第4話:断罪
びくりと肩を震わせたアンジェが勢いよく振り返り、慌てて頭を下げる。
「ろ、ロランス殿下。ご機嫌麗しゅう」
「フン。これが機嫌のいいように見えるか」
くすんだ茶色の短髪に、同色の切れ長の瞳。アンジェよりも頭二つ分以上はゆうに高い位置から向けられるその鋭い視線に射すくめられて、アンジェは押し黙る。
アンジェのみならず、周囲に向かって強大なプレッシャーを放つ男の名は、ロランス・コラン・ドゥラットル。この国――ドゥラットル帝国の第一皇子にして、王位継承権第一位の次期皇帝。そして、アンジェの婚約者だ。
「アンジェ、何故夜会に遅れた。それにそのみすぼらしい格好はなんだ」
「も、申し訳ございません。本日の公務中に魔物の群れに遭遇しまして、その対処で帝都への帰還が遅れてしまいました」
「そんなものより、俺が参加する夜会を優先するのが当然だろう。何を道草などしているのだ」
「お、お言葉ですが殿下。あの群れを放置していては近隣の村が襲われかねませんでした。既に怪我人も出ておりましたし――」
「そんな下賤なものの命より、俺の方が優先だろうと言っている」
あまりのいいように、アンジェは頭を下げたまま密かに顔をしかめる。
確かに状況次第では、どうしても命を選別しなければならないこともある。そう言った時、次期皇帝であるロランスは間違いなく最優先で助けられる命だろう。だが、夜会に遅れたとてそれで誰かが死ぬわけじゃない。ならば優先すべきは、目の前で失われそうな命であるべきだ。
だが、生まれつき次期皇帝となることが定められているこの男には、何をどう伝えても全く通じない。何をしても褒められ、どんなわがままも許され、自分がいかに特別な存在であるかを説かれ続けた彼の価値観は、手の届く限り全ての命を等しく助けんとするアンジェとは決定的に異なるものなのだ。
それでも、アンジェは聖女として、婚約者として、苦言を呈する。この方にモノを言えるのは私だけなんだ、と、そんな使命感に急き立てられて。
「殿下、民の命は国力そのものです。そして、私の力はそれを救うことができます。見捨てることなどできようはずもございません」
ギロリ、とロランスがアンジェをにらみつける。頭を下げたままでも感じる圧力に、体が跳ねる。
「ならば、その力とやらでこの国に住まう全ての命を救え。貴様は歴代最高の聖女なのだろう」
「っ、そ、それは」
無茶な話だ。どれだけ力があろうとも、それを振るえる者はただ一人にすぎないし、力の及ぶ範囲だって限られている。だからこそ、アンジェは日夜過密な旅程で各地を巡り、その力を行使しているのだ。
そしてもちろん、そんなことはロランスとて百も承知のはずなのだが。
「フン、そのような中途半端なことでは政は務まらん。出来もしないことを抜かすな」
詭弁に過ぎないと、アンジェだってわかってはいる。しかし、これ以上言葉を続けられるだけの胆力を、アンジェは持ち合わせていなかった。
唇を強くかんで黙り込んでいると、ロランスは興味を失ったとばかりにため息をつく。
「まぁ良い。これから起こることに比べれば、そんなことは些末な話だ。……ついてこい、アンジェ・バール」
ロランスは踵を返すと、アンジェを振り向くことなく歩き始めた。突然の行動に、アンジェは踏み出すのも忘れて、ついこんな状況でも隣に寄り添ってくれていた友人に目を向ける。
二人の会話に口をはさみたそうにしつつ、その機会を逸したシャルロットもまた困惑気味だが、交わした視線で「早く行った方がいい」とアンジェにメッセージを送っている。
アンジェは渋々ロランスの後を追い、会場の中で一段高くなっているステージに上がった。先のちょっとした騒ぎを目にしていた参加者の一部からの視線が、矢のように突き刺さる。
ロランスは遅れて上がってきたアンジェを一睨みすると、会場に向き直り、
「皆の者、刮目せよ!」
それぞれに会話を楽しんでいた生徒たちの声が一瞬で止み、およそ夜会中とは思えない静寂がこの場を満たす。全員の視線が第一皇子と聖女――次期皇帝と次期皇后に注がれ、しかし何やらただならぬ雰囲気を感じ取って困惑が広がっていく。
ロランスはそんな会場の様子を一瞥すると、アンジェのほうへと向き直る。
その瞳に燃えていたのは――まるで親の仇でも見るような、怒りと憎しみの炎だった。
「アンジェ・バール!」
会場中に響き渡り、表まで届くのではないかという声量の怒声を浴びて、アンジェは体を縮こませた。
そして、次の瞬間。
「今この時を以て、貴様を、聖女を騙った罪で国外追放とする!」
この場の誰しもが予想だにしなかった言葉が、聖女だったはずの小柄な少女に叩きつけられた。
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