第37話:月夜のお散歩デート
日中であれば王城勤めの兵士や職員たちに広く開放されている中庭も、月が真上に来ようかというこの時間とあってはさすがに静かなもので、月明かりを邪魔しない程度の魔力灯が照らす道を歩く二人分の足音以外に人の気配はない。
時折そよぐ風が木の葉を鳴らせばその足音さえ掻き消えて、まるでこの世界に自分と、絡めた指先の温もりを分けてくれる彼女しか存在しないのではないか、とさえ思ってしまう。
「……アンジェ様、寒くはないかしら?」
シャルロットが小柄な彼女を気遣えば、彼女はきゅっと手を握り直して微笑む。
「はい。その……シャル様の手、あったかいです」
空気ですら割り込む余地のないくらいに重なった手のひらで交わる熱は、もはやどちらからのものなのかわからない。シャルロットからすればアンジェから伝わる温もりのほうがよっぽどあたたかく感じられているのだが、そこでシャルロットはちょっとしたいたずらを思いついた。
「ふふ、アンジェ様のほうこそ、あたたかいですわ」
と、わざとらしく強調して口にしてみれば。
「え……あ、わ、私、手汗とかかいてます……!?」
「あら、逃がしませんわよ? それに、ご心配なさらずともアンジェ様の手のひらはすべすべですからご安心くださいませ」
予想通りに慌て始める彼女の様子を微笑みながら眺めつつ、決して離すまいと指先に力を込める。
ほどなくして無謀な戦いを悟ったらしいアンジェの抵抗が止んで、その代わりにもう一度シャルロットの手を握り返してきた。
「……シャル様は意地悪です」
「そんなことございませんわ。わたくしはいつだってアンジェ様のみかたでしてよ?」
「……知ってます」
不意にアンジェの脚が止まり、つながった指先にきゅっ、とまた力がこもる。それが今しがたのじゃれ合いの類とはどこか異なる気がして、シャルロットは密かに身構える。
だが、向き直った彼女の顔を見て、それは杞憂だったと思いなおした。
……なぜなら、魔力灯が照らし出す彼女の顔が、頭上の星空よりもずっと静かで穏やかだったからだ。
「シャル様はいつだって私の味方で、助けてくれて。だから、私もシャル様の力になりたくて……いや、力にならなきゃって、思ってました。それが私の役割だから、って。……おかしいですよね、シャル様は一度も、そんなことおっしゃってなかったのに」
アンジェはゆっくりと、自分の中の雑然とした気持ちを整理するかのように語る。
「やりたいことよりやるべきことを、自分のことより誰かのことをずっと選んでるうちに、いつの間にか私の世界の中心は私じゃなくなってたみたいです。……シルヴィちゃんに『楽しいって感じたことある?』って聞かれて、はじめて気づきました」
自嘲気味な口調とは裏腹に、彼女の表情は明るい。それはきっと、本当の意味で『聖女・アンジェ』から『ただのアンジェ』に代わるためのきっかけをつかんだからで。
――まったくシルヴィったら、いいところを持って行ってしまうんだから。……まぁ、今回は仕方ありませんわね。
そんな気付きを彼女に与えた妹に少しばかり嫉妬しつつ、シャルロットは静かに耳を傾ける。
「私、ちょっとだけ我儘になってみようと思います。シャル様の力になりたいのは変わらないけど……それだけじゃない自分を、ちゃんと作るために」
「そうですわね。アンジェ様は少し自分勝手なくらいが丁度いいと思いますわ」
月明かりを受けて煌めく銀髪を撫でれば、アンジェは心地よさそうに目を細めた。
「……では、アンジェ様。アンジェ様が今やりたいことは何かしら?」
再び手を繋いだまま歩き始めつつ、シャルロットはアンジェに問いかける。
アンジェはそれに続きながら、しばし考え込む素振りを見せた後。
「……まずは、夢中になれるものを探したいです。私が純粋に楽しいって思えて、ずっとやってたいって思えるものを。それがいつか、シャル様や国の皆さんのためになったらなって」
そこまで言うと、アンジェは一度言葉を切った。そして、少々ためらいつつ。
「……その、できれば、シャル様と一緒に……」
ちらちらと上目遣いにシャルロットのことを見上げながら、小さな声で付け足した。
たった一言ではあるが、それは確かにアンジェが変わろうとしていることを示す一歩。となれば、シャルロットの答えはただ一つだ。
――明日以降の公務は……まぁいつも通りお姉さまに肩代わりしていただければ問題ございませんわね。
「かしこまりましたわ! わたくしにお任せあれ!」
ニコリと微笑んで高らかに宣言して見せれば、アンジェの顔もまたパッと輝いた。
「本当ですか!? ありがとうございます、シャル様っ!!!」
よほど嬉しかったのだろう、アンジェはシャルロットよりも頭一つ分以上小さい体でシャルロットにぎゅぅっと抱き着いた。
「!!!」
――ひゃあああああああああああああああっ!!! アンジェ様ちっちゃくてあたたかくて柔らかくて最高ですわああああああああああああああああっ!!!
受け止めたシャルロットが内心で大絶叫する中、王城の一室では夜明けからの激務の気配にどこかの第一王女が身震いとともに目を覚ましたのだが、それは彼女たちのあずかり知らない話である。
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