第33話:侍女の進言

 それからも、アンジェの「できること探し」は続いた。


 会議の内容についていけるようにと書庫に通ってみたり、体力をつけるために兵士たちの訓練にちょこっとだけ参加させてもらったり、王城内の炊事や洗濯、掃除などを手伝わせてもらったりと、何事にも全力で取り組んだ。


 成果は、少しは現れた。会議で飛び出す地名や用語はわかるようになったし、少しだけ体力もついた。王城内の雑務が減ったかは分からなかったが、何故か王城勤めの侍女たちからやたらと人気が出たりもした。


 ……だが。


「……このペースじゃ、いつまでたってもお役になんて立てないですよねぇ……」


 一日の終わり、溜まった疲れを浴場でさっぱり落としたのちにベッドに頭から突っ込んで、アンジェはそんな嘆きの声を漏らしていた。


 アンジェ自身の能力は決して低くない。何故か身体的な成長は遅かったが、幼いころから帝国各地を巡ってきた経験と、聖女として働くための努力を惜しまなかった丹力は伊達ではないのだ。だからこそ、畑違いな分野であっても短期間で多少の成長を見せることができている。


 しかしながら、多少力がついたところで、……否、多少力がついたからこそ、国のために働く彼ら彼女らの能力がいかに優れているかがより鮮明に感じられて、その背中の遠さを自覚させられるのだ。


 もちろんアンジェも、元々一朝一夕の努力でどうこうできるだなんて到底思ってはいない。だがそれでも、『国のために何ができるか』という壁がどんどん高くなっていくのに、どうしても焦りを禁じ得ないのだ。


「はぁ……」


 小さなため息とともにごろりと体を仰向けに返したアンジェは、そのまましばし瞑目して考える。


 やっぱり、今のままじゃダメ。シャル様も皆さんもあんなにすごいのに、私だけゆっくりなんてしてられない。『聖女の力』がない分、私はもっと頑張らないといけないんだ。


 私の体じゃ、武術はやっぱり難しそう。なら、政治とか経済とかそういうのをちゃんとお勉強して、シャル様のご負担を減らす。それなら結果的にシャル様をお助けできて、国のためにもなる……はず。


 でも、シャル様はきっと、王族として昔からそういうお勉強をしてきてる。……その差を埋めるにはやっぱり、時間を使わないと。ここが頑張りどころなんだ。


 そう結論付けたアンジェは、むくりと体を起こして部屋の隅に控えている侍女へと声をかける。


「……メリッサ。書庫へ行きます、準備をお願いできますか?」


 そして返事を待つことなく、膝のあたりまでまくれ上がっていたネグリジェの裾を整えながらベッドを降りようとする、のだが。


「ダメです」


「……はい?」


 思いがけない返答に、アンジェはベッドの縁に腰かけた状態で固まった。


 メリッサのほうを見れば、彼女はアンジェの指示に従うことなくいつも通りの無表情で突っ立っている。


「えっと……メリッサ? ダメっていうのは……」


「言葉通りの意味です。今のアンジェ様を書庫へお連れすることはできません」


 言うなり、彼女はこの部屋唯一の扉の前に立ちふさがってその意志を体現する。ただでさえ体格差がある上に、普段からアンジェの護衛も兼ねている彼女を出し抜いてこの部屋を出ることなど、アンジェには不可能だ。


「……メリッサ、どうしてです? またシャル様から言いつけられてるんですか?」


 メリッサはアンジェに付き従っているが、身よりも資金もないアンジェに代わって彼女を雇用しているのはシャルロットだ。先日アンジェが数日ほど軟禁されたときのように、シャルロットならばメリッサに再度似たような命令をすることも可能である。


 が、アンジェの予想は外れた。


「いえ、そのような指示は受けておりません。これは私の意志です」


 吸い込まれそうな黒い瞳に強い力を込める彼女の答えに、アンジェはいよいよもって訳がわからなくなった。


 これまでメリッサが自らの意志で指示に反したのは、アンジェが知る限り自分についてきてくれるといってくれたあの時だけだ。自分の礼儀作法が未熟だったことから小言をもらったり、働き過ぎをやんわりとたしなめられたことこそあれど、アンジェに向かってここまではっきりとノーを突き付けてくることなどなかった。


 なのに今、彼女は誰の命令を聞くでもなく、こうしてアンジェが進もうとしている道の上に立ちふさがっている。


 急に味方がいなくなったような心細さに襲われて、アンジェは縋るように膝の上でぎゅっと握りこぶしを作った。


「……アンジェ様」


 そんな彼女に、メリッサはどこかためらいがちに問いかける。


「アンジェ様のそれは……本当に、『やりたいこと』ですか?」


「え……?」


 その言葉は、アンジェにはまるで異国の言葉のように判然としなかった。


 考えがまとまらずに無言のまま数秒が過ぎ、交錯していた視線を先に外したのはメリッサだった。


「私から申し上げられるのはここまでです。……外におりますので、何かあればお呼びください」


「え、ちょっ、メリッサ……!?」


 彼女は一方的に告げると、アンジェが止める暇もなく扉の向こうへと姿を消した。


「……本当に、やりたいこと……」


 一人取り残された部屋の中でアンジェが零したつぶやきは、他の誰に聞かれることもなく夜の冷たい空気に溶けていった。


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