第10話:友人の正体

「もう、お嫁にいけない……」


 か細く呟いたアンジェの声には、それまでとは別種の疲れが色濃く滲んでいた。


 彼女がそう思うのも無理もない。突然抱きしめられ、ローブの上からとはいえ体中をまさぐられた上に、身を清める前の体の匂いまで嗅がれたのだ。齢十五歳と多感な年頃の少女にとって、これほどの辱めもそうそうないだろう。


 ……それは、そんな辱めを与えた張本人も同じはず、なのだが。


「あら、でしたらわたくしがもらって差し上げますわ! ……ふふふ、アンジェ様を四六時中独り占めだなんて、夢が広がりますわねぇ~」


 アンジェが受けた精神的ダメージを知ってか知らずか、なんか妙にクネクネしながら頬を染めてのたまうシャルロットの姿を見て、私、この人に助けられてよかったのかな……? と不安になるアンジェなのだった。


 そんな一幕も区切りがつき、アンジェの疲労がいくばくか回復してきたころ。


「……先ほどのお話、あながち冗談でもございませんのよ」


 乱れたドレスを整え、ぬるくなった紅茶を淹れ直したシャルロットが、先ほどのはっちゃけっぷりなどまるでなかったかのように優雅な所作でティーカップを傾けながら話し始める


 アンジェも彼女に倣って紅茶を口にしつつ、しかし脈絡が飛んだ話の切り出し方に小首をかしげていると。


「お嫁に来ていただくというお話ですわ」


「ごほっ!?」


 またしてもぶっこんできたシャルロットの発言に、アンジェは盛大にむせ返った。


「っな、なななな何をおっしゃってるんですかシャル様!? お、お嫁にって……え、えぇっ!?」


「あぁ、ごめんなさい。少々言葉が足りませんでしたわね」


 目を白黒させるアンジェの口元を手にしたハンカチで拭いつつ、シャルロットは真面目な表情で続ける。


「わたくしは、アンジェ様をわが祖国――クレマン王国にお招きしたいと考えておりますの。そちらであれば、わたくしの名の下にアンジェ様をお守りすることができますので」


 クレマン王国。


 ドゥラットル帝国と国境を接する、帝国に比肩する大国であり、もとはドゥラットル帝国の皇室から離れたある皇族が興した国だといわれている。


 そうした経緯もあり、建国後しばらくは帝国との争いが絶えなかったが、国力の増大によって自然と大規模な衝突は減少していったという。しかし、帝国からすれば皇族のはぐれ者が興した二流国家、王国からすれば自分たちの先祖を追放し今でも見下してくるいけ好かない国、という互いの印象は容易に拭えるものではなく、比較的穏健な当代の両国君主も苦心しているようだ。


 クレマン王国は、帝国よりも様々な面で寛容、解放的だ。中でも移民や異種族の受け入れといった政策はその姿勢を象徴するものであり、短い期間で国力をつけた国の根幹にかかわる方針ともいえる。


 つまりは、国外追放処分となったアンジェが頼るにはもってこいな国、というわけだ。


 ここまではアンジェにもわかる。実際、シャルロットの奇行でふっとんでしまったが、アンジェが悲壮な決意を固めた時に真っ先に思い浮かんだ移住先もクレマン王国だった。


 しかし、問題はその後に続いた言葉だ。


『そちらであれば、わたくしの名の下にアンジェ様をお守りすることができますので』


 ――わたくしの名の下に、守る……?


 そこで、アンジェは最早はるか昔のことのようにすら感じられる、夜会の一幕を思い出した。


『どこの国民でもないアンジェ様は、このシャルロット・ブノワ・がいただいてまいりますわ!』


 自分を連れ去る直前、彼女は確かにそう名乗った。アンジェに伝えていた『ブノワ』姓の、その続きを。


 それが意味するところを理解したアンジェの紺碧の瞳が、大きく見開かれる。対して、シャルロットもアンジェが結論に至ったことを察したようで少しだけ眉尻を下げた。


「黙っていて申し訳ございませんわ。ですが、身分が明らかになると何かと厄介ですので、ごく一部の方にしかお伝えしておりませんでしたの」


 彼女はそこで一度言葉を区切ると、アンジェの口元を拭ったハンカチを大事そうに仕舞ってから、スッと背筋を伸ばして口を開いた。


「改めまして、ご挨拶を。わたくしはシャルロット・ヴノワ・クレマン。クレマン王国の第二王女ですわ」


 シャルロットが自分の正体を明かした瞬間、アンジェはソファから跳ね降りて彼女の前に跪いた。


「しゃ、シャル様……いえ、シャルロット殿下! これまでの非礼、どうかお許しくださいっ……!」


 シャルロットの身分が高いであろうことは、アンジェとてずっと昔から感づいていたことだ。だが、ここまでの大物だとはさすがに想像できるはずもない。


 そんな相手をあだ名呼びにしていた上に、友人としてだいぶ気安く接してきていたのだ。ただでさえ、日ごろから侍女にお小言をもらいがちなアンジェからすれば、自分の言動や行動、仕草やら何やらに粗相の一つや二つ、三つに四つあったとておかしくないと、そう考えるのは自然なことである。


 が、それを受けたシャルロットはというと。


「そ、そんな、楽にしてくださいませ! 非礼などございません、むしろわたくしがアンジェ様に跪きたいくらいですわ!」


 と、何やら明後日の方向に慌てふためいていた。言うまでもないが、一国の王女が、今となっては身分も何もないアンジェのような存在に対して簡単に跪きたいとか言っちゃうのは、普通にアウトである。


 そうしてしばらく「楽になさって!」「いえ、そんなわけには……!」と不毛なやり取りを繰り返したのち、結局アンジェが折れる形でソファに座りなおした。ついでに呼び方も『シャル様』に戻すことになったのだった。


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