第27話:疲れてる元聖女様と浮かれてる王女様
「……なんか、すっごく疲れました……」
女王との謁見を終えたアンジェは、控室としてあてがわれた応接間の一つに戻ってくるなり、深い息をついてソファに沈み込んだ。せっかく着替えさせられたいかにも上質そうなローブがしわになるのを気遣う余裕もなく、全身の力を抜いて座り心地の良いソファに全力で身を委ねている。
彼女がこうなった原因は言わずもがな、ただのあいさつだけだと思っていたところに突然降ってわいた婚約騒動である。
結果だけを見れば、この国で生活する権利どころか将来の王族候補というとんでもない立場まで得られたのだから、あいさつとしては大成功といってよいだろう。……立場については、アンジェは望んではいないわけだが、
しかしながら、その結果に至るまでの過程やら女王の誤解を招きかねない聞き方やらですっかり消耗したアンジェは、成し遂げた成果をはるかに上回る疲労感に、感情が迷子になっていた。
……ところが、彼女をそんな状況に追いやるきっかけを作った第二王女はというと、
「ふふふっ♪ アンジェ様と婚約♪ 婚約♪ ふふふっ♪」
謁見の間では女王へのお小言をこれでもかとばかりに連発していたが、それが終わり女王の前を辞してからというもの、終始にやにやと頬を緩めっぱなしで鼻歌まで奏でている有様だ。この上機嫌っぷりは、初めてアンジェをもみくちゃにした挙句に彼女に『もうお嫁に行けない……』と言わしめたあの夜以上かもしれない。
応接室に入ってからもその様子に変わりはなく、実に幸せそうに部屋の中をうろうろと歩き回るその姿は、さながら幼子が念願のぬいぐるみを買い与えられたかのようであった。
「……もう、シャル様ってば」
アンジェはそんなシャルロットをやや呆れたような目で見やるが、やがて諦めたのか再びのため息とともに目線を外した。しかしながら、その口元がほころんでいることに、彼女自身は気づいていない。今この場で唯一それに気づけそうな侍女も、見て見ぬふりをしながら静かに紅茶の準備をしているだけだった。
と、そんなほほえましい光景が繰り広げられている応接室に、不意に扉をノックする音が響く。
誰よりも早くそれに反応したメリッサが扉を開くと、
「お邪魔します」
「……ます」
二人の女性が、それぞれに従者を伴って入室してきた。
一人は緩くウェーブがかかった明るい金色の髪を背中のあたりまで伸ばした長身で、やや垂れ気味の橙色の瞳が優しげな雰囲気を醸し出している。年のころはアンジェよりもいくつか上だろうか、落ち着いた大人の女性、といった風情だ。
対して、もう一人はアンジェと変わらないほどに小柄な少女。やや色の濃い金髪を両サイドで結んでいる彼女は、外見年齢でいえばアンジェとほぼ同い年に見えた。琥珀色の瞳の半分ほどを瞼の裏に隠し、一人目の女性の影に半ば隠れるようにして立っている。
アンジェはやや緩慢な所作で二人を見、直後に大きく目を見開いた。そして、それまでのぐったりした様子からは考えられない、ばね仕掛けの人形のような勢いでソファから跳ね降り跪く。
何故、そこまで慌てているのかと言えば、
「せ、セリーヌ殿下、シルヴィ殿下! ご機嫌麗しゅうっ……!」
クレマン王国第一王女、セリーヌ。第三王女、シルヴィ。シャルロットの姉妹にあたるこの国の王女が、この場にそろい踏みとなったからだ。
顔を伏せながら、アンジェは額に冷や汗を浮かべた。
王族である二人は、もちろん先の謁見にも参列している。つまるところ、アンジェとシャルロットの婚約騒動を目の当たりにしていたのだ。
女王から許可が出ているとはいえ、二人からすればアンジェは初対面の他人。いかに当人同士が想い合っていたとしても、どこの馬の骨とも知れない女が突然現れて自分の妹ないし姉と婚約だなんて、易々と受け入れられるものでもないだろう。
ゆえに少々の後ろめたさを抱いていた中で、その当人たちがわざわざ部屋を訪ねてきたのだ。動揺するなという方が無理がある。
ど、どうしよう、まだ心の準備が……!
謁見に次ぐ修羅場の気配に、アンジェが身を固くする一方。
「あら、お姉様にシルヴィ。何か御用でも?」
一拍遅れて二人の来訪に気が付いたシャルロットは、そんなアンジェの心中などまるで気づいていないかのように能天気に尋ねる。セリーヌはその問いに微笑みだけで返すと、自身の影に張り付いているシルヴィを伴ってアンジェのもとへと歩み寄った。
ど、ど、ど、ど、どうしよう……! ま、まずはとにかく謝って、それから、えっと……!
必死に考えを巡らせるアンジェを嘲笑うかのように、二人分の足音が迫りくる。
そして、その音が目の前で止まり、アンジェの視界の端にドレスの裾が見えたかと思うと。
「あぁ……近くで見ると本当に清らかですねぇ……」
どこか陶然としたような熱っぽい声と同時にアンジェの体がぐっと引き寄せられ、全身が人肌のぬくもりに包まれた。
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