第36話:初めてのお誘い

「さて、どうしたものかしらね……」


 従者を下がらせ、一人きりになった私室の中。


 シャルロットは寝間着に着替えた体をソファに沈ませながら、ここしばらく頭を悩ませている件への愚痴めいたつぶやきを吐き出した。


 彼女の悩みというのはもちろん、アンジェに関することだ。


 以前、アンジェはやりたいことを問われて「シャル様を守りたい、助けになりたい」と答えた。そのことはもちろん、アンジェを愛するシャルロットとしてはこの上なく喜ばしいものだ。


 だが、それではかつて聖女として働いていたときと変わらない。自分以外の誰かのためにしか生きられない生き方を、シャルロットはアンジェに歩ませたくなかった。


 ――そう思いつつ、誰かに取られる前にと婚約を急いでしまったのですけれど……こうなると、完全に失敗だったと言わざるを得ませんわね……。


 シャルロットは天井を仰いで歯噛みする。


 アンジェをより確実に守りつつ、周囲へのけん制も行える良い手だと思っていた結婚宣言ないし婚約だったのだが、同時にアンジェに新たな尽くす相手――依存先を与えてしまったのかもしれない。


 その可能性に気づけなかったのは、アンジェがこれまでに置かれていた環境をまだ過小評価していたからなのか、はたまた恋に目がくらんだからなのか。いずれにせよ、結果的にアンジェが確固たる自分を描く邪魔をしてしまったことに、後悔は尽きない。


 はぁっと柄にもなくため息をつき、しかしそんな思考を振り払おうと首を左右に振る。


 ――まぁ、悔やんでばかりいても仕方がありませんわね。メリッサや他の皆様も、いろいろと気を回してくださってますし。


 メリッサが少々踏み込んだ進言をしたことは、本人から謝罪とともに報告を受けている。彼女のあんなにこわばった表情は初めて見たが、シャルロットとしてはアンジェの背中を押してくれたメリッサに感謝こそすれ、叱責することなどありえない。


 そしてその進言以来、アンジェがなにやら悩んでいるらしいのも良い兆候だった。それはきっと、アンジェが何かしらの気づきを得るために必要な過程なのだから。


 ……とはいえ。


「……何もできないというのは、こんなにも苦しいものなんですのね……」


 せっかくアンジェが自分できっかけをつかもうとしている今、新たな依存先になりかけているシャルロットが下手に口出しすれば今度こそ完全にその道をつぶしかねない。そのことを重々承知しているシャルロットは、アンジェのことを憂いながらその様子を静観するしかないのだ。


 日中はまだ良い。これでもシャルロットは第二王女、不測の事態とはいえ留学を切り上げて国に戻ったからには為すべき公務がそれなりにあり、それらに没頭していれば良いのだから。


 だが、こうして夜に一人きりになると、どうしたって愛しいアンジェのことが頭をよぎる。そして、彼女に手を差し伸べられない今の自分に嫌気が差すのだ。


 シャルロットは一度瞼を閉じ、ふぅっと長く息を吐く。そのまま黙り込むこと、数秒。


「……考えても仕方ありませんわね。アンジェ様ならきっと大丈夫、信じて待つしかありませんわ!」


 文字通り自分に言い聞かせるように声に出し、勢いよくソファから立ち上がる。


 そうして就寝準備をしようか、というところで、廊下につながる扉がコンコン、と軽やかな音を立てた。


 こんな夜更けにどなたかしら、と訝しみながら、シャルロットは「どうぞ」と扉の向こうに声をかける。


 ほどなくして、扉を開いて現れたのは。


「お邪魔します。……シャル様、ちょっといいですか?」


 つい今しがたまで頭の中を埋め尽くしていた、愛しい婚約者だった。


 アンジェの姿を認めたシャルロットは、あら? と思った。


 いつもなら必ずアンジェの後ろについているはずのメリッサの姿がどこにも見当たらないことも気になったが、最大の要因は別にある。


 ――アンジェ様の顔色が良いですわね……?


 そう、公務の間に昼食を共にした時よりも、どこかアンジェの表情がすっきりして見えたのだ。それだけでなく、アンジェの宝石のような紺碧の瞳からも、なんとなく力強さを感じる。


 わずか半日ほどの間に起こった、明らかに良い方向への変化に期待を膨らませつつ、シャルロットは彼女の問いかけにこたえる。


「えぇ、構いませんわ。……おひとりでいらっしゃるのは珍しいですわね?」


「え、あ、その……め、メリッサはもう寝ちゃったみたいで! ちょっとならいいかなって!」


 ――ちょっと探りを入れただけで大慌てする明らかにごまかし慣れてないアンジェ様可愛すぎますわあああああああああああっ!!!


 ……そんな内心の絶叫はおくびにも出さず。


「そうなんですのね。……さ、そんなところにお立ちになってないで、どうぞおかけになって? 今お茶を準備させますわ!」


 物わかりのいいふりをしてソファを勧め、侍女を呼ぼうと控室へと足を向ける、のだが。


「あ、ま、待ってくださいシャル様っ」


 アンジェはネグリジェの裾をふわふわさせながら小さな歩幅でタタタッとシャルロットに駆け寄ると、寝間着の袖をきゅっとつかんで引っ張ってきた。


 ――ああああああああっ! なんですのこの引き留め方! 妖精!? 妖精が舞い降りましたの!?


「あら、何かございまして?」


 目からアンジェ様分を存分に補給しつつ、理性を総動員して微笑みかければ。


「あ、あの、その……えっと……」


 アンジェはほのかに頬を染め、もじもじしながらシャルロットを見上げると。


「……す、少し……お散歩デート、しませんか……?」


 明らかに言いなれていないお誘いを口にした。


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