第25話:王女様の暴走再び
「改めて、クレマン王国は貴女たちを歓迎するわ。一応、この国の国民として生活するにあたって必要な手続きもあるから、詳しいことはシャルに聞いて頂戴」
それから幾ばくかのやり取りをしたのち、女王はそういって話を締めくくった。
「はい、ありがとうございますっ」
ようやく緊張もほぐれてきたアンジェも、明るい表情で応じて頭を下げた。
これで謁見は終わりだろうと誰もが思い、アンジェとメリッサもまたそう考えて立ち上がった、その時。
「お待ちになって、皆様」
ここまでずっと正座させられていたシャルロットが唐突に、足のしびれなど微塵も感じさせない軽快な所作で立ち上がって声を張り上げた。
アンジェが不思議に思ってシャルロットを見上げると、彼女はいつかのようにウィンクを決めて見せて、
「アンジェ様はわたくしの未来のお嫁様になりますの! ですから皆様、どうかあたたかく見守ってくださいませ!」
満面の笑顔で爆弾を投下し、時が止まった。
「……はい?」
「……は?」
しばらく静寂が続いた謁見の間に、聞き間違いを疑ったアンジェの困惑のつぶやきと、聞き捨てならない宣言に表情が僅かに崩れているメリッサの圧がこもった一文字がほぼ同時にこぼれる。そしてそれをきっかけに、臣下の一人が一歩進み出てシャルロットに問いかけた。
「……シャルロット殿下。それはつまり、アンジェ様とご結婚なさると、そういうことでよろしいのでしょうか」
「その通りですわ! わたくしの結婚相手はアンジェ様以外にあり得ませんの!」
言うなり、シャルロットはまだ呆然としているアンジェをこれ見よがしに抱き寄せる。小柄な体はすっぽりとシャルロットに包まれ、混乱の極地にいるアンジェに甘い体温で安らぎを与えてくる。
ふぁ……気持ちいい……。
主にここ数日ですっかりなじんでしまったその抱かれ心地は、アンジェから思考の一切を奪うには十分すぎるもの。一瞬、そんな甘美な感覚に身を任せてしまいたくなったアンジェだったが。
「……はっ!? ま、待ってくださいシャル様っ。私、結婚するだなんて一言も言ってないですよ!?」
すんでのところでどうにかその誘惑を断ち切り、シャルロットの腕の中でもがきながら最大の問題点を俎上に載せた。
その言葉に再度困惑するのは臣下達だ。あれだけ堂々と結婚を宣言しておきながら、相手に許可を取っていないとなると、それはもうちょっとアレな人ということになる。アンジェ絡みのシャルロットの奇行はこの場にいる臣下達はよく知っていることではあったが、ついに来るところまで来てしまったかと先ほどまでとは異なったざわめきが生まれる。
対して、シャルロットはと言うと。
「あら? だってアンジェ様、国境を越えた時に『これからはただのアンジェです。どうか、よろしくお願いします』っておっしゃったじゃないですの。これってつまり『ただのアンジェになった私を一生守ってくださいね、シャル様♡』ということですわよね?」
「『ですわよね?』じゃないです! どこをどう取ったらそうなるんですか? シャル様のお耳には何が聞こえてるんですか!?」
「アンジェ様の小鳥のような美しい声が聞こえていますわ!」
「私が聞きたかったのは声色じゃなくて中身についてです!」
――あれ、なんか急に夫婦漫才始まった……?
完全に置いてけぼりなメリッサ含むその場にいる者たちが似たような感想を抱く中、二人の会話は続く。
「仕方がないですわね。では百歩譲って、アンジェ様のお言葉がそのままお言葉通りだったといたしましょう」
「何で譲られてるんですか、私……?」
「だとしても、わたくしがやることはただ一つ! アンジェ様を一生愛してお守りすることのみですわ!」
「……あの、それってつまり私の言葉云々って最初から関係なかったんじゃ」
「つまり! わたくしがアンジェ様を妻に迎えることこそが最も良い道ですの! 証明完了ですわね!」
「いや、証明できたのはシャル様の願望だけじゃ……?」
先日の夜会で受けた詭弁ですら適わないような無理くりな理論に、アンジェは困惑する一方である。
すると、それまで自信たっぷりに胸を張って主張を続けていたシャルロットの表情が、急に分厚い雲が垂れ込めてきたかのように暗くなった。
「……それとも、わたくしでは力不足でして……?」
「……はい?」
その一言とともに、アンジェはシャルロットの腕の中から解放される。離れていってしまったぬくもりと言葉の不穏さが、アンジェの肌をかすかに粟立たせる。
「そうですわよね……アンジェ様のような素敵なお方、貰い手には全く困らないことでしょう。わたくしなんかがお守りするだなんて分不相応ですわよね……」
「へっ? い、いや、全然そんなことっ!? というかむしろ、私なんかがシャル様に守っていただくことの方が分不相応で……!」
突然弱気になったシャルロットに、アンジェが泡を食って言い返す。だが、シャルロットは力なく微笑んで。
「やっぱりアンジェ様はお優しいですわね。でも、その優しさはアンジェ様が愛する人に向けなければなりませんわ」
「っ!? わ、私はシャル様を愛してますっ!」
その言葉はほとんど反射で、アンジェの口から放たれた。
国境を越え、【護国の結界】を解除したあの時、アンジェは自分を愛してくれる人のためになりたいと心に決めた。その時に一番に浮かんでいたのは、他でもないシャルロットの顔だった。だからこそ、ここは譲れない一線だったのだ。
……しかし次の瞬間、アンジェは目の前の彼女のぎらついた瞳を見て、悟った。
――あ、これ、罠だ。
と。
「わたくしも愛してますわアンジェ様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ひぎゅっ」
目にもとまらぬ速さでアンジェに肉薄したシャルロットが、その勢いに反してほとんどアンジェに衝撃を与えないままに抱きしめると、そのまま喜びの舞とでもいうかのようにぐるぐるとぶん回り始めた。
「やっぱり両想いではありませんのアンジェ様! これはもう結ばれるしかございませんわ! 式はいつにいたしましょう!? 会場はどちらに!? 」
「ままま、待ってくださいシャル様、目が、目が回るぅぅぅっ……!」
謁見の間を舞踏会の会場とでも誤解しているかのように踊りまわるシャルロット。テンションが上がって風魔法まで用いている彼女の動きに振り回され、アンジェの思考は先ほどとは違った意味で停止する。
そんな彼女たちに。
「……そろそろ口をはさんでもいいかしら。シャル、アンジェ」
ここまで行く末を静かに見守っていた女王が、為政者としての瞳で二人を見据えて、静かに割り込んだ。
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