第32話:王女様は何を想う

 シャルロットは流れるようにアンジェの傍らに歩み寄ると、抱えていた書類を机に置いて代わりにアンジェを抱え上げる。そのままアンジェが座っていた椅子に自身の体を滑り込ませれば、いつも通りの膝抱っこ状態の完成だ。


 アンジェも最初のうちは抵抗したものだが、シャルロットによる調教……もとい習慣化の甲斐あって、今となってはすっかり受け入れてしまっている。今もシャルロットの胸に頭を預けて完全にリラックスモードだ。


 そんな彼女の髪を優しく梳きながら、シャルロットは不意に問いかけた。


「……あら、ずいぶんお疲れみたいですわね? 見学で何かございまして?」


 シャルロットは時折驚くほど鋭いことがある。アンジェは少々面喰いつつ、この日王城内を巡った先で直面した様々な問題について彼女に話して聞かせた。


 アンジェからすれば、自分の不甲斐なさが際立つばかりの失敗の数々。だが、それを聞いたシャルロットの反応はといえば。


「くっ……アンジェ様のきょとん顔はまだしも、一生懸命に剣を振り剣に振られる御姿を見逃してしまうとは……! それに調理台に届かずに背伸びしているところなんて可愛らしすぎて悶絶ものではございませんの! あとメリッサ、わたくしに無断で踏み台になるなんて許しませんわ! 最初にアンジェ様の踏み台になるのはわたくしでしてよ!」


「ごめんなさいシャル様、ちょっと膝から降りていいですか」


「ダメですわ!」


「……ですよね」


 アンジェの腰に腕を回してがっしりと抱え込む第二王女は今日も絶好調のようで、アンジェはただただ頬を引きつらせるばかりであった。


「――それにしましてもアンジェ様、少々急ぎすぎではなくて?」


 アンジェを抱え込んだまま、シャルロットが柔らかな声色で問いかけた。


「まだこちらに来られてから数日しか経っておりませんのよ? もう少しゆっくりされたらいかがかしら?」


「あはは……そうなんですけど」


 シャルロットのもっともな意見に、アンジェは苦笑するしかない。


「なんとなく落ち着かなくて。そもそも、こんなにお休みしたことなんてなかったですし」


「……本当、かの国の方々はどれだけアンジェ様を酷使して……」


「も、もう過ぎた話ですから……」


 背中に暴風を巻き起こすドラゴンのような気配を感じて、アンジェはそれとなくなだめに入る。実際、確かに聖女として働いていた日々は大変ではあったものの、アンジェは決してそれらを恨んでなどいないのだ。


 シャルロットもそれは重々理解しているようで、すぐにその災害めいた気配を引っ込めてゆったりとしたリズムでアンジェの頭をなで始めた。


 途端、まるでアンジェが最も心地よく感じる強さや速度を熟知しているかのようなその手つきに、体から力が抜けていく。


「大丈夫ですわ。こちらではアンジェ様に無理をさせるようなことは決してございませんので。焦らずゆっくり、アンジェ様のやりたいことを見つけてまいりましょう」


「やりたい、こと……」


 背中に感じる大好きな体温やら頭を撫でてくれる手のひらの柔らかさやらですっかり思考が溶けかけているらしいアンジェだが、その言葉には半ば反射のように呟く。


「私は……シャル様を、お守りしたくて……助けになりたくて……」


「……」


 その瞬間、シャルロットが微かに身を固くするのだが、アンジェはそれに気づかない。


「私、どうすればいいんでしょう……?」


「……しいて言えば、今はゆっくりお休みいただきたいですわね。このまま寝てしまわれて構いませんわよ?」


「んー……はーい……」


 やはり疲れがあったのだろうか、アンジェは珍しく素直に返事をすると、それから数分もしないうちにシャルロットの腕の中で寝息を立て始めた。その寝顔は、先ほどまでがむしゃらにできることを探し、それらが徒労に終わったことへの落ち込みを感じさせない、穏やかなものだ。


 シャルロットはそれを見届けて頬を緩め、しかし悩まし気に深く息を吐く。


「……お気持ちは、嬉しいのですけれどねぇ……」


 愛する人から「守りたい」と言われて、ときめかない者などいない。だが、今のアンジェにはそれよりも先に考えてほしいことがある。だがどうにも、そんなシャルロットの想いはアンジェには正しく伝わっていないようだった。


「仕方がありません。アンジェ様はそういう方ですから」


「……でしたらメリッサ、貴女からももっとアシストしていただけませんこと?」


「私はあくまでアンジェ様の侍従ですので」


「まったく、こういう時ばかり都合の良いことをいうのね」


 もちろん、メリッサが自身の立場でできる限りのことをしてくれていることはシャルロットとて百も承知している。だがどうにも、皮肉の一つでも言わなければやっていられないときだってあるのだ。


 そんな胸中を察してか、メリッサは何も言わずにシャルロットの前に淹れたての紅茶を差し出す。よくできた彼女の気づかいに感謝しつつ、シャルロットは気を鎮めようとそれを一口啜った。


「……にがっ」


 ……否、自身の気苦労に皮肉をぶつけられ、彼女も多少気が立っていたのかもしれない。


 ===


 シャル様が真面目……だと……!?


 ちなみに第32話、もともと公開の一週間前には書きあがっていたのですが公開前日に改めて読み直したところ「ん……?」となったので、ほぼ全部書き直してます。


 つまり第33話以降の書き溜めがほぼパーになったので絶賛執筆中です。なるべく次の更新に間に合うように頑張りますが、いかんせん本業もあるので更新されなかったらそういうことだと思っていただければ……。


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