第35話:意外とおばかだよね

「……違うの?」


 アンジェのほうを振り向いたシルヴィは、心底不思議そうに首をかしげている。


「だって、やりたいことでしょ? アン姉様全然一緒に寝てくれないんだもん」


「それは、その……まだシャル様とも一緒に寝たことないですし、さすがにそれはちょっと……」


 ほのかに頬を染めて目をそらすアンジェに、シルヴィはなおも不思議顔だ。


「それの何がダメなの? 一緒に寝るだけでしょ? アン姉様といっしょならよく眠れそうなのに」


 眠たげな瞼の裏に半分ほど隠れた純粋すぎる瞳は、文字通りの添い寝しか考えていないことがはっきりと見て取れる。


 そんなあどけない十歳の少女に大人――と言ってもアンジェだってたかだか十五歳程度なのだが――のアレコレを説明するのは、どうしてもはばかられるもので。……というより単純に恥ずかしい。


「ぅ……お、おっきくなったらいろいろあるんです! それは置いておいて!」


 ひとまずアンジェは、これ以上話を膨らませられる前に強引に話を戻しにかかった。


 シルヴィも「ちぇー」と若干不服気ではあったが特にそれ以上食い下がってくることもなく、アンジェは内心胸をなでおろす。


 その代わり。


「じゃあ、アン姉様がやりたいことって何?」


 突きつけられたシルヴィの問いかけは、まさに核心を突くものだった。


「……それを、探してるところなんですよねぇ……」


 アンジェは細く息を吐きつつ、ぼんやりと中空を見つめながら答える。


「私はシャル様をお守りしたいし、助けになりたいんです。それが私を助けてくれたシャル様への恩返しになるはずですし、国のためにもなるはずですから」


 アンジェは幾度となく繰り返してきた言葉をつぶやき、しかし困ったように笑う。


「でもメリッサに、それは本当にやりたいことか、って言われちゃって。……失礼しちゃいますよね、本当のことなのに」


 数日前からアンジェの頭を悩ませている命題。なんとなく自分だけの力で解決しなければならないような気がして、今日まで抱え込んできた問題。


 気まぐれに年下の少女に明かしてしまったが、それはあまりよくなかったかもしれないと、アンジェが前言を撤回しようとした、その時。


「アン姉様って、意外とおばかだよね」


「……はい?」


 思いもよらなさすぎる一言がシルヴィの口から放たれて、アンジェは呆けたつぶやきを最後に完全に固まってしまった。


「でも」


 そんなアンジェにかまわず、シルヴィは今一度体を反転させてアンジェと正対する。そして、軽く伸びあがるようにしてアンジェの頭を抱き寄せたかと思うと。


「おばかになっちゃったのって、今までずっとそうやって頑張ってきたからなんでしょ。アン姉様、えらいえらい」


 まるで普段とは立場が逆になったかのように、アンジェの頭をなで始めた。


 アンジェよりもなお小さな手のひらが、優しい手つきで銀髪の上をゆったりと滑る。その手つきはどこかシャルロットのそれに通じるものがあり、陽だまりのような心地よさがアンジェの心に沁みてくる。


 盲目的に身をゆだねてしまいたくなる心地よさに浸ること、数秒。


「……え、あ、その……シルヴィちゃん? これは、その、どういう」


 ようやくおばか発言の衝撃から戻って来たアンジェが、なおも理解しがたい状況に戸惑いながらそう問えば。


「アン姉様、『楽しい』って感じたこと、ある?」


 シルヴィはいつもと変わらない調子で、アンジェの心の水面に大きな一石を投じてきた。


「たの、しい……?」


 目を丸くしてつぶやくアンジェの頭をなでながら、シルヴィが続ける。


「アン姉様は優しすぎて、自分のこと考えるのが苦手だよね。自分が楽しいって思ったこと、あんまりないんじゃない」


 シルヴィの一言をきっかけに、アンジェの脳裏に聖女として過ごしてきた十年間が蘇る。


 誰かを救えて『嬉しい』。誰かの助けに慣れて『嬉しい』。誰かを守れて『嬉しい』。


 そんな『嬉しい』瞬間は数あれど、『楽しい』と感じた瞬間はどれだけあっただろうか。それこそ、シャルロットと過ごせた魔法学校や夜会での貴重な一時、あとはまだ聖女として召し上げられて間もないころ、遊び相手もしてくれていたメリッサとの時間くらい、だろうか。


 今までは『聖女』だったのだからそれでよかった。自分という世界の中心に尽くすべき国があり、民があって当然だった。


 だが、今のアンジェはもう『聖女』ではない。誰かに尽くすことがすべてではないし、自分という世界の中心には、自分があってしかるべきなのだ。


 ――そっか、メリッサが言いたかったのって、こういうことだったんだ。そして、たぶんシャル様も。


 夢から覚めたような面持ちのアンジェを見て、シルヴィは満足げに、そしてどこか得意げに微笑む。


「シルも、たまにはいいこと言うでしょ」


 そういって胸を張る姿は、アンジェの大好きな第二王女にどこか似ていて。


「……そうですね。でも」


 アンジェは苦笑しつつ、軽く握りこぶしを作ると、


「『おばか』なんて、年上の人に簡単に言っちゃダメですよ」


 最後の意地とばかりに、こつん、と軽く彼女の額にぶつけたのだった。


「いたーい。アン姉様が怒ったー」


 言葉とは裏腹に抱き着いてくるシルヴィを受け止めながら、アンジェは瞑目して考える。


 ――一度、心のままに動いてみるのも、いいのかも。


 と。


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