第30話:怒涛の一日の終わりに

 すっかり眠りこけてしまったシルヴィを抱え、「後でまたぎゅぅってさせてくださいね!? 絶対ですからね!?」と言い残してセリーヌが去って行ってからも、アンジェの目まぐるしい一日は続いた。


 突然現れた王城付きのメイドたちに全身の寸法を測られたり、女王から招かれた小規模な夕食会で重臣たちが次から次へとあいさつに来たり、「お背中お流ししますわ!」と浴場に突入してきたシャルロットを風呂桶で撃退したり。


 そうして、ようやく訪れた一日の終わり。


 アンジェは自身にあてがわれた王城の一室で、広々としたベッドに思いっきり突っ伏していた。湯上りの火照った肌に纏ったネグリジェが膝のあたりまでまくれ上がっているが、そんなことを気にする余裕もない。


 聖女として働いていたこれまでも、毎日毎日魔力が空になるまで力を行使し続けて倒れるように眠る日々を繰り返してきたわけだが、今日の疲れはそれとは全く別物だ。


 何せ一日の間で女王に面を通し、不意打ちが過ぎる展開で婚約者が決まり、その婚約者の姉妹からもやたらと気に入られ、国の重役とも顔合わせをし、ついでに婚約者を風呂桶でぶっ飛ばしたのだ。あまりの情報の大洪水に翻弄されたアンジェが感じている疲労は計り知れない。


 そんな主人を気遣ってくれたのか、メリッサが何も言わずにベッドの傍まで歩み寄り、乱れた寝間着を整えてくれる。彼女の献身に感謝しつつ、アンジェは重い唇を動かして、これまでの日々で習慣化していた問いを投げかけた。


「……メリッサぁ……明日はどこ行くんですっけぇ……」


 それは、聖女として激務をこなしていた日々に幾度となく繰り返した光景。翌日も同じような激務に身を投じる覚悟を決めるための、いわば儀式のようなもの。


 ……だが。


「明日はお休みです」


「……はい?」


「お休みです」


 ――お休み? お休みって何だっけ?


 アンジェがその言葉の意味を即座に思い出せなかったのは、溜まりに溜まった疲れのせいだけではない。彼女が記憶する限り、メリッサの口からその言葉が発せられたことなど一度もなかったからだ。


 もちろん、断じてメリッサが悪いのではない。聖女に対して降ってくる膨大すぎる仕事量が予定を圧迫し、一日たりとも空白を入れることを許さなかったのである。使命に燃えるアンジェも限界を超えてそれに応え続けた結果、アンジェはこれまでの十年間で休日と呼べるものを一日も撮ることなく過ごしてきたのだ。


「シャルロット殿下からは、アンジェ様が自然にお目覚めになるまで絶対に起こすな、早起きしそうになったら全力で寝かしつけろ、昼まで部屋から出すなと仰せつかっております」


「いや、それはそれでちょっと違いません……? 扱いが完全に軟禁に近い気がするんですけど……」


「そういうわけですので、本日はもうお休みください」


「あっ、はい」


 有無を言わせないメリッサの圧力にこれ以上は無意味と悟ったアンジェは、素直に布団の中に潜り込んだ。ほどなくしてメリッサの手によって明かりが落とされ、部屋が暗闇に包まれる。


「お休みなさいませ、アンジェ様」


「はい。おやすみなさい、メリッサ」


 メリッサが退室し一人になった部屋の中、アンジェはようやく『お休み』の意味を理解し始める。


 ――そっか。もう、あんなに頑張らなくていいんだ。


 眠い目をこすりながら馬車に乗り込み、夜が明ける前に帝都を発つ。国のあちらこちらで怪我人や病人を癒し、魔物を浄化し、土地を祝福する。月が空の半ばまで昇るまでそれらを繰り返し、神殿内の自室には寝に帰るだけ。そしてまた夜明け前に起床する、そんな日々。


 文字通りの自己犠牲によって成り立ち、いずれはアンジェの身を滅ぼしただろうその循環を断ち切ったのがあの断罪だと思うと、少し複雑な気持ちにもなる。


 ――いや、違う。シャル様が救ってくれたんだ。


 鮮やかな金髪を縦に巻く、特徴的な髪型の友人――今となっては婚約者となったが――の顔が脳裏をよぎり、アンジェの頬が勝手に緩む。


 彼女の熱すぎる恋情にあてられ続けたアンジェは、この短期間で彼女に抱いていた友愛をあっという間に親愛に変じさせてしまった。シャルロットの想いはそれだけ強かったし、アンジェも恐らく、もとからまんざらでもなかったのだろう。


 だからこそアンジェは、心に決めていることがある。


 ――私がこの国のためにできることを見つけて、胸を張ってシャル様の隣に立てるようになる。……だからそれまでは、あんまり甘えすぎないようにしないと。


 それは、誰かのためになりたかった少女の、最後のプライドなのかもしれない。助けられるだけでは、守られるだけではいられない。助けたい、守りたい。そんな彼女の本質は、例え『聖女』という肩書がなくなろうとも、力が使えなくなろうとも、変わることはなかったのだ。


 ――私、頑張りますから。一緒に歩いてくださいね、シャル様。


 閉じた瞼の裏に映る彼女が、ふわりと微笑んだような気がして。


 アンジェは満たされた想いのまま、夢の世界へと沈んでいくのだった。


 ===


 というわけで、第6章完結です。


 クレマン王家の皆様の大活躍でツッコミ役に覚醒したアンジェもなかなかに大変な思いをしましたが、

 今回の最大の被害者は突然応接間に担ぎ込まれたのに使われることなく運び出されていったベッドちゃんだと思ってます。


 そういえば、本章ではこれまでに比べてもたくさん応援コメントをいただきました。ありがとうございます!

 第1部と比べてコメディ色が強くなった分、コメントもしやすくなったんですかね? 反応がじかにわかるので、作者としては嬉しい限りです。

 もし心とお時間に余裕があれば、以降のエピソードにもお気軽にコメントいただければと思います。一度コメント欄をご覧いただければわかるかと思いますが、かなり軽いノリで返してますので……笑


 それから、ちょっと宣伝っぽくはなってしまうのですが、先日初めてギフトをいただきましたのでせっかくならと限定近況ノートの公開を始めました。

 その名も『にこなでこぼれ話』。本作を執筆するにあたっての裏話とかキャラ設定的なものを面白おかしく書いていきたいなーと思っているので、もしよければそちらもご覧ください。


 さて、次章では本格的にアンジェが自分にできることを探し始めます。引き続き温かく見守っていただけると嬉しいです。


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