第23話:帝国との別れ

 シャルロットとメリッサの間に謎の同盟が出来つつある中、馬車は順調に西に向かってひた走る。


 ほどなくして、前方に国境を監視する砦と、視界一面に銀色の光で構成された薄い幕が広がる光景が見えてきた。


 幕は確かな存在感を持っているにもかかわらず向こう側が透けている。幅は見渡しても端が見えず、高さもまた首が痛くなるほど見上げても先が見えない。


 明らかに魔法的な何かで構成されているこの幕こそ、ドゥラットル帝国が誇る聖女の力の一端、【護国の結界】だ。帝国の周囲を取り囲むように建てられた八つの砦を繋ぐ形で展開される結界魔法で、外敵の侵入を阻み、内部に低レベルではあるものの浄化と豊穣の加護を与える、まさしく聖女の力と志を体現した力である。


 それを目にしたアンジェは、シャルロットの膝の上で少しだけ表情をこわばらせた。


 アンジェが持つ聖女の力は、シャルロットへの凶刃を防いだあの一瞬の後再び発動できなくなっている。にもかかわらず、今もなお自分の魔力のほとんどを対価に発動し続けているこの結界は、自分を否定した国を守り続けているのだ。思うところの一つや二つあったとて不思議ではない。


 馬車は速度を落とすことなく幕に向かって進んでいく。内側から外側へ向かう分には、特に制約はないのだ。


 そうして何の問題もなく国境を越えて、晴れてクレマン王国への入国を果たした、その時。


「……ちょっと、止めてもらえますか」


 アンジェが唐突に、御者に向かってそう声をかけた。


「……アンジェ様?お体の調子でも悪くって?」


「いえ、少しだけ用があって」


 困惑気味なシャルロットの膝から降り、更には馬車からも下りると、アンジェはドゥラットル帝国側のほうへと向き直った。そこには、発動者であるアンジェが出国してもなお輝きを放ち続ける結界が、堂々と鎮座している。


 後を追って下りてきたシャルロットとメリッサを尻目に、アンジェは静かに目を閉じて自問する。


 十五年間を過ごしてきた帝国に対して愛着がないなんてことはない。つらいこともたくさんあったけれど、嬉しいこともたくさんあったし、ここまで育つことができたのは間違いなく帝国の皆さんのおかげ。だから私は、確かにこの国を愛してた。


 ……でも、その結果がこんな仕打ちで、今はもう国を挙げて私がやったことをなかったことにしようとしてる。そんな人たちを、私はまだ愛することができるの? ひどいことをされても受け入れて愛し続けることは、本当に正しいの?


