろしければぜひ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る