第11話:失われた力

「えぇっと、それで……アンジェ様を我が国へお招きしたい、というお話でしたわね」


 シャルロットは、仕切り直しとばかりに一つ咳ばらいをすると、自信ありげに胸を張りつつ話し出す。


「国に戻ればわたくしも王女。大切な友人一人の生活を保障するなど容易いことですわ! もともと、いずれは一度くらいお越しいただきたいと思っていたところですし、それがちょっとばかり早く、長くなっただけのことですの!」


「シャル様……」


「ですから、ぜひわたくしと一緒に参りましょう!」


 シャルロットの言葉に胸が熱くなる。


 彼女は先刻の騒動を受けてなお、アンジェのことを友人と呼んでくれた。それだけじゃない、一時的な滞在と亡命ではことの大きさが違いすぎるにも関わらず、それを本当に何でもないかのように振る舞ってくれたのだ。嬉しくないはずがない。


 ……だが。


「すみません、シャル様」


 だからこそ、アンジェは。


「お気持ちは嬉しいのですが……それをお受けすることは、できません」


 シャルロットが差し出した手を取ることは、できなかった。


 目を見開き、手を差し出したまま言葉を失っているシャルロットに向けて、アンジェはさみしそうに微笑んだ。


「私は、この国を追われた罪人です。そんな私と一緒だと、シャル様にまで変な疑いをかけられてしまうかもしれません」


「そんなこと……! わたくしは少々の嫌疑でどうにかなるような人間ではなくってよ!」


「はい、シャル様がお強い方というのは、良く知ってます。……だから、最大の理由は、こっちです」


 そう、シャルロットがアンジェの立場をわかっていながら手を差し伸べてくれていることは、アンジェも重々承知している。


 だが、それ以上にシャルロットの手を取れない理由を――自分に訪れた悪い変化を、アンジェは自分の中に感じていた。


「結局私は、聖女には選ばれなかった。……それだけじゃない」


 アンジェはそこで言葉を区切ると、両手を胸の前で組んで祈るような姿勢を取った。そしてこの日の朝、とある農村で口にしたものと同じ呪文を唱える。


「【癒しの光】」


 ……だが、あの時のようなまばゆい光は起こらない。広がるのはただ、アンジェが放った声の残響だけだ。


 それが意味するところは、ただ一つしかない。


「……アンジェ様、貴女、まさか」


 その事実にたどり着いたシャルロットが、その先の言葉を言いよどむ中、


「……私、聖女の力、使えなくなっちゃったみたいなんです」


 アンジェはすべてを諦めてしまったかのような苦笑を浮かべて、あっさりと告げた。


 完全に固まってしまったシャルロットに、アンジェは淡々と続ける。


「シャル様にお助けいただいてここに来た時からずっと、違和感があったんです。まるで、私の中にある大切な何かが、凍り付いてしまったかのような。……勘違いだったらよかったんですけど、やっぱりダメみたい」


 膝の上に重ねられた両手が、小さく震えている。


「国全体に張っている守護結界とはまだつながっている感じがするので、発動済みの力はそのままみたいですけど……たぶん、新しく力を発動することはできません。そんな私にはもう、価値なんてないんです」


 その手の甲に、ポタリ、と一粒の雫が落ちる。


「王国の皆様も、聖女でもなければ力も使えない私なんかを王家が保護するなんて、そんなの納得できないでしょう。そうなると、王国の皆様にも、シャル様にも、迷惑になっちゃう。……そんなこと、できません」


 それは、誰かのためになりたかった、誰かを救いたかった少女のさが。本当は、今すぐにだってシャルロットの手を取ってすがりたい。何もかも投げ捨てて、彼女に保護されたい。それでも、自分にいくら負担を強いようとも、他人に対してそれを求めることができない。


 そんないびつな感情のハザマから押し出された声なき声が、アンジェの手の甲に涙の川を作っていく。


「大丈夫、何とかなります。だから、シャル様は私のことなんて忘れて――」


「……貴女という人は」


 ここしばらく黙り込んでいた目の前の友人の声に、アンジェは思わず言葉を止めた。


 彼女はいつの間にかうつむいていて、表情はうかがえない。しかし声の調子から、相当に落ち込んでいるか、はたまた心底呆れているのであろうことは察することができる。


 それもそうだろう、とアンジェは思った。文字通りに何もかもを失った自分に向けられる感情として、これほどまでに正当な感情など、ありはしないと。……ただ、それをつい先ほどまで友人と言ってくれていた相手から向けられるのは、流石に息が苦しくなる。


 ――せめて、お別れだけは、ちゃんと言おう。


 しばし生まれた無言の間に、改めて決意を固めたアンジェが大きく息を吸い込んだ――その時。


「貴女という人は……どうしてそんなに清らかなんですのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」


「へぎゃっ」


 再びの大絶叫とともに、アンジェは何故か、またしてもシャルロットの腕の中に閉じ込められていた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!! もう無理! 無理ですわ! こんなに清らかで美しい心をお持ちの方をどうして愛でずにいられましょう!?」


「しゃ、シャル様待って、目が、目が回るぅぅぅっ……」


「待ちませんわ! だいたい、わたくしがアンジェ様を聖女だから、あるいは力を持っているから愛していると、本気でそう思っていらっしゃいますの!? でしたら、これは徹底的に理解わからせて差し上げる必要がございますわね!?」


「ちょっ、しゃ、シャル様ああああああああっ!?」


 ……この後、いろいろもみくちゃにされながら以下に自分の心が尊いかを昏々と説き続けられたアンジェは、無事に二度目のノックアウトとなったのだった。


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