第6話:紛い物

 たった今、偽聖女と糾弾されたばかりのアンジェへの当てつけとも思えるような、白を基調とした豪華なドレスに身を包んだ長身の女性。彼女はまっすぐにロランスのもとへと歩み寄ると、その場で恭しく跪いた。


「ロランス殿下、ご機嫌麗しゅう。この度聖女に任じられました、アレクシア・フーコ公爵令嬢にございます」


 アレクシア・フーコ。帝国指折りの名家にして、代々国の重役を担ってきた筆頭貴族であるフーコ公爵家の令嬢だ。


 燃えるような赤い長髪と気の強さを感じさせる同色の瞳は、どこか野心を感じさせる色をしている。それでいて男の夢をこれでもかと詰め込んだような豊満な肢体は、今が修羅場の真っただ中でさえなければ、この場に居合わせたすべての男が生唾を飲み込んでいたところだろう。


 そしてこの場に居合わせている通り、一応は魔法学校におけるアンジェの同級生だ。……とはいえ、彼女は先述したアンジェに風当たりの強い貴族筆頭でもあったために、まともな親交はなかったのだが。


 ロランスは彼女を見やると、アンジェの時とは対照的に柔らかな声色を作り、にこやかに応じた。


「楽にせよ、アレクシア。お主は真の聖女にして、この俺の婚約者になるのだからな」


「ありがたき幸せにございます、ロランス殿下」


 立ち上がった彼女もまた、アンジェに罵声を浴びせたものと同じ唇から出たとは思えないような媚びた声音で謝意を述べると、そのままロランスの傍らに寄り添いアンジェと相対する形をとった。


 この国では、建国物語に倣い、聖女の神託が下りた者が現れた場合にはその者が次期皇后として皇子と婚約を結ぶことが慣例となっている。聖女であったアンジェも、その慣例に従いロランスと婚約していたわけだが、聖女という肩書がアレクシアに移った以上、当然婚約もアレクシアに移ったわけだ。


 正直なところ、価値観が全く合わないうえにいくら苦言を呈しても聞く耳を持たなかったロランスとの間に愛情はなく、ただ国を安定させるためという義務感のみで続けていた婚約だった。だから、アンジェに未練はない。


 だが、一応は未来の夫婦となる予定だった相手が、今日決まったばかりのはずの婚約者と妙に仲睦まじげにしている光景には、さすがに違和感を禁じ得なかった。


 そんな感情が顔に出ていたのか、アレクシアがにやりと口角を上げる。


「あら、何か言いたいことでもあるのかしら、『偽』聖女様?」


「っ……ですから、私は偽物なんかじゃ――」


「大体怪しいと思っていたのよ、こんな薄汚い平民風情が聖女様だなんて」


「っ……身分は、関係な――」


「伝え聞く歴代の聖女様とは似ても似つかない、そこらの餓鬼と変わらない貧相な体。ろくに社交もできないうえに陛下から薦められた学校にすらまともに通いもしていない。婚約しているにもかかわらずほとんどロランス殿下と顔も会わせず、そのくせ一丁前に口答えはする。おまけに公務を理由に己の身だしなみすらきちんと整えない。仮に貴女が本物の聖女だったとしても、どこをとっても落第点としか言いようがないわ。少しは反省されたらどうかしら?」


「……っ」


 会場の一部からアレクシアの言葉に賛同するかのような嘲笑が聞こえ、アンジェは唇をかむ。


 わかっている。この手の人間は、こうやって人を見下したいだけ。良くも悪くも、アンジェはそういう人物を何人も見てきた。だが、わかっていても傷つくのが人間だ。言葉のナイフが容赦なくアンジェの心を切りつけ、次第に顔が俯いていく。


 それでも、このまま引き下がっては、自分に力を託してくれたあの声の主に申し訳が立たない。痛みに耐えるようにぐっと奥歯を噛みしめ、どうにか目線を上げた、その時。


「――どうせ聖女の神託も、その得体の知れない紛い物の力で捻じ曲げたのでしょう?」


 アンジェの心を大きく揺さぶる一言が、アレクシアの口から放たれた。


「まがい、もの……?」


 細く開かれた唇から、無意識に零れたかのようにするりとその言葉が呟かれた。すると、アレクシアは獲物の好きを見つけたとばかりに悪魔のような笑みを浮かべてまくし立てる。


「えぇ、そうよ。聖女様に近い力を持ちながら、聖女様に選ばれなかった貴女の力に相応しい呼び名でしょう? ……あぁ、これまで紛い物の力に偽りの癒しを受けてきた国民たちは可哀そうね。貴女が余計なことをしたばっかりに」


「そ、んな……ちが、私、そんなつもりじゃ……っ!」


 声を荒げるアンジェの瞳から、冷静な色が失われていく。それこそが、アレクシアの狙いであるとも気づかないままに。


 強固な岩盤ほど、一度楔が通ってしまえば容易に崩れていくものだ。彼女の場合、彼女を彼女たらしめていた聖女の力に疑義が生じた時点で、最早自身の手ではどうしようもないほどにひび割れが進んでいく。


 そして、この場にそれを止めるものは、誰もいない。


「あら、貴女が聖女なんて騙らなければよかっただけじゃない。なのに変な欲に駆られて道理を捻じ曲げたのだから自業自得でしょう?」


「ちが……違うの、私……本当に、聖女様の力だって、信じて……」


「そう思い込むくらい強い力だったのね。……まるで呪いだわ。そこだけは同情してあげる」


「違う……違う、ちがうの……そんなはずじゃ……」


 最早言葉を取り繕うこともできず、その場に座り込むアンジェ。その心に去来するのは後悔なのか、絶望なのか。両手で顔を覆った指の隙間からは、大粒の雫が零れ落ちていた。


 それを冷たい表情で見据えたロランスは、壁際に控えていた警備の兵士に向かって顎をしゃくる。


「偽聖女をつまみ出せ」


 指示を受けた二人の兵士が動き出し、満足げなロランスの傍らでアレクシアが何やら口を開こうとした、瞬間。


「お待ちなさい」


 衆目を集める三人の誰のものでもない、凛とした声が、会場に響き渡った。


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