第20話:無実の証明

「ま、待ってくださいシャル様! いくら何でも、さすがにそれは……!」


 荒唐無稽ともいえるシャルロットの仮説に、アンジェは反射的に声を荒らげた。だが、それも当然の話だ。


 教会が神から授かるというお告げ――神託は、国政に大きな影響力を持つ。最終的には国王の判断とはなるものの、多くの場合は神託に沿った施策を取るし、神託に反した政策は行わない。


 それはつまり、やりようによっては教会が国をいかようにも操ることができる、ともとれる。それだけに、教会に務める神官や司祭、巫女たちには入念な身辺調査が行われるし、神託を得るための儀式も必ず九人の神官と王家側の人間二名以上の立ち会いの下で実施されるようになっている。特定の人物の悪意など、入る余地もないように思えた。


 もちろんそんなことは、シャルロットとて重々承知している。


「えぇ、これはあくまで推測、最も悪い可能性のお話ですわ。……ですが、実際に追手が差し向けられた以上、その最悪の可能性を想定して動かなければなりませんの」


 そう、この際シャルロットの仮説の真偽はさしたる問題ではない。アンジェが無事に国外へ逃げ延びるうえでどういった妨害や襲撃があり得るのか、その最悪を想定して動くことが重要なのだ。


 つまり、アンジェがこれまで十年間を過ごしてきた教会ですら、敵である前提で行動しなければならない、ということである。アンジェは苦々しい思いをぐっと堪えるように唇を引き結ぶ。


 そんなアンジェを気づかわし気に見つつ、シャルロットは表情を険しくして続けた。


「一度このような手を取った以上、その何者かは必ず、さらなる追手を差し向けてくることでしょう。今すぐにでも帝都を出て、我が国へと向かい始めたいところですが……アンジェ様、お体は動きまして?」


「う……ちょっと、一人で歩くのは無理そうです……」


 試しに立ち上がろうとしたところで両足に耐えがたい痛みが走り、ほとんど体を浮かせることもできないままにアンジェの体はソファに逆戻りする。歩くどころか、這って進むことすら難しそうな情けない現状に、彼女は眉をハの字に下げた。


 とはいえ、シャルロットもそれは織り込み済みで。


「……ですわよね。仕方ありませんわ、わたくしがおぶってまいりましょう」


 風魔法を自在に操るシャルロットであれば、夜会の場からアンジェを連れ出したときのように軽々と彼女を背負って動くことができる。ついでに言うとアンジェの温もりやら柔らかさやらを背中全体で感じられるのだから、それ自体は全く問題にならない。


「……何か変なこと考えてません?」


「いえまったく! 何をおっしゃっておられますやら!」


 まるで思考を読んだかのようなアンジェの一言に、シャルロットは冷や汗を垂らす。アンジェは疑いの眼差しを逸らさないが、そんな可愛らしいジト目はむしろシャルロットの心の中の『アンジェ様表情集』にしっかりと焼き付けられるだけだったりするのであまり意味はない。


 ……閑話休題。


 アンジェを背負うこと自体が問題にならないとするなら、シャルロットが何を危惧しているかと言えば、アンジェを背負ったままに十分な戦闘が行えるかどうか、という点だ。


 少々力に覚えがある程度の相手に負ける気はしないものの、シャルロットが得意とする風魔法は繊細な魔法の操作を必要とする。両手が使えず重心も変わっている状態でどこまで戦えるかというのは、シャルロットにとっても未知数なのだ。


 とはいえ泣き言は言っていられない。シャルロットが為すべきことは、何としてでもアンジェを安全に国外へ連れ出すこと。やれるかではない、やるしかないのだ。


 と、シャルロットがアンジェのジト目を存分に楽しみつつ決意を固めたところで。


「――私にも手伝わせていただけないでしょうか。アンジェ様、シャルロット殿下」


 感情の起伏に乏しい女性の声が、扉がなくなった部屋の入り口の向こうから聞こえてきて、二人は同時にそちらを見た。そして、薄明りに浮かび上がったシルエットに、アンジェが目を見開く。


 そこに立っていたのは、クラシカルなメイド服に身を包んだ、黒髪黒目の女性――アンジェの侍女、メリッサだった。


 彼女は深々と一礼し、部屋の中へと足を踏み入れる。


 ……だが。


「止まりなさい、メリッサ」


 シャルロットが静かに命じると、メリッサはぴたりと歩みを止めた。


 その思わぬ剣幕に驚いたのはアンジェだ。


「しゃ、シャル様? どうして……!?」


 アンジェにとって、メリッサは聖女になってから最も多くの時間を共にしてきた従者だ。立場上口にすることはできないが、これまで少し歳の離れた姉のように慕い、信頼してきた相手でもある。


 ……しかし、シャルロットの捉え方は違った。


「メリッサがアンジェ様に尽くしてきたことは理解しておりますわ。……しかし、彼女の所属はあくまでも教会。今この瞬間に姿を現した教会関係者、怪しむには十分でしょう?」


 アンジェは唇をかむ。


 確かに最悪の可能性を危惧するなら、メリッサほど都合の良い者は存在しないのだ。アンジェの信頼を得ており、かつ教会に命令権があって自在に操れる人物となると、該当者はそう多くはない。シャルロットの警戒は当然のことで、アンジェも異を唱えることはできなかった。


 ……そして、それはどうやら、メリッサ自身も理解しているようで。


「シャルロット殿下が疑われるのも無理もございません。そして残念ながら、その疑念を完全に払拭することは困難と言えます。……ですが、私が今の教会に従う意思がないことを示すことならできます」


 メリッサは言うなり、身に着けていた首飾りを外した。銀色のチェーンの先に、聖職者を表す十字架と帝国の力の象徴たる聖龍を組み合わせたペンダントトップがぶら下がっている、教会の中でも上位の存在であることを示す装飾品だ。


 彼女はその首飾りを足元に放り投げると――何のためらいもなく、右足の踵でそれを踏み抜いた。


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