第26話:女王様は言葉が足りない

 女王の呼びかけにピタリと動きを止めたシャルロットが、そっとアンジェをその場に降ろす。アンジェはなおも揺れ続ける視界に少々ふらつきながらも、どうにか女王の方に向き直った。


 そうして久方ぶりに落ち着きを取り戻した謁見の間で、女王が再び口を開いた。


「話をまとめると、二人とも前向きに結婚を考えたいと、そういうことでいいのかしら?」


「もちろんですわ!」


 その問いかけに、シャルロットは即応した。


「結果的に、アンジェ様の窮地につけ込むような形になっていることがただ一つの心残りですが……わたくしがアンジェ様を愛しているという事実は変わりありませんの。わたくしが結婚するなら、アンジェ様以外ありえませんわ」


 力強く言い切ったシャルロットに女王は頷き、返答を促すようにアンジェへ視線を向ける。


「……私は」


 その一言を発したっきり口をつぐんだアンジェの瞳の奥を、様々な色が流れていく。その様子を、シャルロットはいつになく不安げに、女王はただただ穏やかに見つめ、決してせかさずに彼女の結論を待つ。


 そうして息が詰まるような静寂が一分、二分と続いたところで、アンジェは顔を上げた。その瞳には、どこまでも澄んだ光が宿っていた。


「シャル様は、かっこよくて優しくて、強くて、素敵な方です。そんなシャル様に助けられて、愛してるだなんて言ってもらって……それで、好きにならないなんて、そんなの無理です」


 アンジェは困ったように笑いながら続ける。


「正直、私なんかが釣り合うなんて到底思えないですし、どうして私なんかが、って思っちゃうんですけど……私も、愛したいって思っちゃったから。許されるのなら、私もちゃんと、結婚を考えたいです」


 シャルロットの表情が安堵に緩み、場の空気も幾分か緩和する。が、それもつかの間のことだった。


「ならアンジェ、私は貴女に尋ねなければならないことがあるわ」


 先ほど気安く接するように勧めてきたものとはまるで異なる、国を治める者としての眼差しで、女王はアンジェに問いかけた。


「貴女は、この国のために何ができるの?」


「――っ」


 アンジェは思わず息を呑んだ。


「結婚は当人同士の想いがあってこそ成り立つと、私もそう思うわ。……でも、それだけじゃないのもまた事実よ。特に王族の一員となるのなら、相応の責務を負うことを理解しておかなければならないわ」


 女王の口調は変わらない。決して相対するものに圧力をかけるようなものではなく、あくまでも穏やかで静かに言葉を紡いでいる。だからこそ、純粋な言葉の重みが、アンジェの胃のあたりににずしりとのしかかってくる。


 シャルロットが何か言いたげに口を開くが、女王はそれを目だけで制し続ける。


「民を守り、導くのが王族の役目。それを果たせるからこそ、王族は彼ら彼女らからあがめられるの。そのために、貴女には何ができるのかしら?」


 アンジェは何も言えなかった。


 何しろ、アンジェは五歳のころからずっと聖女としてあり続けてきたにもかかわらず、今はその根幹たる『聖女の力』を扱うことができないのだ。自身の人生のほとんどを捧げていたものが全く使えない現状、アンジェにできることはほとんどないに等しい。ましてや国という大きな存在に影響を与えられるようなものなど、アンジェには到底思いつかなかった。


 ――だが、それでも。


「……今はまだ、何もできないと思います。……でも」


 紺碧の瞳を揺らしながらもしっかりと女王を見据え、アンジェは言葉を絞り出す。


 ここで引いたら、きっと一生後悔するから。


「必ず、この国のためにできることを見つけます。愛する人のために頑張るって、そう決めたから。頑張ることにだけは自信があります。どんなに苦しいことがあっても耐え抜いて見せます。だから、その――」


「わかったわ、アンジェ。落ち着いて」


 次第に声が大きく、また悲痛な色をありありと浮かべてまくしたてるアンジェを、女王が穏やかな声音で制する。その瞳はいつしか、初対面の時と同じ、全てを包み込むような優しさに満ちたものへと戻っていた。


「怖がらせてしまったかしら。ごめんなさいね。……私は何も、貴女たちの結婚に反対しようなんて思っていないわ」


「へ……?」


 思わず気の抜けた声を漏らすアンジェに、女王は続ける。


「ただ、『国のために何ができるか』はきちんと考えてほしい。そういうつもりで聞いたのだけど……」


「だとしたらお母様、聞き方というものをもう少しお考えになってくださいませっ」


 辛抱ならないといった様子で、シャルロットがアンジェの肩を抱き寄せながら母親をにらみつけた。


「お伝えしましたでしょう? アンジェ様は今、拠り所だった『聖女の力』を失っておられるんです。そんな折にあの聞き方では、言外にアンジェ様のことを認めないと、そう示唆しているととられてもおかしくありませんわ」


「……そうね、配慮が足りなかったわ」


「全く、お母さまはいつもそうですわ。あの時だって――」


 実の母親を詰める娘と、詰められて肩を落とす母親。そんな立場が逆転した光景をしばし呆然と見つめていたアンジェは、ハッとして問いかける。


「あ、あの! じゃあ、結婚の話は」


 明らかに今回の件とは異なる話でシャルロットから詰問されていた女王は、これ幸いとばかりにアンジェに向き直って微笑んだ。


「えぇ、二人がそうしたいのなら構わないわ。……ただし、『国のために何ができるか』について貴女の答えが見つかるまでは、婚約で我慢して頂戴。私からの条件はそれだけよ」


 しばらく、その言葉の意味を咀嚼するような間が訪れた後。


「……よ、よかったぁ……!」


 アンジェは魂まで零れ落ちそうなため息とともに、自分を支え続けてくれていたシャルロットへと体を預けるのだった。


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