 本物の聖女なら、それでも愛し続けないといけなかったのかもしれない。国のためにその身を捧げるのが、聖女だから。


 だけど、私はもう、聖女じゃない。偽物だって言われて、力も呪いだなんて言われた、ただのアンジェ。


 ただのアンジェである私は……自分を愛してくれる人を、愛したい。自分が愛したい人を、愛したい。そう思える人のためになら、どんな苦しみにだって耐えられる。


 だから――


「……【俗世への帰還】」


 ――帝国あなたたちのことは、帝国あなたたちを愛せる誰か……私以外の誰かに、守ってもらってください。


 アンジェの最後の祈りとともに、これまで微塵も揺るがなかった結界が弾け、霧散していく。


 陽光を浴びて銀色に輝く粒子が風に舞い、アンジェ達を包み込む。それはまるで、これから新たな道を歩み始める彼女達への餞のようだった。


「綺麗……」


 めったなことでは顔色を変えない侍女が、思わず目を見張っている。シャルロットもまた、呆然と目の前の神秘的な光の雨を眺めている。


 そんな二人のほうを振り向いたアンジェは。


「これからはただのアンジェです。どうか、よろしくお願いします」


 まるで憑きものが落ちたような満開の笑顔で、愛したいと思える二人に頭を下げた。


「……もちろんですわ、アンジェ様」


 シャルロットがアンジェに歩み寄り、そっとその体を抱きしめる。どこか甘やかな香りがアンジェの鼻腔をくすぐり、ドキリ、と鼓動が跳ねた。


「今のわたくしがあるのはアンジェ様のおかげ。今度こそ、必ずやお守りいたしますわ」


 それだけ耳元で囁いたシャルロットは、アンジェが言葉を飲み込むよりも先に彼女の手を取って、


「さ、これ以上長居は無用ですわ。早く都へ向かいましょう!」


「え、しゃ、シャル様?」


 半ば強引に手を引き、馬車へと連れ戻すのだった。


 再び走り出す馬車の中、もはや定位置となりつつあるシャルロットの膝の上で、アンジェは心の中で念じてみる。


 ――これでいいんですよね、聖女様。


 不思議な空間で出会い、危険性を説いたうえでシャルロットを守れるように一時的に力の封印を解いてくれた初代聖女。


 彼女の別れ際の言葉がよみがえる。


『さぁお行きなさい。必ず貴女が愛するものを救って見せるのです。……私が認めた聖女、アンジェ』


 貴女が愛する者を救って見せろと、彼女は言った。そして、アンジェが今愛するのは帝国ではない。だから、これが正しいのだと、アンジェはそう信じている。


 ……そして。


『えぇ、それで良いわ。愛する者のために戦う限り、私の力は貴女とともにあります』


 問いかけが届いたのだろうか、アンジェの脳裏に柔らかく微笑んで頷く初代聖女の姿が過る。直後、体の中で凍り付いていたものが、ほんの少しだけ溶けたような、そんな気がした。


 かくして、史上最大の力を持つ聖女、アンジェ・バールは帝国から姿を消した。


 そしてこれが、永年にわたって栄華を極めてきたドゥラットル帝国、その崩壊の引き金であったことを彼女達がしるのは、まだ少し先の話である。


 ===


 ということで、これにて『第1部:聖女という肩書』完結となります。ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

 もしお楽しみいただけておりましたら、ぜひフォローや★をつけていただけると嬉しいです。


 せっかくなので、少しばかり後書きとして語らせてください。


 第1部は帝国における『聖女』という存在を巡った動きが主題となり、アンジェにとってはつらい場面の連続となりました。

 誰もが聖女という存在を敬っているにもかかわらず、その実見ているのは肩書だけでアンジェ本人を見ていない。そんな歪な様子が見て取れたかと思います。

 実力はちょっとアレなのに役職(年次)が上だから優先される、仕事はできるのにヒラのままだから低くみられる、どちらもよくある話ですよね。


 一方で、シャルロットというへんtもといちょっとおかsもといかけがえのない友人、メリッサというぶっとんdもとい大切な侍女に囲まれて、アンジェは『聖女』ではない『ただのアンジェ』として再スタートを切ることができました。

 どんなに理不尽な扱いを受けていても、見てる人はちゃんと見ている者です。努力は報われるし、手を差し伸べてくれる人は現れる。ここまでのお話で、少しでもそんな前向きなものを感じていただけたなら本望です。


 さて、第2部ではクレマン王国へと逃れたアンジェの新しい生活を描いていきます。雰囲気としては、序盤から中盤くらいまでは第1部の2章のような、ややコメディ色が強めな感じになるかなと思ってるので、あのあたりがお口に合った方であれば同様にお楽しみいただけるかと。

 終盤については……ぜひ読みながら想像してください。


 また、数々の誤字や誤変換のご指摘、ありがとうございました。大変読みづらいものになっていたことと思います、申し訳ございません。

 言い訳がましくなってしまいますが、私は視覚に障害を持っており、執筆は合成音声による内容の読み上げをもとに行っております。そうすると、特に入力時に見落とした誤変換は、後から読み返しても読み方が同じなので大変気づきにくいのです。

 なので、コメントいただいた皆様からのご報告には本当に助けられました。重ね重ねありがとうございます。

 とはいえさすがに多かったのであれこれ考えた結果、近況ノートにも投稿しましたが、第1部完結にあたって全般的に生成AI等を用いて校正をかけました。第2部以降はこの対応をデフォルトにするつもりなので、これまでよりは幾分か、誤字や誤変換を減らせるかなと思っております。

 一方で、それでもなお校正をすり抜けてしまうケースが既に散見されており、完全になくすのは難しそうというのが現状です。大変心苦しいのですが、気づかれた箇所がありましたら、引き続きご報告いただけると助かります。


 併せまして、第10話の応援コメントで帝政と王政の用語の混用をご指摘いただきました。こちらについても校正をかけたタイミングで用語を統一しております。

 第2部以降は統一後の用法で執筆してまいりますので、少しだけ頭の片隅にでも留め置いていただければ。


 正直、初の長編作品かつはつの異世界ファンタジー作品でここまで反響をいただけるとは思っておりませんでした。本当にありがとうございます。

 まだまだアンジェとシャルロットの物語は続いていきますので、引き続き応援のほど、よろしくお願いいたします。

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